草の上の昼食(1959年)

優生学教授と田舎娘の出会いを描いたジャン・ルノワールのカラー作品です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジャン・ルノワール監督の『草の上の昼食』です。人工授精による積極的優生学の権威である教授がプロヴァンスの田舎娘と出会うというストーリーをもつ本作は、ジャン・ルノワールの父親で画家のオーギュスト・ルノワールの昔の家でロケーション撮影されました。1937年製作の代表作『大いなる幻影』がアメリカで公開され、それで得た収入を資金としてルノワールは本作を製作したと言われています。

【ご覧になる前に】ジョルジュ・ルクレール撮影のフィルムはテクニカラー

TVのニュースでキャスターが取材しているのはドイツのガールスカウトを統括する美女マリー。マリーは人工授精の権威アレクシ博士と婚約していて博士は近々行われる欧州合衆国大統領選に出馬することになっています。その番組を見ていたある医局の男女が週末のキャンプに出発する頃、プロヴァンスの片田舎ではネネットが姉の子供たちと戯れていました。行商人と付き合っているネネットを父ニノは心配しながらも姉夫婦にぶどう畑の世話をするように言いつけるのですが…。

ジャン・ルノワールは戦前のフランス映画界においてはルネ・クレール、ジュリアン・デュヴィヴィエ、マルセル・カルネらとともにマエストロのひとりとして『大いなる幻影』や『ゲームの規則』などの傑作を発表していました。しかし第二次世界大戦が勃発すると製作中の『ピクニック』を中断してアメリカに渡り、20世紀フォックスと契約を結び『南部の人』を作ります。

1949年にインドで撮った『河』はヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞し、ジャン・ルノワールにとって初めてのカラー作品でした。以後ルノワールはずっとカラーで作品を撮っていて、イタリアで作った『黄金の馬車』とフランスに戻って撮った『フレンチ・カンカン』はテクニカラーで撮影されています。イングリッド・バーグマン主演の『恋多き女』ではイーストマンカラーが使用されていて、この『草の上の昼食』も同じくイーストマンカラーで撮影されたカラー作品です。プロヴァンスの木々の緑が美しいカラーで撮られているので、『大いなる幻影』や『ピクニック』の白黒画面とは全く違った印象の映像になっています。

キャメラマンをつとめたのはジョルジュ・ルクレール。ルクレールは作品数は非常に少なく、ジャン・ルノワールの実質的な遺作となったTV映画「ジャン・ルノワールの小劇場」でもキャメラを回しています。かたや音楽のジョゼフ・コズマはフランス映画音楽の大家のひとりで、『大いなる幻影』『ゲームの規則』でルノワールと組んでいますし、オールタイムベストで常に上位にランクされる『天井桟敷の人々』に楽曲を提供した人です。

主人公の教授を演じるポール・ムーリスは舞台出身でエディット・ピアフと恋人関係にあった俳優さんです。ポール・ムーリスの代表作はなんといってもアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督の『悪魔のような女』で、愛人シモーヌ・シニョレと妻ヴェラ・クルーゾーのふたりの女に憎まれる校長先生役をやっていたのがムーリスなのでした。対する田舎娘役のカトリーヌ・ルーヴェルは本作出演時はまだ二十歳でしたが、『ボルサリーノ』では出所したアラン・ドロンが探す女がジャン・ポール・ベルモンドと付き合っていたというローラ役を演じるなどフランス映画界で長く活躍することになります。

【ご覧になった後で】やや下世話な喜劇ながらもプロヴァンスの森は美しい

いかがでしたか?主人公のアレクシ博士は人工授精で優秀な子孫を増やそうという優生学推進派で、その教授が一時の欲情で田舎娘ネネットと男女の関係になるや、自分の学説を捨てて田舎娘と結婚するというストーリーラインはジャン・ルノワールにしてはいかにも下世話なネタという感じがぬぐえませんでした。下世話というのは脚本面だけのことではなく、映像的にも言えるわけでジャン・ルノワールらしさがあまり見られないなあと感じられました。

『ピクニック』では男女が結ばれる場面を直截的に描くのではなく、森が雲に覆われて驟雨が川面を波立たせる映像で見事にメタファー化していて、そこが非常に詩的な印象を残していました。そんな詩的イメージに反して本作に出てくる同様の場面はどうにも下世話な感じなんですよね。森の中でアレクシ博士とネネットが草陰に隠れる(すなわち男女の睦み合いが始まる)と川のいろいろな表情をとらえたフィックスショットが続き、それがやがて森の木々に変わって二人が草むらから出てくるショットにつなげられます。この映像が『ピクニック』のリリカルさとは違って非常に即物的で、揺れる藻草や水面の段差など川のあちらこちらを切り取った映像にはニュアンスみたいなものがなく、ただ単に時間の経過が表現されているに過ぎないのです。ルノワールにしてはちょっと手抜きだったのではないかと思ってしまいました。

キャンパーたちに誘われて博士とネネットがバイクに乗るシーンも手抜き感があって、移動する集団を正面から撮ったトラックバックショットはあきらかに博士とネネットのバイクがキャメラをのせた車に牽引されているだけで、本当に走らせていないのだなとわかってしまいました。男女の関係になった二人が若者たちの集団と一緒に解放されるという躍動感を打ち出したい場面だったので、安易な撮り方をするのはちょっと残念でした。

それらとは反対に森を映した風景ショットはどれも見事に美しく、オーギュスト・ルノワールの家の近くでロケーション撮影しただけあってまさにプロヴァンスの空気感を映像化している感じがしました。イーストマンカラーは黄色系の発色が良く緑は苦手なのではないかと思っていたのですが、本作では逆にそれがちょっとくすんだ緑のような色合いにつながっていて、ほんのちょっとぼやけているところがルノワールの絵画を見ているような錯覚に陥る感覚でした。

優生思想には「積極的優生学」と「消極的優生学」のふたつの考え方があるそうで、「消極的」が特定の病気・障害・人種などの遺伝を防ぐために不妊手術や人工中絶などを強制する一方で「積極的」は優秀とされる性質をもつ遺伝子を優先的に受け継ごうというものでした。なので田舎娘ネネットはアレクシ博士のような優秀な知能をもった男性の遺伝子をもつ子供を産みたいという理由で博士に近づくわけですが、第二次世界大戦終結から15年も経っていない当時にナチスの優生思想を想起させるようなテーマをジャン・ルノワールのような人がよく選んだもんだなというのが正直な感想です。

しなしながら戦後のフランスでは人口学研究所が設立されて、人口の質や遺伝の中味が議論に上って遺伝的改良の可能性が医学的に検討されていたそうです。そのような学術的な議論はやがて女性の権利や健康といった側面で注目されるようになり、「家族計画」的な方向に進むことになったんだとか。なので子だくさんな姉がやんちゃな子供たちの世話に奔走する姿を見たネネットが優秀な子をひとりだけ産みたいみたいな考え方をもつのが不思議ではない時代だったのかもしれません。

本作はそんな優生学を笑い飛ばす喜劇仕立てになっていたわけで、山羊飼いのガスパールが笛を吹くと嵐になって形式的な昼食会は台無しになり招待された夫妻は興奮して身体を求めあい女性たちのスカートはまくれあがって下着が露わになります。これはあきらかにギリシャ神話のパンのもじりで、パンは自然の生命力や性を象徴する神ですから人工授精みたいな不自然な小細工をするのではなく、感情を素直に開放して自然な恋愛の末に子供を作りなさいというメッセージでもありました。

ちなみに原題の「Le Déjeuner sur l’herbe」は絵画の世界ではマネの「草上の昼食」のフランス名と全く同一で、ルノワールのお父さんが画家だったことからしてもマネの絵を意識したうえでのネーミングだったんでしょう。マネの「草上の昼食」は現実の裸体の女性を描いたということでスキャンダルになったそうですが、現在的には「なぜ男性は服を着ているのに女性だけが裸で描かれなければならないのか」という批判を一部から浴びているようです。本作でもネネット役のカトリーヌ・ルーヴェルが水浴びするところで露出度の高いヌード姿になり、それを見たポール・ムーリスが欲情を高めるという流れになっていまして、あまりに単純過ぎる設定だなと見ていてあきれてしまいました。本作の印象も他愛のない軽率な恋愛喜劇の範囲にとどまり、ニュース番組を模した冒頭の仕掛けも皮肉というよりはTVにおもねっているように見えてしまいましたから、ジャン・ルノワール監督作品としてはやや残念な出来栄えで、なんとなく『夢』以降の黒澤映画を見ているような錯覚に陥ってしまいました。(U101926)

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