大冒険(昭和40年)

ハナ肇とクレージーキャッツの結成10周年を記念して製作された冒険活劇です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、古沢憲吾監督の『大冒険』です。昭和36年に「スーダラ節」が大ヒットして歌とコントで芸能界の人気グループとなったハナ肇とクレージーキャッツは、昭和37年の『ニッポン無責任時代』を皮切りにして東宝で映画出演を続けました。本作は「クレージー作戦シリーズ」の中の一本で、クレージーキャッツが結成されて10周年を迎えた昭和40年秋に公開され、その年の日本映画配給収入第7位となる大ヒットを記録しました。ニセ札事件に巻き込まれる主人公を植木等が軽快に演じる冒険あり笑いあり歌ありの東宝らしい娯楽作品です。

【ご覧になる前に】クレージーキャッツ7人の個性を生かした配役が見どころ

世界各国のTVニュースがニセ札事件を大々的に報じている中で、日本政府でも総理大臣を中心として対策会議が開かれ、警視庁は国内でニセの一万円札が出回る可能性があるとして極秘捜査を開始します。かたや渋谷に近いアパートでは雑誌記者の植松が体操をしているところ、隣室に住む友人の谷井が発明実験を失敗して壁に大穴を開けてしまいます。谷井の妹で植松と幼なじみの悦子は、勤務先の社交クラブである会社の跡取り息子が眼鏡をかけた女性から多額の融資を受ける場に立ち会います。その札束はすべて国際陰謀団が作ったニセ札で、悦子に会いに来た植松は跡取り息子を追いかけるのでしたが…。

最盛期には12億人あった日本の映画人口(映画館に行った延べ人数)は昭和40年には4億人を切るまで減少していました。凋落する日本映画界においてメジャー5社の力関係はあまり変化がなく、会社別配給収入では東映が第1位を独走してきたのですが、昭和40年に東宝がトップの座を奪います。東宝54億9千万円、東映54億5千万円とその差はわずか。「網走番外地シリーズ」などを連打する東映を東宝が上回ったのは、黒澤明監督の『赤ひげ』が作品別配給収入の1位となったこととクレージー映画でヒットを飛ばしたことが要因でした。この『大冒険』が7位、『無責任清水港』が8位とクレージーキャッツシリーズは東宝のドル箱のひとつになっていたのです。

TVの人気者だったクレージーキャッツをどの映画会社が獲得するか、各社の激しい争奪戦が繰り広げられた結果、クレージーキャッツは大映を選択して、映画初出演作『スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねえ』が昭和37年3月に封切られます。しかし大映のカラーが合わず興行的にパッとしなかったため、クレージーキャッツが所属していた渡辺プロダクション社長渡辺晋は東宝への鞍替えを決断して『ニッポン無責任時代』が製作されることに。続編の『ニッポン無責任野郎』がそれを上回るヒット作になって、東宝製作責任者藤本真澄は渡辺晋を契約プロデューサーとして東宝に迎え入れます。ここに東宝クレージー映画のベースが出来上がったのでした。

「クレージーキャッツ結成10周年記念」と銘打った本作は藤本真澄自ら陣頭指揮して立てた企画でした。クレージー映画も2年が経過すると次第にマンネリ化しつつあり、藤本はスケールの大きいアクション喜劇映画を作ろうと、ストーリー原案を新藤兼人に依頼し、そのシナリオ化を笠原良三に命じました。「社長シリーズ」や「若大将シリーズ」を手がけた笠原良三にとっては、原案を新藤兼人に書かせたのが気に入らず、クランクイン直前になっても脚本は一行も書けていません。そこで藤本真澄は田波靖男を呼びつけ、数日中にシナリオを完成させろと厳命します。

田波靖男は助監督試験に合格して東宝に入社したものの、芥川賞を受賞した石原慎太郎が退職して欠員が出た文芸部に配属になったという経歴の持ち主。原節子が主役を演じた最後の作品『慕情の人』でシナリオデビューして、「若大将シリーズ」の主筆になった田波靖男は、ちょうど東宝と脚本家として専属契約を結んだばかりだったそうで、帝国ホテルに缶詰めにされた二人は、前半を笠原良三、後半を田波靖男と作業分担してシナリオを書き上げました。ちなみに専属契約というのは、脚本でメシを食うということで、東宝文芸部の社員だった田波靖男は会社から退職届を書かされ東宝を辞めたうえで専属契約を結ぶことになりました。もちろん社員でいるよりも高い報酬を得られるんでしょうけど、いきなりフリーのシナリオライターにさせられた田波靖男は映画界の先行きをどう思っていたんでしょうか。

『ニッポン無責任時代』『ニッポン無責任野郎』から始まった東宝のクレージー映画には、植木等が主演する「日本一シリーズ」とクレージーキャッツのメンバー全員が出演する「クレージー作戦シリーズ」がありました。本作は「クレージー作戦シリーズ」の5作目という位置づけで、メンバー7人がそれぞれの個性を生かした役を演じています。主人公の雑誌記者を植木等、その友人発明家を谷啓が演じ、刑事トリオはハナ肇・犬塚弘・石橋エータロー、雑誌編集長が桜井センリで、社長跡取りが安田伸という具合です。それぞれに出番がきちんと用意されてセリフもあるので、メンバー7人がうまく配置されているところも見どころのひとつになっています。

【ご覧になった後で】ロケとセットの組み合わせがスケール感を出しています

いかがでしたか?藤本真澄の肝いりでマンネリから脱しようと企図した通りに、冒険あり笑いあり歌ありの見ていて楽しい娯楽作品になっていましたね。東京から名古屋、神戸へと移動してニセ札偽造団の本拠地である海上の小島に辿り着く舞台転換の多彩さとそれをロケーション撮影とセット撮影の組み合わせでうまく見せていく美術スタッフの腕の確かさが、本作をスケールの大きな冒険活劇に見せていたファクターだったと思います。

東京は渋谷近くのアパートからオフィス街のビル、まだ交通量の少ない幹線道路までがうまく使われていましたし、前年に開通したばかりの新幹線の車内から名古屋で下車するといきなり犬山城に飛ぶところも見事な省略法でした。神戸の場面はクラシックなロッジ風高級ホテルは大団円でも出てくる赤坂プリンスホテルの使い回しでしたし、たぶん港の場面も横浜で撮影されているような気がします。またセットは通常の場面は村木忍が担当しているので、それまでの「日本一シリーズ」の雰囲気を継承している一方で、ニセ札団の秘密基地や潜水艦などSFっぽいシーンでは特技監督円谷英二のもとで美術を担当していた渡辺明の仕事が光っていました。『地球防衛軍』や『海底軍艦』で特撮場面の美術をやった渡辺明にとっては本作は肩の力を抜いて自由にやれたのではないでしょうか。

本作を見ていて一番びっくりさせられたのは、危険なシーンもほとんどスタントなしで植木等が演じていること。車の屋根につかまって道路を疾走するなんてのは当たり前で、ビルの屋上から飛び降りる場面も何かあったら本当に墜落してしまうんではないかというギリギリまで植木等がやっています。そして女優の団令子までもが阿蘇山あたりでロケしたのかと思われる秘密基地の山の斜面を自ら転がるようにして演じています。もう当時の俳優さんたちのプロ根性というか、撮影現場のリスクマネジメント力の欠如というか、何か事故が起きてからでは遅いというくらいスタントなしの真剣アクションが見どころでした。

クレージーキャッツのメンバーは元はジャズミュージシャンで、谷啓はジャズ専門誌の人気投票でトロンボーン部門の常連だったそうですから、演技は本分ではない人たちです。それでもそれぞれが個性を生かして役になりきっていて、本作ではそれが非常にハマっているので退屈することなく、映画に集中できました。刑事トリオの中でもきちんと三人のキャラクターが描き分けられていたり、桜井センリの雑誌編集長がいかにも当時のマスコミっぽい感じを出していたりしたのは、数日で書き上げた笠原良三と田波靖男の腕前だったんでしょうか。もちろんタイアップですが、サントリーの工場でビール瓶の栓を数倍のスピードで締めていく装置を開発する谷啓も見せ場が多くて準主役の活躍ぶりでしたね。

クレージーキャッツ以外の豪華な出演陣も東宝らしさを感じさせるゴージャスなものでした。森繁久彌の総理大臣、越路吹雪のニセ札団幹部、柳永二郎の日銀総裁、佐々木孝丸の警視総監、村上冬樹の捜査本部長、清水元のビール会社社長、中村哲のニセ札団支部長、人見明のパトカー警官、由利徹の検問する警官など、東宝俳優陣の層の厚さを存分の発揮したバラエティの豊かさでした。

そして大団円はクレージーキャッツの7人がクレージーキャッツとして結婚披露宴のゲストとして歌い踊るミュージカル風演出になります。このようなキレのある転換は古沢憲吾監督の持ち味でもあったんでしょうけど、やっぱりクレージーキャッツのメンバーがもっている「品の良さ」があってこその大団円ではないかと思います。しかしながら映画冒頭のクレジットタイトルでは「クレージィキャッツ」と赤いタイトル文字が飛び出てきたのに対して、エンディングで裏返しになる看板には「クレージーキャッツ」と表記されていて、主演のグループ名がひとつの映画の中で統一されていないいい加減さには、当時の映画製作現場のおおらかさを感じないではいられません。黒澤組では絶対に許されないことが、古沢組では「細かいことはどうでもいいよ」と気にもされなかったんでしょうかね。(T062624)

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