湖中の女(1947年)

レイモンド・チャンドラーの原作を一人称キャメラで映画化した異色作です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ロバート・モンゴメリー監督の『湖中の女』です。原作はレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウシリーズ第四作。チャンドラーの小説はマーロウによる一人称で書かれていますが、本作はその一人称を映画でやってしまおうとした異色作。監督は俳優出身のロバート・モンゴメリーで、主人公マーロウ役でも出演しています。かなりの実験作なので、一見に値する作品です。

【ご覧になる前に】チャンドラーは脚本のクレジットに出るのを拒否しました

私立探偵フィリップ・マーロウは本業の傍らに書いた犯罪小説をホラー雑誌専門の出版社に持ち込みます。そこで応対に出てきたのが第一秘書のアドリエンヌ。彼女はマーロウが私立探偵だと知ると、湖畔で行方不明になったキングスリー社長の妻を探してほしいと依頼してきました。湖の別荘を訪ねたマーロウは湖中から女の溺死体が発見されたことを知るのですが…。

フィリップ・マーロウは、1939年に出版された「大いなる眠り」でレイモンド・チャンドラーが世に送り出した小説のキャラクター。「さらば愛しき女よ」「高い窓」と続いて1943年にこの「湖中の女」(The Lady in the Lake)が発表されました。その後もシリーズは続き、「かわいい女」「長いお別れ」「プレイバック」が出版されています。映画では1946年の『三つ数えろ』でハンフリー・ボガードがフィリップ・マーロウのイメージを確立したといわれているものの、原作者チャンドラーはケーリー・グラントが一番マーロウに近い俳優だと考えていたそうです。ボギーとグラントでは辛口と甘口くらい大きな差があるので、映画で描かれたマーロウはあくまで映画上のキャラクターだと受け取ったほうがいいかもしれません。

監督・主演のロバート・モンゴメリーは、映画よりも1950年代以降に主にTVで活躍した人だそうです。映画界においてはハリウッドで映画俳優組合の結成に尽力した人物でもあり、第二次大戦の前後で二度にわたり組合代表をつとめています。俳優組合といえば、1981年に第四十代アメリカ合衆国大統領になったロナルド・レーガンが要職についていたことで有名になりましたから、ひょっとしたら組合ではロバート・モンゴメリーはロナルド・レーガンを使う立場にいたのかもしれません。

本作の脚本にはレイモンド・チャンドラーが参画していたのですが、ロバート・モンゴメリーが一人称キャメラで撮影すると聞いて、その技術が原作をうまく表現できるとは信じられなかったとか。チャンドラーはスタジオに文句を入れましたが聞き入れられず、結果的に自分の名前をクレジットから外すように要請したそうです。一人称での語りは小説上の手法であって、映画は小説とは違うと考えていたのかもしれません。

【ご覧になった後で】革新的な一人称キャメラは成功か失敗か?

うーん、やっぱり映画を一人称で語り通すのはかなり無理がありましたね。冒頭と途中、そしてラストで本作を紹介するマーロウを映す以外は、本当にキャメラがマーロウの視線になりきって、人と会ったり、家の中を捜索したり、車を運転したりします。マーロウの主観なわけですから、その視線はいきなり変化するはずもなく、すなわちカット割りは全く存在しません。逆に長回しが必要になって、一人称キャメラを選択することは同時にカット割りを否定し長回しの移動撮影を貫き通すことでした。しかしながら、ロバート・モンゴメリーは溝口健二ではないのですから、この長回しも移動撮影が下手で何の効果も上げず、逆に観客に対して閉塞感を強制するだけになっていました。つまり観客が見たい・知りたいという映像がなかなか画面に現れず、キャメラが振り向かない限りは背後に何があるのかさえわからない撮り方をしているのです。映画の主人公と同じものしか見られないのであれば、観客は主人公と同化するしかありません。けれども本作の主人公マーロウは、観客と一体感を持てるような人物ではなく、がさつで自己中心的で非常識な田舎者にしか見えないのです。なぜかといえば、マーロウを客観的に描くすべがないために、主人公を魅力的に見せる機会が失われているからです。その意味で、ロバート・モンゴメリー監督は、一人称キャメラのパラドックスにはまってしまったといえるでしょう。

それでも一人称の映像はテクニック的には結構がんばっていて、自動車を運転するときにハンドルに自分の手が映るのは当たり前だとしてもバックミラーを見るときに車窓の景色が同じ角度で映されるところは細部まできっちり作っているなと感心してしまいました。ここの車窓映像はスクリーンプロセスで投影していますので、キャメラの動きに合わせてあらかじめスクリーンプロセス用の投影映像もバックミラーを見る方向にパンして撮影したことになります。これを同期させるのはかなり難易度が高いはずですが、まあそんなところに無駄な労力を使うなら、普通に撮影して別のテクニックに時間をかければよかったのにと同情してしまいますね。

鏡にしか映らないロバート・モンゴメリーは俳優としてはほとんど個性もなく魅力に欠けますが、ヒロイン役のオードリー・トッターはプロポーションも抜群の美女で、マーロウとキスする場面ではキャメラに近寄って超クローズアップになってキスをします。とはいっても近づき過ぎて画面は真っ黒になってしまうのですが。その点でいえば、本作に出てくる登場人物全員がキャメラ目線で演技をしているんですよね。通常の映画ではキャメラそのものにアイコンタクトするのはNGですので、キャメラ目線が全面的に許された数少ない作品なのかもしれません。

本作のあと一人称キャメラに挑戦した映画はたぶん存在していないと思いますが、実はこの手法をひとつのジャンルとして確立してしまったのが日本のアダルトビデオ。「完全主観」とか「妄想主観」とか銘打って、ビデオを見る人の主観になってビデオカメラがいろいろなものを撮るというシリーズが数多く作られています。アダルトビデオ業界に大きな影響を与えたという意味では、ロバート・モンゴメリーに敬意を払うべき人は結構いるのかもしれませんね。(A120421)

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