昭和三十年代

日本映画

あなたと私の合言葉 さようなら、今日は(昭和34年)

父親と二人の娘がいる家庭を舞台にしたホームドラマで、父親を佐分利信、娘を若尾文子が演じています。オリジナル脚本の久里子亭は市川崑と妻和田夏十が共作したときの合同ペンネームでアガサ・クリスティをもじってつけられたもので、京マチ子や川口浩がからむ恋愛喜劇に仕立てました。
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ゼロの焦点(昭和36年)

松本清張が書いた原作は昭和34年の末に光文社の「カッパ・ノベルス」の第一弾として刊行されました。連載休止をはさみながらなんとか完成した小説を松竹の野村芳太郎監督が映画化し、いわゆる清張ものを代表する作品のひとつとなっています。
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高度7000米 恐怖の四時間(昭和34年)

出演当時二十八歳の高倉健がパイロットを演じていて、場面が空港から機内へ移り、空と地上がカットバックされる展開はまさにパニック映画の王道で、東映東京撮影所で現代劇を中心に撮っていた小林恒夫監督の手堅い演出が光る一作です。
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女中ッ子(昭和30年)

主人公は秋田から女中をしに上京してきた織本初。奉公先の次男坊がはじめは「はつ」と呼び捨てにするのに、徐々に「はっちゃん」と慕うようになる過程がとても丁寧に描かれていて、女中が主人公のホームドラマになっています。
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秋津温泉(昭和37年)

岡田茉莉子が自身の映画出演が100本に到達するというので、当時のベストセラー作家だった藤原審爾の出世作「秋津温泉」を映画化することを自ら提案した作品で、昭和37年度のキネマ旬報ベストテンで第10位に選ばれるなど高評価を得ました。
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花くらべ狸道中(昭和36年)

大映では昭和34年の年末に市川雷蔵と勝新太郎の共演で『初春狸御殿』が作られていて、そこそこ評判が良かったのでしょうか、翌年も正月映画として「狸御殿」ものを公開することになり、田中徳三監督の本作が完成したのでした。
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女は二度生まれる(昭和36年)

松竹出身の川島雄三は日活へ移り、さらに東宝系製作会社の東京映画に移籍しました。その東京映画在籍中に大映に出向いて若尾文子主演の映画を三本撮っているのですが、この『女は二度生まれる』はそのうちのひとつです。
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笛吹川(昭和35年)

この『笛吹川』も『楢山節考』と同じく深沢七郎の小説を映画化したもので、戦国時代の甲州の貧農たちを年代記風に描いた叙事詩的な作品に仕上がっています。白黒の画面に青や赤などの原色を着色するパートカラーになっているところも見どころです。
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炎上(昭和33年)

日本映画には「文芸もの」ともいえるジャンルが確実に存在していて、近代文学から現代文学まで小説を映画化した作品は山ほどあるのですが、その中でも『炎上』はトップクラスにランクされる金字塔的作品なのではないでしょうか。
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みれん(昭和38年)

出家して寂聴を名乗る前の瀬戸内晴美が書いた『夏の終わり』という小説で、瀬戸内晴美はこの作品で昭和38年度女流文学賞を受賞しています。映画化にあたっては、瀬戸内晴美本人がモデルとなっている主人公を池内淳子が演じています。
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