銀座化粧(昭和26年)

成瀬巳喜男監督が銀座の夜の街で働く女性を描いた物語で田中絹代が主演です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、成瀬巳喜男監督の『銀座化粧』です。原作は井上友一郎という作家の書いた小説で、岸松雄が脚色を担当しました。井上友一郎は戦後に風俗小説をたくさん書いていて映画化された作品も多いのですが、現在的にはほとんど忘れられた作家といっていいでしょう。本作は銀座の夜を彩るバーで働く女性が主人公で、アメリカ巡業から帰ってバッシングを浴びていた時期の田中絹代が演じています。女性を描くことを得意としていた成瀬巳喜男にぴったりの素材で、戦争の惨禍から復興したばかりの銀座が映像として残されているのも見どころになっています。

【ご覧になる前に】キャメラマンはハリウッドで助手経験もある三村明です

銀座のバー「ベラミ」で働く雪子は新富町で長唄を教えている杵屋佐久の二階に間借りをしていて、息子の春雄と暮らしています。戦前に雪子を囲っていた藤村は今ではおちぶれて今日も雪子のところに来て金をせびって帰っていきました。ベラミでは妹分の京子が相手をしていた客が無銭飲食を働き、雪子は京子をかばってその分くらいは自分で稼ぐからと慰めます。雪子が友人の静江の新宅に挨拶に行くと、ちょうど静江の情夫の葛西が出かけるところで、静江は雪子に早く適当な男を見つけて再婚しろと勧めます。しかし雪子は春雄を身籠ったとたんに姿を消してしまった夫を思い起こして、二度と結婚はしないと思うのでした…。

成瀬巳喜男は松竹蒲田撮影所に小道具係として入社してやっとのことで監督に昇進した苦労人で、『双眸』という作品で松竹の看板女優だった田中絹代と一度だけ一緒に仕事をした記録が残っています。その後すぐに成瀬巳喜男は東宝の前身にあたるPCLに移籍してしまいましたので、再度成瀬が田中絹代と組んだのは昭和20年6月公開の『三十三間堂通し矢物語』という時代劇。戦時下でもあり東宝製作作品なのに松竹の撮影所が使われて、田中絹代が貸し出された国策映画のひとつでした。そんな経緯もありますから、本作は成瀬巳喜男が新東宝という新しい映画会社でやっと田中絹代をまともに主演女優として起用できた作品になるわけです。

脚色を担当した岸松雄は、もとは「キネマ旬報」誌で映画評論を書いていたところを清水宏監督に勧められて東宝に入社して助監督になったんだそうです。『小原庄助さん』のような清水宏監督作品で共同脚本にクレジットされていますので、清水宏もある程度映画界に引き込んだ責任を感じていたのかもしれません。。そんなわけで脚本作品が少ないまま、岸松雄は昭和40年代になると再び映画評論の世界に戻っていきました。

キャメラマンの三村明は若くして渡米し、ニューヨークで写真の専門学校で学んだあとハリウッドで撮影助手をつとめた人。昭和9年に帰国するとPCLに入社し、東宝に変わった後には山中貞雄の『人情紙風船』や黒澤明監督のデビュー作『姿三四郎』で撮影を担当しています。そして戦争が終結した直後には原爆投下後の広島の惨状を記録するために編成された米軍の撮影隊にただひとりの日本人として参加し、カラーフィルムで広島を撮影しました。新東宝設立に関与していたことで本作のキャメラを担当したようですが、日活が映画製作を再開すると日活に移って唯一の監督作品『消えた中隊』を残しています。

出演は田中絹代の妹分京子役に香川京子。田中絹代と香川京子は本作の翌年には成瀬巳喜男監督の『おかあさん』で母娘役で共演することになります。また男優陣が豊作でして、三島雅夫や小杉義男、柳永二郎、田中春男など戦後日本映画の名脇役たちが顔を揃えているのも嬉しいところです。

【ご覧になった後で】銀座の街の賑わいが生き生きと記録された佳作でした

いかがでしたか?まず目を引くのが銀座の街並みで、三越なめで和光が映る銀座四丁目の光景やまだ市電が走っている銀座通りの賑わいが映し出される一方で、銀座から川を渡って東方面に行くと、狭い道に長屋が並ぶ新富町の庶民の家屋をキャメラがしっかりとらえます。あちらこちらを走り回る春雄がその案内役になるのもなかなかのセンスでしたが、西銀座のベラミに歩いて通う女給たちが銀座に隣接した下町に住んでいるリアリティが伝わってくるようでした。また新富町の通りには、自転車の紙芝居屋が子供を集めたり、チンドン屋の後ろには子供が数珠繋がりで歩いていたりと、復興してきたとはいえ、戦後まもない時期の貧しくも明るい下町の日常が描かれているのも、本作の魅力のひとつになっていました。

そんな中で田中絹代の周囲にいろいろこまごましたことが起こるという物語が展開されていきます。店が買収されてしまうのではないかとか、東野栄治郎のドケチオヤジに犯されそうになるとか、春雄が行方不明になって戻ってこないとか、いかにも田中絹代が不幸の波に飲まれそうになるのですが、ギリギリのところでその波を避けて普通の暮らしをなんとか維持していきます。その薄氷を踏むようなスレスレ感がなんてことない映画なのにスリリングな雰囲気を醸し出していて、これは脚本のうまさだと思いますが、観客の興味をつかんで離さない話術が本作にはあるのです。

それを映像にしてタンタンタンと織物を織るようにして職人技風に見せていく成瀬巳喜男の演出がまた巧いんですよね。春雄が勉強机に向っているのを横から撮ったショットをはさんだり、部屋の掃除風景や玄関に警報機をつけた戸をはめこむのを何気なく挿入して、夜の街を題材にした映画に明るい陽光を注ぐようにしてそれとは別の日常風景も同時並行的に描くあたりがまさに職人技だと思います。特に街を走る春雄のショットはどれも写真作品のような構図をもっていて、ここらへんは三村明の手腕なのかもしれませんけど、「銀座の子供」とタイトルしたいくらいの記録映画的な味わいを加えています。雨降りの中を走って帰って来て、店の軒先にかかっている傘で一時的に雨宿りするなんてショットは本当に印象深かったですよね。

また成瀬巳喜男にしては移動ショットも多用していて、杵屋の看板から二階の部屋に向ってキャメラが上昇する開巻まもないショットはクレーンを使って撮影していますし、バーの客席を映すショットでもドリーが使われたやや長めの尺のショットが入ります。こうした移動ショットに成瀬巳喜男特有の家屋の中を隣の部屋から撮ったフルショットが加わるので、いつも以上に室内をフィックスで撮った映像が引き立つんですよね。本当に安心して見ていられる、というか、見ているうちにいつのまにか安心させられてしまい映画の中のキャラクターたちに寄り添うような気分になってしまうのです。

映画の登場人物ではやっぱり田中絹代演じる雪子が非常に魅力的な女性に見えますので、田舎から出てきた「ぼうや」の朴訥な様子に心を惹かれてしまい、いつのまにか結婚を夢想するようになってしまう気持ちの移ろいを共感的に見ることができます。このときの田中絹代はアメリカから帰国したばかりで「アメション女優」といわれながらバッシングを受けていた時期。ちょうど小津安二郎の『宗方姉妹』と溝口健二の『お遊さま』にはさまれたあたりの出演作で、田中絹代としてはなんとかして演技で観客の信頼を取り戻すしかないという意気込みがあったのかもしれません。それでも田中絹代が本格的に日本を代表する女優の座に返り咲くのは本作の一年後に公開された『西鶴一代女』まで待つことになるのでした。

「ぼうや」を演じた堀雄二は東宝ニューフェイスの一期生で、三船敏郎や久我美子の同期なんですね。映画俳優というにはちょっと地味なキャラクターなので、本作のような田舎の素封家の次男坊で、天文学や文学に興味があるという青年役にはピッタリでした。成瀬巳喜男は二年後の『あにいもうと』でも堀雄二を煮え切らない製麺店の跡取り息子で起用していますので、俳優に適役を与える配役の妙を心得ていた人だったんですね。(A071422)

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