WAR

1940年以前

大いなる幻影(1937年)

ジャン・ルノワールが兵士の真実の姿を描こうと立てた企画は三年間お蔵入りしていましたが、突然実現の見通しがつくことになり撮影が完了した『ピクニック』の編集を投げ出したジャン・ルノワールは本作の製作にかかりきりになりました。
1940年代

鉄路の斗い(1946年)

第二次大戦で連合軍がノルマンディー上陸作戦を決行した際にフランスの鉄道労働者たちが激しいレジスタンス活動を行い、ドイツ軍の兵站網を破壊する姿を描いていて、第二次大戦終結翌年の1946年に製作されました。ルネ・クレマンの初めての長編劇映画です。
日本映画

肉弾(昭和43年)

日本アート・シアター・ギルド(ATG)独立プロダクションと製作費を折半することで低予算映画を製作するようになりました。本作はその初期の一本で岡本喜八の脚本を映画化しようとみね子夫人が自宅を抵当に入れて捻出したお金が製作費に費やされました。
1950年代

突撃(1957年)

ハンフリー・コッブという人が書いた小説が原作で、第一次大戦の独仏戦における第二次エーヌの戦いを描いています。原題の「Paths of Glory」は「栄光の道は墓に続いている」という詩の一節からとられているそうです。
日本映画

日本の悲劇 自由の声(昭和21年)

亀井文夫は昭和14年に陸軍の後援を得て中国戦線を描いたドキュメンタリー『戦ふ兵隊』を東宝で作っていますが、本作は終戦の翌年に戦時中の記録映画を再編集したもので、軍部や財閥のことを支配階級と呼び、戦時中の戦争責任をつまびらかにする内容になっています。
外国映画

特攻大作戦(1967年)

ノルマンディ上陸作戦が実行される直前にドイツに潜入してナチス将官たちが集う城館を破壊するという特殊任務を描いた戦争アドベンチャー作品で、その特務部隊が囚人で結成される設定が、その後のアクション映画に多くの影響を及ぼしました。
日本映画

拝啓天皇陛下様(昭和38年)

本作は渥美清が主演した三番目の作品で、野村芳太郎監督によって渥美清の個性が存分に発揮された傑作喜劇となりました。この映画を見たフジテレビのスタッフがヒントを得て、TVシリーズの「男はつらいよ」を発想したという話もあるそうです。
日本映画

壁あつき部屋(昭和31年)

巣鴨プリズンに収容されていたBC級戦犯の手記を原作として映画が作られたのはGHQによる日本占領が終了した昭和28年でしたが、松竹は劇場公開を見送ってしまい3年後の昭和31年にやっと日の目を見ることになったいわくつきの作品です。
外国映画

大脱走(1963年)

オーストラリア空軍パイロットのポール・ブリックヒルが戦後に捕虜収容所の経験をノンフィクションとして発表。ジョン・スタージェスはすぐにその映画化権を入手しましたが、製作費の工面がなかなか進まず、10年以上経ってからやっと製作に着手することができました。
昭和二十年以前

戦ふ兵隊(昭和14年)

日本陸軍の雄姿を映像に収めたドキュメンタリー映画は亀井文夫監督の手に委ねられたのですが、完成した作品は雄姿どころか繰り返される転戦で疲弊していく兵隊の姿がリアルに記録されていて、せっかく作った映画は結果的にはお蔵入りとなってしまいました。
タイトルとURLをコピーしました