点と線(昭和33年)

松本清張が「旅」に連載した長編推理小説を東映がカラーで映画化しました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、小林恒夫監督の『点と線』です。松本清張はその生涯で膨大な作品を発表しましたが、旅行雑誌「旅」に連載した「点と線」は清張にとって初めての長編推理小説でした。東映は当時まだ一部の作品にしか適用されていなかった全編カラーで撮影する力の入れようで、ジャズドラマーから映画界入りした南廣が初めて主演に起用されました。まだ新幹線は開通前で飛行機での移動も普及していなかった時代背景が大前提のつくりになっています。

【ご覧になる前に】昭和33年は松本清張ものが5本も映画化された年でした

福岡県香椎の海岸で男女の死体が発見され、情死だろうという検視官に対して福岡署の古参刑事鳥飼は「情死するには寂しすぎる」と疑問を呈します。死んだ男は産工省の課長補佐で死体安置場で遺族は一緒に死んだ料亭の女中にかどわかされたのだと嘆きます。鳥飼は佐山がもっていた食堂車の領収書が一人分だったことに気づいたことがきっかけになり、汚職事件を追っていた警視庁の三原警部補が捜査に協力することに。三原は女中仲間が東京駅で佐山と女が親しそうに列車に乗り込む姿を目撃していたことを突き止めるのでしたが…。

昭和28年に「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞した松本清張は、昭和31年に朝日新聞社を退社して作家活動に専念するようになりました。短編で「張込み」「顔」などの推理小説を執筆していた松本清張は、旅行雑誌「旅」から鉄道を題材にした小説の執筆を依頼され、昭和32年2月号から一年間連載されることになった「点と線」は松本清張にとって初めての長編推理小説となったのでした。

映画界でいちばん早く清張の作品を映画化したのは松竹で、昭和32年1月に大曽根辰保監督の『顔』が劇場公開されています。その翌月から「点と線」の連載が始まり、メジャー映画会社各社は松本清張ものは売れると確信したんでしょう。翌年には松本清張ものが次々に映画化されていまして、1月に松竹が野村芳太郎監督で『張込み』を公開、10月には松竹が大庭秀雄監督で『眼の壁』、大映が田中重雄監督で『共犯者』、日活が鈴木清順監督で『影なき声』と一気に3作品が劇場にかかることになりました。そして東映が満を持して11月に発表したのがこの『点と線』で、当時滅多な作品でなければカラーでの撮影が許可されなかったのに本作がカラー作品となったのは、清張ブームに乗り遅れそうになったことを取り戻そうとしたからかもしれません。

脚色の井手雅人は初映画化作品『顔』でも共同脚本を書いていますので清張ものは2本目となり、昭和50年代には『鬼畜』『わるいやつら』でも脚本を担当しています。新東宝に入社した井手雅人は昭和29年退社後にフリーとなってさまざまな脚本を書き、昭和40年に黒澤明監督の『赤ひげ』のシナリオチームに参加したことを契機に『デルス・ウザーラ』『影武者』『乱』と後期黒澤映画の共同脚本を書き続けることになります。

監督の小林恒夫は東宝系列の製作会社に入社して、『素晴らしき日曜日』『酔いどれ天使』で黒澤のチーフ助監督として働いた経験の持ち主。東映に移籍して監督に昇進すると主に東京撮影所のプログラムピクチャーを作っていました。キャメラマンの藤井静も小林恒夫作品でよく撮影を担当していて、音楽の木下忠司は松竹出身ですが本作あたりから映画会社の枠にとらわれずに楽曲提供するようになりました。

主演に抜擢されたのが南廣で、戦後ジャズドラマーとして「南廣とザ・サウスメン」というジャズバンドを組んで音楽活動をしていました。昭和33年に『非常線』という作品にミュージシャン役で出演したのがきっかけになり、東映と専属契約を交わして本作が初めての主演映画となりました。初主演とはいってもミュージシャンからの転身でしたのでこのときもう三十歳になっていました。その後「警視庁物語シリーズ」や「特ダネ三十時間シリーズ」など大量のプログラムピクチャーに出演しましたが、印象深いのはTVシリーズ「マイティジャック」の天田一平副長役でしょうか。

【ご覧になった後で】地道な捜査よりも高峰三枝子の美しさに見とれますね

いかがでしたか?東京から博多までの路線図が赤く変わっていき、その地図が博多から香椎までの福岡県に拡大されるプロローグからまさに「旅」をテーマにした映画だという主張が感じられました。香椎の海岸での情死現場、現地警察から東京の警視庁に舞台が移り、主人公の警部補南廣は北海道に渡ります。今なら当然羽田から新千歳まで飛行機でひとっ飛びですが、本作は列車で青森まで行き、青函連絡船で函館に入ってから札幌にたどり着くというまさに戦後すぐの移動方法が描かれ、札幌から東京、熱海と犯人のアリバイ崩しのために警察が足で証拠を固めていくプロセスが本作の見どころになっていました。

その中で東京駅15番線ホームが本作のトリックで使われていまして、当時東海道本線の下りホームだった15番線は現在的には東海道新幹線の発着ホームになっています。犯人を演じた山形勲が鎌倉に行くために料亭の女中をわざわざ呼び出したのが13番線ホームという設定ですが、残念ながら横須賀線は地下5階に移設されたので『点と線』のトリックを再現するすべはもうありません。しかしながら情死した男女を見かけたという目撃情報を作り出したことが、逆に事件と犯人を結び付ける結節点になってしまったのですから、山形勲がやった安田という犯人の軽率さは原作の欠点でもあったのではないでしょうか。

実際に南廣は札幌駅に来て初めて犯人が飛行機で移動した可能性にハッとしてますので、飛行機や新幹線が当たり前になっている現在からすると気づくのが遅すぎますよね。それでも列車での移動時間を緻密に積み上げたアリバイづくりは計算され尽くされていて、映画を見ていても疑問点よりも捜査の進展に意識が向かされますし、何よりも85分と上映時間が短く刈り込まれているので集中して鑑賞することができました。もっとも1時間半以内の尺にしたのはカラー映画の上映用ポジフィルムを作るコストをできるだけ切り詰めたいという懐事情があったのかもしてませんけど。

集中力が保てたのは小林恒夫監督のきっちりとして外れのない映像演出があったからで、かなりの人物が出てくるにも関わらずしっかりと人物や人間関係が映像でわかるように仕立てられていました。まあ料亭の女中や熱海の旅館の女将なんかはみんな似たような顔で判別不能でしたけど。でも南廣をバックアップする志村喬やその上司の堀雄二、南廣より年上に見えるのにこき使われる河野秋武、堀雄二が入ってもらえばと気遣う田舎刑事の加藤嘉など捜査する警察側は個々のキャラクターがうまく描き分けられていました。

傲岸不遜な山形勲は悪役なのに頭が切れて女性の扱いがぞんざいでありつつモテそうな雰囲気があってなかなか魅力的な犯人を造形していたと思います。それに比べると気弱な部長役の三島雅夫はちょっと弱すぎて本作の雰囲気にマッチしていませんでした。結果的に山形勲ひとりが悪役の役割を背負うことになって、そうすると安田という男がなぜ官僚と女中の二人を殺して情死に見せかけなければならなかったのかという動機のほうに目が行ってしまうので、そこまでする必要があったのかなという疑問が心の片隅に浮かんでくるのでした。

それでもそんな疑問点を払拭してしまうのが高峰三枝子の絶対的な美しさ。大正7年生まれの高峰三枝子は本作撮影時には三十九歳だったはずで、当時としては四十近い女優さんがこれほど美しく撮られた映画はなかったんじゃないかというくらいに本作の高峰三枝子の美しさは驚愕に値します。観客はこの美貌に見惚れてしまうので、実は妻が共犯者で殺人の理由は女中が憎かったからだというかなり納得感の低い動機も追及する気が失せてしまうのです。

特に高峰三枝子が鎌倉を出て都内の実家で山形勲の帰りを待つ場面。真っ暗な部屋の中に正座する高峰三枝子のシルエットがわかり、電気を点けるとその美しい顔が浮かび上がります。さらに隣の部屋の照明で照らされた美しい横顔が怜悧なクールビューティさを感じさせて、ここの照明のコントロールはカラーフィルムの効果を最大限に引き出す完成度でした。

そしておなじみの犯罪現場の再現シーンでどのように殺人が行われたかが説明されるのとカットバックしながら、高峰三枝子がビールに青酸カリを注入する様子が描かれ、警察が踏み込むとすでに山形勲と高峰三枝子が毒死しているというエンディング。ここはいきなり俯瞰ショットになって床に倒れた二人を見下ろす構図になります。高峰三枝子の着物の柄の一部が血糊のようにも感じられて、青酸カリによって男女が情死するという導入部と犯人夫婦が無理心中するという結末が見事に対比されていたのでした。

そんなわけでそれなりの力作であって当時の映画評論家からの評価も興行的な成績も悪くなかったようですが、キネマ旬報ベストテンでは松竹の『張込み』が第8位にランクインしたのに対して本作には一票も入りませんでした。昭和35年に東宝が『黒い画集 あるサラリーマンの証言』を公開させてメジャー映画会社全社が松本清張ものに参入することになりますが、東映は昭和37年の『考える葉』を作っただけで清張ものから撤退していきます。カラーで撮影して力を入れた『点と線』は東映にとっては空振りと認識されたのかもしれないですね。(V091326)

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