日本映画

大菩薩峠(昭和35年)

主人公机竜之介の酷薄で虚無的なキャラクターにぴったりとマッチした雷蔵の代表作のひとつです。また大映京都撮影所のスタッフによる時代劇映画づくりの洗練されたテクニックも見どころになっています。
昭和二十年代

幸福の限界(昭和23年)

原作は戦前の忍耐型人生を生きた母親と戦後の解放された理想を夢見る娘を主人公としていますが、映画では原節子が演じる次女が主役となっています。
昭和二十年以前

桃中軒雲右衛門(昭和11年)

明治末期に浪曲を寄席ではなく劇場の演目に押し上げた実在の浪曲師桃中軒雲右衛門を主人公にして、浪曲をたっぷりと聞かせる芸道ものになっています。
日本映画

青春三羽烏(昭和28年)

松竹といえば、男優をトリオで組ませて「三羽烏」と称するのを得意としていましたが、本作で共演しているのは高橋貞二、川喜多雄二、三橋達也の三人。
日本映画

暗夜行路(昭和34年)

豊田四郎監督の文芸路線の頂点ともいえるのがこの『暗夜行路』。志賀直哉は映画化を渋ったそうですが、池部良が主演するならと許可したのだとか。東宝の子会社である東京映画の製作作品です。
日本映画

恋文(昭和28年)

田中絹代が映画にするならということで、タイトルも女性らしく『恋文』に変更して、木下恵介が脚本を書き、田中絹代の初監督作品が完成したのでした。
1940年代

我等の生涯の最良の年(1946年)

作が製作されたのは太平洋戦争が終わった翌年の1946年。まさに大戦からの帰還兵が本国に戻った後、戦争で傷ついた心身をどう癒すか、あるいはどうやって定職を得るかなどが社会問題化していた時期でした。
外国映画

007ロシアより愛をこめて(1963年)

1962年に公開された第一作『007ドクター・ノオ』が大ヒットして、ショーン・コネリー=ジェームズ・ボンドによる007がシリーズ化されることになりました。監督は同じくテレンス・ヤング。第一作のややB級SFアクション的な作りからは一転して、本作は本格的なスパイ・アクション映画に仕上がっています。
日本映画

お転婆三人姉妹 踊る太陽(昭和32年)

昭和30年代前半にこんな和製ミュージカル映画があったのは驚きで、しかもいい加減な作り方ではなく、しっかりとハリウッドミュージカルの基本パターンを踏襲しているのです。
1940年代

わが谷は緑なりき(1941年)

1941年度アカデミー賞では、作品賞を受賞し、ジョン・フォードも監督賞を獲得しています。製作者のダリル・F・ザナックはこの映画を『風と共に去りぬ』のような一大叙事詩にしようとしたらしいですが、そんな大仰にするよりも2時間の白黒作品でよかったと思える佳作です。
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