帝銀事件 死刑囚(昭和39年)

戦後混乱期に発生した帝銀事件をドキュメンタリータッチで描く社会劇です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、熊井啓監督の『帝銀事件 死刑囚』です。昭和23年1月に発生した帝銀事件は何の罪もない銀行職員らに毒薬を飲ませて十二人を惨殺した凄惨な事件でした。犯人として逮捕され最高裁で死刑が確定した平沢貞通は、歴代の法務大臣による死刑執行命令が出されないまま昭和62年に九十五歳で病死しています。平沢の自白だけに頼った死刑判決だったので冤罪ではないかという疑いが残ったまま、帝銀事件は現在でも戦後の混乱期における謎の事件として様々な憶測を呼び続けています。本作は日活で脚本を書いていた熊井啓が膨大な資料を調査し、平沢本人や関係者にも面会をしてドキュメンタリータッチの脚本に仕上げたもの。それを自ら監督して、熊井啓の監督デビュー作となったのでした。

【ご覧になる前に】新聞記者がジャーナリスティックに事件の真相に迫ります

東京豊島区にある帝国銀行椎名町支店は午後3時の窓口受付を終え、行員たちが精算業務に追われています。そこへ東京都防疫班の腕章を巻いた白髪交じりの男性が現れ、「近所で集団赤痢が発生し、その家族が銀行に立ち寄ったので、行員全員を消毒するようGHQから指示されて来た」と告げました。支店長代理が行内にいた行員と住み込みの家族を集合させると、男は茶碗に入れた第一薬を飲んだ1分後に第二薬を飲むよう説明して、実際に自分で飲んでみせました。行員たちが指示された通りに薬を飲み終えると、全員が異常を訴えて水場に駆け込むのですが、やがて一人残らずその場に倒れこんでしまうのでした…。

敗戦後の日本はGHQの占領下にあって、戦争犯罪人の裁判などの戦後処理の渦中にありながら、GHQが次々に打ち出す政策に右往左往する時期でした。敗戦から二年半になろうという昭和23年のはじめにこの帝銀事件が起きると、翌年には下山事件、三鷹事件、松川事件と国鉄を舞台にしたミステリアスな事件が次々に発生します。中でも帝銀事件は一般市民が大量殺人されたという残酷な事件でありながら、防疫班を装った男の毒薬を扱う鮮やかな手口から、当初は旧日本陸軍の特殊任務関係者による犯罪ではないかと疑いがもたれたのでした。

本作は帝銀事件を新聞記者の視点から描こうとしています。現在ではSNSが発達し、マスメディアが真実の一側面しか伝えきれていない実態が大衆に知れ渡ってしまったので、ジャーナリズムという言葉自体が死語化しつつありますが、本作が製作された昭和期においては、新聞記者は政治や社会の裏側を暴く正義の職業というようなイメージで認知されていました。よって本作に登場する新聞記者たちは全員揃って真実を突き止めようとする正義の味方のようなヒロイックな活躍を見せることになります。

ドキュメンタリータッチの作品なので出演する俳優たちは当時の日活においてもどちらかといえば役者の色が前面に出ないような、有名ではないが演技力に優れた人たちが多く登場します。デスクの鈴木瑞穂も記者の内藤武敏も平沢の母親役の北林谷栄も、みんな劇団民藝の当時の所属俳優たち。日活は映画製作を再開したとき、五社協定による映画俳優の囲い込みに対抗して、劇団民藝と提携したんですね。本作はそれから十年後の製作作品で、日活は独自に裕次郎や吉永小百合などのスターを輩出していましたが、劇団民藝との関係を生かして、ドキュメンタリー風の作り方にふさわしい役者が起用されています。内藤武敏の相手役となる笹森礼子だけは浅丘ルリ子の後を継ぐスターとして嘱望されていた女優ですが、5-6年映画出演したあとで結婚してあっさりと引退してしまった人です。なので現在では他の女優ほど名前が残っていませんね。

熊井啓は監督経験が浅いにも関わらず、昭和43年に『黒部の太陽』の監督に抜擢されて、三船敏郎と石原裕次郎によるビッグプロジェクトを支えることになります。『黒部の太陽』は三船プロダクションと石原プロモーションの合同製作で、日活が配給したのですが、五社協定を維持したい大手各社からの反発に加えて予算に限りがあったことから劇団民藝が全面的にバックアップして役者を揃え、なんとか完成にこぎつけた作品でした。それも日活と劇団民藝の関係があってこそ成立したのでしょうけど、熊井啓は監督として骨太な作品を完成させたあとで、大手映画会社の旧弊な体質に見切りをつけて日活を退社することになったのでした。

【ご覧になった後で】新聞記者に圧力をはね返して真相追求してほしかった…

いかがでしたか?あの帝銀事件を再体験するような臨場感があって、事件の描き方は当時のニュースフィルムなども挿入しながら大変に冷静な描写が徹底されていたのではないでしょうか。特に冒頭の事件の現場そのものを描いたシークエンスは、帝銀椎名町支店をセットで完全再現したそうですから、大変にリアリティがあって、犯人の主観ショットが入ったり、犯罪の手口などが詳細に映像化されたりして興味深かったと思います。ピペットを使って毒薬を手早く茶碗に適量ずつ配分していくショットは、本職の薬品研究員に実演してもらったのを撮影したとかで、その手さばきからプロによる犯行であることを訴えかけているような演出でした。

本作製作の五年前には松本清張が「小説帝銀事件」を出版していて、そこでGHQが旧日本陸軍の731部隊による研究成果を表面化させないため、平沢個人による単独犯行にさせたという説が大胆に出されています。松本清張は他の作品でも国鉄三大事件をGHQによる陰謀として再構築していますので、戦後混乱期における一連の犯罪を占領軍の謀略だとするのは一種松本清張史観ともいうべき流れの中に位置づけられるかもしれません。本作の脚本も基本的にはその線でまとめられており、信欣三(この人も俳優座から劇団民藝に移った役者です)演ずる平沢が無実の罪で捕らえられたのだという冤罪の立場をとっています。ドラマとしては平沢と娘が金網越しに面会する場面が泣かせるところですし、娘役の柳川慶子(東宝の女優で若大将シリーズにも出たりしています)の抑制した演技が涙腺を刺激する盛り上がりを見せます。平沢の絶望した表情で終幕となるのも、熊井啓が出した結論が松本清張同様にGHQ謀略論であったことの証明だったのかもしれません。

それを否定するわけではありませんが、事件にまつわる事実を客観的に見直すと、この犯罪は素人によるものではなく毒薬のプロフェッショナルの手によってしかなされないものだということが一番のポイントではないかと思います。だとするとGHQの圧力は731部隊の存在の隠蔽という一点に絞られるわけで、プロによる犯罪という線を捨てたのは日本の警察によるGHQへの忖度のせいだったのではないでしょうか。なにしろ国鉄三大事件とは違って、帝銀事件は事件を起こす動機が明確ではありません。GHQにとっては事件を起こすメリットは何もないわけですし、だとすると何者かによる単独犯行であって、その単独犯は薬物のプロであるという推理が真っ当ではないでしょうか。それにしても金銭目当てにしては行員全員を皆殺しにしてしまうところはあまりに残酷で猟奇的ですよね。

熊井啓は綿密に本事件を再調査したということですが、松本清張以上に真相に迫るのであれば、GHQによる圧力がかかったあとで何が起きたかをもっと突っ込んで描いてほしかったような気がします。本作では731部隊の生き残りの佐野浅夫から手記まで入手しているにも関わらず、鈴木瑞穂がGHQに呼び出されて取材を中止するという流れになっていますが、そこで内藤武敏の記者が単独でさらに事件を深堀するなどのストーリー展開も可能だったはずです。それを追求せずに、熊井啓は新聞記者たちの暑苦しい取っ組み合いを見せる程度で終わらせてしまうんですよね。ここが中途半端なので、平沢の冤罪の疑いがなんとなくウェットな描き方に偏ってしまい、説得力をもって迫ってこないように感じられました。

また、暑苦しいとはいっても新聞記者は英雄的に描かれますし、警察や検察は無能または冷酷無比のような描き方がされています。確かに昭和39年あたりでは「権力は悪で、ジャーナリズムが善」という時代背景であったのでしょうけど、その視点の置き方は現在からみると逆に一面的過ぎてしまい、客観性に欠けるように感じてしまいますね。ピペットが万年筆のインク吸いに変わり、平沢が自白しようとしてもすべて事実と食い違ってしまうなどの積み重ねは、明らかに平沢シロ説に立っているのですし、警察内部にもその意見が多数あったことを考えると、もっと権力側とジャーナリズム側の双方で、平沢のシロとクロの両説がせめぎ合ったことを強調してもよかったかなと思います。

とはいっても、この闇の事件を映画化しようとした熊井啓の志は評価されるべきものです。本作を評して当時の最高裁判所長官が最高裁の判決に異を唱えるような内容になっていて遺憾である的な発言をしたそうですから、司法に対してその死刑判決にケチをつける内容の映画を公開するのは勇気がいることだったでしょう。また、実際の影響として松本清張の小説と本作によって平沢貞通の死刑執行がやりにくくなったことは事実あったのではないでしょうか。まあ、その以前にこの事件が昭和23年1月に発生したことで戦後に改正され昭和23年7月に公布された刑事訴訟法ではなく、自白を証拠の中心に置いた旧刑事訴訟法のもとで起訴されたのが、真相の追求が曖昧になった最大の要因のかもしれません。(A032622)

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