現金に手を出すな(1954年)

ジャン・ギャバンがギャングを演じるフレンチ・フィルム・ノワールの代表作

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』です。ギャング同士の抗争を描いたフレンチ・フィルム・ノワールの代表作ともいえる作品で、第二次大戦後になって目立った出演作がなかったジャン・ギャバンは本作で復活を果たし、以後ギャングの大物役を得意とするようになりました。原題の「Touchez pas au Grisbi」は「戦利品に手をつけるな」という意味で「現金」を「現ナマ」と読ませたのは本作が初めてと言われています。

【ご覧になる前に】五十三歳で早逝したジャック・ベッケルの代表作のひとつ

マダム・ブーシェのレストランではオルリー空港で5千万フラン相当の金塊が強奪された記事がのった新聞を男たちが回し読みしています。その新聞を無視したマックスは、相棒リトンと二人の踊り子のテーブルに座ると、ショーを見に来てと誘われます。仕事を探しているラモンを連れてキャバレーに着くと、マックスはオーナーのピエロから呼び出され、オフィスで麻薬密売組織を仕切っているアンジェロを紹介されます。一緒に組もうというアンジェロの誘いを断ったマックスは、リトンとともに店を出ようとしますが、踊り子たちの控室でジョジィがアンジェロと抱き合っているのを見て、なぜアンジェロが自分に声をかけたのかを考え始めるのでした…。

ジャン・ギャバンは1935年にジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『地の果てを行く』に出演して注目され、『我等の仲間』『望郷』とデュヴィヴィエ作品で連続して主演に起用されました。ジャン・ルノワール監督の『大いなる幻影』でフランス映画界を代表する俳優の座を不動のものとしますが、第二次大戦の激化に伴いアメリカに渡った以降は、出演作に恵まれずにいました。1954年フランスに戻ったギャバンは五十歳になっていて、老いを感じさせるようになったところで本作のマックス役に巡り合います。ギャングの大物であるとともに第一線からの引退を考え始めるという設定は、当時のジャン・ギャバンにぴったりで、ジャン・ギャバンは本作でヴェネツィア国際映画祭の男優賞を受賞しています。

ジャン・ギャバンより二歳年下のジャック・ベッケルは、キング・ヴィダー監督から俳優兼助監督としてアメリカで働くように誘われましたが、フランスに留まりジャン・ルノワールのもとで助監督として働きます。『ピクニック』ではルキノ・ヴィスコンティやアンリ・カルティエ・ブレッソンとともにクレジットタイトルに名を連ねていました。ドイツでの捕虜収容所生活を経た後の1942年に『最後の切り札』で監督デビューを果たすと、1949年の『七月のランデヴー』でルイ・デリュック賞を受賞して地歩を固めていきます。そして1950年代に『肉体の冠』『現金に手を出すな』『モンパルナスの灯』と次々に作品を発表し、フランス映画界を代表する監督のひとりとなります。しかし1960年に脱獄映画の傑作『穴』を完成させた直後に病気のため五十三歳の若さで亡くなってしまいました。

原作のアルベール・シモナンは、ギャングの実態に詳しい作家だったそうで、本作以降は映画界の脚本家としても活躍を始め、ジャン・ギャバンとアラン・ドロンが共演した『地下室のメロディー』の脚本を書いています。アルベール・シモナンにジャック・ベッケルとモーリス・グリッフが加わって共同脚本を完成させました。キャメラマンのピエール・モンタゼルは映画監督もやっているようですが、多くのギャング映画でキャメラを回したキャリアがあります。また、ハーモニカを使った音楽を担当したジャン・ウィエネルは、1980年代までTVを含めてフランスで活躍を続けた作曲家のようです。

【ご覧になった後で】当時のパリの街やギャングの暮らしぶりが目を引きます

いかがでしたか?フィルム・ノワールの嚆矢となる作品であるとともに、派手なアクションシーンだけではなく、ジャック・ベッケルによる細かな描写が目を引く作品でもありました。1950年代のパリの街並みがしっかりと映されていたり、ギャングの日常の暮らしぶりが詳細に描かれていたりして、ギャング映画でありながら、当時パリで暮らす人々がどんな生活を送っていたかが伝わってくる丁寧な描写が特徴でしたね。

例えば、そこらへんにあるブーシェのレストランは、テーブル席が4つくらいで満杯にあってしまうような小さな店で、店の入り口は手回し式のシャッターで閉まるようになっています。向かい側には別の店があり、その間の道はアスファルトで舗装されておらず、車が走ると土埃がたつような道です。またピエロの店では車で到着した客の車をドアマンが駐車するために運転しますし、マックスの行動を監視するフィフィ(抗争前に町はずれで車から降ろされるあいつです)は小さなバーに入ると奥の電話を借りてアンジェロに報告を入れます。このような街の光景や店の機能などから、当時のパリの様子がスクリーン上に生き生きとよみがえって来て、映画というのは記録の側面があり、タイムトラベルを体験させてくれるような効能も持っていることに気づかされます。

ジャン・ギャバンが相棒のリトンを自分の別宅に匿うシークエンスでは、男二人がひとつの家で夜を明かす段取りがディテールまで描写されていて、見ていてちょっと笑ってしまうほどの細かさでした。ジャン・ギャバンが戸棚からシーツやパジャマを取り出して、着替えるとしっかり歯磨きをして、歯ブラシはコップに入れてシャカシャカ洗い、ソファで寝ようかと思ったらリトンの言葉で自分のベッドに入り、煙草を一服吸ってから寝入ります。これら一連の動作がほとんどセリフなしに進むのですが、金塊強奪作戦を成功させたジャン・ギャバンが、どこにでもいるような市井の人物であり、もう大きなヤマを踏むのはこれで最後にしたいといって安らぎを求めている心境がじんわりと伝わってくるのです。本作が単なるドンパチものに終わらず、どこか哀愁を帯びた雰囲気を持っているのは、こうした日常的な描写を重要視しているからだと思いますし、そこでハーモニカの旋律が印象深い音楽とも相まって、ちょっとした人生の侘しさのようなものも感じさせます。

マックスを演じるジャン・ギャバンは、ベテランギャングとしての貫禄を見せつつも、次々に女性をとっかえひっかえするプレイボーイでもあり、それが不自然に感じさせないほど魅力的な男性像を創り出していました。ちょっとした所作やセリフ回しにスキがないような感じですよね。リトン役を演じたのはルネ・ダリーで、ちょうどジャン・ギャバンがアメリカに去った後の1940年代に活躍した俳優です。小説家レオ・マレが創ったキャラクターである探偵ネストル・バーマをハマリ役としていたそうですが、次第に映画出演が少なくなり本作はルネ・ダリーにとって久しぶりの出演作だったようです。

またアンジェロ役のリノ・ボリニは、言うまでもなくリノ・バンチュラで、幼いときにイタリアからパリに移住したバンチュラはグレコローマンスタイルのレスリングで活躍すると、そのままプロレスラーとなりヨーロッパでチャンピオンベルトを獲得するほどの有名選手でした。怪我でプロレスラー生活を続けられなくなったとき、ギャング役を探していたジャック・ベッケルに俳優への転身を進められ、共演したジャン・ギャバンからも本作出演後はこのまま俳優業を続けるよう進言されたそうです。確かにプロレスラーというよりも役者に向いた顔ですもんね。

本作の脚本は原作をかなり割愛してあるそうで、例えば冒頭で新聞記事として出てくる金塊強奪作戦も、元の小説ではマックスとリトンの仕事としてきちんと描かれているそうです。そんな省略をしたせいからか、なぜリノ・バンチュラ演じるアンジェロがマックスに接近してくるのか、それがジャンヌ・モロー演じるジョジィの密告のためで、大元はリトンがジョジィに金塊のことを話してしまったことが原因だったという本作のストーリーの骨格がわかりにくかったのが残念でした。そんなヘマをやったリトンを金塊を差し出して命がけで救うマックスの友情が本作のテーマであり、結局はリトンを死なせてしまうところにやるせなさというか大いなる徒労感があるわけで、ジャンヌ・モローをうまく描けていないところは本作の欠点だと言わざるを得ません。(U102324)

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