網走番外地(昭和40年)

「網走番外地シリーズ」の第一作の元ネタは『手錠のまゝの脱獄』でした

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、石井輝男監督の『網走番外地』です。東映は昭和38年の『人生劇場 飛車角』のヒット以降、任侠映画路線に傾斜していきますが、それと同時に後に社長となる岡田茂の「不良性感度」の高い企画を探っていました。そこでもともとは三國連太郎が企画した網走監獄から囚人たちが脱獄するというアイディアに石井輝男がアメリカ映画の『手錠のまゝの脱獄』を加えて作られたのが、この『網走番外地』でした。伊藤一の原作は受刑囚とその妻との恋愛ロマンスもので昭和34年に日活で映画化されていますが、本作は網走刑務所という設定と題名だけを借りた全く別内容で製作されて、併映の『関東流れ者』を上回る支持を集めることになりました。本作を含めて「網走番外地シリーズ」は全18作が製作・公開されて、昭和40年代の日本映画を代表するシリーズものとなっていきます。

【ご覧になる前に】雪原の脱走場面はすべて北海道で現地ロケ撮影されました

網走駅に到着した列車から降りたのは手錠と腰縄でつながれた男たちで、その中にコートを着た橘がいました。収監された網走刑務所では雑居房の牢名主の依田が自分は八人殺しの鬼寅の兄貴分だと名乗り、新入りの囚人たちに自己紹介をさせます。傷害や窃盗、強姦といった罪を自慢し合う中で年長者の白髪の男だけはまだ刑期が25年も残っているとつぶやきます。極寒の中で森の伐採作業をしていると吸い殻をひとり占めする依田を見て橘は殴り合い寸前になるものの、怒りを抑えながら郷里に残った母親と妹のことを思い出し、兄妹のために不幸な再婚をした母親との再会を願うのでした。そうこうするうちに2年が経ち、橘は半年の刑期を残すだけとなったのですが…。

伊藤一の原作は、作者が実際に網走刑務所に入所したときの体験をもとにした小説で、昭和31年に発表されました。傷害罪で網走刑務所に入ったヤクザ男が看護婦になった女との文通のやりとりで励まされて更生して出所するというお話のようで、手紙のやりとりをするときには住所が必要なので、そこから「番外地」という題名になったのかもしれませんね、推測ですけど。昭和34年に日活で映画化された際には、浅丘ルリ子がヒロインを演じたそうです。

そんな原作を全く無視したのが東映で、最初に「網走刑務所から囚人が脱獄する」というアイディアを持ち込んだのは三國連太郎だったそうです。しかし『天草四郎時貞』が大コケした経緯があって、その責任の一端を問われた三國連太郎を主演させる線はなくなりました。その企画に目をつけたのが石井輝男で、スタンリー・クレイマー監督の『手錠のまゝの脱獄』にインスパイアされた石井輝男は、仲違いした二人が手錠につながれたまま脱走するという設定を網走刑務所にあてはめて『網走番外地』のタイトルだけを借用した脚本を書き上げたのでした。

不良性感度路線に沿った企画だったものの後に東映社長になる岡田茂は脚本を読んで、当時まだプログラムピクチャークラスだった高倉健の主演で女優の出演もないという脚本を見て、併映用の抱き合わせ作品の位置づけで白黒で撮れと厳命しました。スタッフはやむなく北海道の士別に出かけて全編白黒でのロケーション撮影を余儀なくされたんだとか。しかし公開されるやいなやメイン番組だった鶴田浩二主演の『関東流れ者』を上回る人気が出て、そうなると東映の上層部も手の平を返して石井輝男にシリーズ化を要求します。本作は昭和40年4月公開ですが、7月に『続網走番外地』、10月に『望郷篇』、12月に『北海篇』となんと半年の間に3作品が続けてシリーズとして製作されたのでした。

元ネタとなった『手錠のまゝの脱獄』は1958年のアメリカ映画で、トニー・カーティスとシドニー・ポワチエが主演していて、手錠でつながれた白人と黒人の囚人が移送中の事故に乗じて脱走するというお話。ずっと昔にTVの洋画劇場で放映されたときに見て、子供心に非常に感動した覚えがあるのですが、まだ公民権運動が起きる以前の1958年に白人と黒人の間の友情を描いた作品として、ハリウッドの中でも異色な存在の映画として知られています。もちろんこの『網走番外地』では人種問題は扱っていませんので、反目し合う二人の囚人が手錠でつながれたまま共に行動するという設定部分がそのまま転用されています。

【ご覧になった後で】常に動きまくる映像と個性豊かな俳優陣が印象的でした

いかがでしたか?石井輝男監督作品の特徴として有名な、ほとんど全編にわたってキャメラが安定することがなく常に映像が動くという演出が印象的で、それがどんどんと前のめりに物語を進行させる推進力になっていましたね。フィックスのショットは数えるくらいしかなくて、雑居房の場面と雪原に遠のいていく馬車をとらえたラストショット程度だったのではないでしょうか。とにかく登場人物の動きを執拗にとらえようとしてキャメラがパンしたりティルトしたりズームしたりを繰り返すので、落ち着いて見ていられず、そうこうしているうちに物語が先へ先へと進んでいく感じでした。

刑務所内の場面はスタジオセットですが、そのほかの屋外シーンはすべて北海道の現地ロケで撮影されているので、基本的には雪の白が画面の基調になっています。白い画面が多くなるので余計にキャメラを動かして映像に熱を帯びさせる必要があったのでしょう。また雪の上で撮影しているためにドリーを使うことができず、キャメラは三脚で一か所に固定されているはずです。あっちこっちに振り回すパンを多用したり、使い過ぎると安っぽくなるズームが頻出したりするのもキャメラ自体を動かすことができなかったためだと思われます。

そんな中で主演はもちろん高倉健なのですが、基本的には囚人たちの集団劇でもあるわけで、男くさい俳優たちの個性豊かな演技を楽しめる作品になっていました。牢名主の安部徹はやくざ映画に比べると狂暴性が落ちる感じでしたが、新入り仲間の田中邦衛は高倉健に口を曲げてモノマネされますし、待田京介のオカマっぽい演技や手錠で一緒に逃げる南原宏冶の濃過ぎる暑苦しさも見どころでした。保護司の丹波哲郎はここでもタイガー田中っぽい丹波哲郎キャラで通していますし、嵐寛寿郎は「実は」というどんでん返しの儲け役で、まあそういう役得がなけれな出演してないでしょうしね。

嵐寛寿郎の任侠的な脱走計画阻止劇があり、その後はいきなり雪原脱走劇に変化していくのですが、どこまで行っても雪景色は変わらないので映像に変化をもたらすためにいろいろな工夫がされていました。山小屋で一夜を明かす場面では生理現象や互いに抱き合って温め合うのを見せて、手錠でつながれた二人の妙な親密感を出していましたし、丹波哲郎に追い詰められてトロッコで逃げる場面では雪原を暴走するトロッコがスピード感とスリリングさを強調していました。石井輝男が『手錠のまゝの脱獄』のバリエーションをやりたかったことがこういう場面で反映されていたんではないですかね。

シリーズ化される第一作としてなかなかの出来栄えではあったものの、手錠を汽車の車輪で切断するところでいきなり南原宏冶だけが瀕死の重傷を負っているのは何でだったんでしょうか。手錠が切れるとなぜか南原宏冶がゴロゴロと坂を転げ落ちて、いつの間にか血だらけになっているのが、どうにも解せませんでした。このクライマックスまでそれなりに盛り上げてきたならば、本来は安全な線路の外側に汽車の蒸気が噴射されて火傷を負うとか、カーブで汽車に積まれた荷物が落ちてきて押しつぶされるとか、南原宏冶を助ければならぬ状況をもっとリアルに描いてほしかったと思います。

高倉健が刑期満了まで半年とか仮釈放許可が実は下りていたとか母親が手術して容態が好転したとか、脱走したことを後悔させる設定は満載なのに、最後に南原宏冶の命を助けることを優先させるきっかけが南原宏冶の「おっかさん」というつぶやきだけというのはあまりに安易だったのは残念な点でした。(U022223)

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