新・平家物語(昭和30年)

溝口健二監督による『楊貴妃』に続くカラー作品で市川雷蔵が主演しています

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、溝口健二監督の『新・平家物語』です。溝口健二は昭和30年5月公開の『楊貴妃』で初めてカラー作品を作りましたが、同年9月に公開された本作もイーストマンカラーで撮影され、溝口の歴代作品の中でカラーはこの二本だけが残されることになりました。市川雷蔵は前年に歌舞伎から映画の世界に転身をはかったばかりの頃で、本作での主演は雷蔵にとって大きなスプリングボードになったのでした。

【ご覧になる前に】翌年に衣笠貞之助と島耕二によって続編・続々編が公開

平安末期の京の都に平忠盛率いる軍勢が帰還するのを群衆が出迎えるところへ公卿の行列がやってきて道を開けさせます。忠盛の西方討伐の労をねぎらうという鳥羽上皇に釘を刺したのは関白忠道で、屋敷に戻った忠盛は朝廷から何の恩賞も届かない代わりに息子清盛に馬を売るように命じてその金で兵たちに酒を与えます。朝廷からの扱いを不満に思う清盛は官位をもつ藤原時信を訪ねますが、そこで糸染め作業に精を出す娘時子と出会うのでした…。

昭和を代表する国民的文学作家の吉川英治は「鳴門秘帖」などの時代小説をヒットさせると、昭和10年から「宮本武蔵」の連載を開始します。朝日新聞に4年間掲載された「宮本武蔵」は日中戦争が泥沼化していった世相の中で剣の道を極める求道者として武蔵を造形したことから絶大な人気を獲得しました。戦時中は日本文学報国会理事を務めながら軍隊小説を執筆していた吉川英治は、敗戦のショックで一時的に筆を折ることになりましたが、小説家として本格的な復活を果たしたのがこの「新・平家物語」。週刊朝日に7年間連載された小説で第一回菊池寛賞を受賞した吉川英治は、昭和35年には文化勲章も受勲しています。

小説がまだ週刊誌に連載中だった昭和30年に「新・平家物語」をカラーで映画化したのは大映でした。政治家と太いパイプを持つ大映の永田雅一社長は、黒澤明監督の『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭でグランプリを獲得すると、外貨獲得のために日本映画を海外に輸出しようという計画を立てます。そのためには日本古来のコスチュームプレイである時代劇をカラーで撮影する必要があるとして昭和28年に京マチ子が色鮮やかな着物を身につけた『地獄門』を製作。見事にカンヌ国際映画祭グランプリとアカデミー賞名誉賞(当時の外国語映画賞)をゲットしたのでした。

『地獄門』の成功によって大映のカラー時代劇シリーズは継続され、その波に日本映画界を代表するマエストロ溝口健二も巻き込まれることになりました。松竹を退社して戦後フリーになった溝口健二は一時期スランプに陥ったものの新東宝で撮った『西鶴一代女』でヴェネツィア国際映画祭国際賞を受賞して完全復活。大映と専属契約を交わすと昭和28年に『雨月物語』『祇園囃子』、昭和29年に『山椒大夫』『噂の女』『近松物語』と名作を次々に発表して、国際映画祭3年連続受賞の快挙を果たしていました。続く『楊貴妃』は大映が香港のショウ・ブラザーズ社と合作で製作され、溝口健二は長い映画キャリアで初めてカラーで撮影することになりました。

大映の巨匠溝口によるカラー作品連打戦略は功を奏して、昭和30年度配給収入で『楊貴妃』が第7位、『新・平家物語』が第4位にランクされる大ヒットを記録。ちなみにトップは東映の『赤穂浪士 天の巻・地の巻』でこちらも忠臣蔵ものとしては初のカラー作品でした。『新・平家物語』のヒットは吉川英治の原作がまだ連載中だったこともあったでしょうが、歌舞伎から映画界に転身した市川雷蔵の映画デビュー2年目の主演作としても注目を集めたのではないかと思われます。いずれにしても大映は吉川英治原作の映画化をシリーズ展開することになり、四か月後の昭和31年1月に衣笠貞之助監督・長谷川一夫主演の『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』、同年11月に島耕二監督・淡島千景主演の『新・平家物語 静と義経』を連続して公開していきます。もちろん続編・続々編ともにカラーで撮影されました。

脚本は溝口健二とコンビを組んだ依田義賢と成澤昌茂・辻久一の共同によるもので、成澤は『噂の女』『楊貴妃』に続く共同脚本への参加です。大映というか日本映画界を代表するキャメラマン宮川一夫は溝口が移籍前に大映で撮った『お遊さま』ではじめて溝口作品の撮影を担当して、溝口が大映に移籍した後は『雨月物語』から遺作『赤線地帯』まで『楊貴妃』を除く全作品でキャメラを回しました。そして音楽の早坂文雄は本作が劇場公開された一か月の昭和30年10月に四十一歳の若さで夭折したのでした。

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いかがでしたか?2004年にフィルムセンターと角川映画が共同でデジタル復元したレストアバージョンでの上映でしたのでイーストマンカラーによる映像はやや黄味がかった発色を含めて公開当時の鮮やかさが堪能できました。一方で残念ながら音声は製作当時から聞き取りにくかったのではないかと想像されるほど明瞭さに欠けていて、特に市川雷蔵演じる平清盛のセリフは半分くらい耳に入ってきませんでした。東京国際映画祭の一環として上映されたおかげで英語字幕がついていて、なんとなく意味が追えたのは不幸中の幸いでした。

開巻直後に京の市場の賑わいの情景を映した俯瞰&クレーン移動による超ロングショットから始まったのを見て、カラーになっても溝口らしい長回し移動ショットの世界が展開されるのかと思わされたのですが、序盤でその予想は見事に裏切られます。朝廷の行列、頭を下げる忠盛の軍勢、山法師たちとの一触即発などのシーンが短めのショットで構成されていて、平安末期の貴族と武士と僧兵の関係がリズムよく紹介されていきます。鳥羽上皇の思いが摂政関白によって下達されずに忠盛の軍勢が朝廷に不満をもつというストーリーラインを観客に伝えるために、溝口健二がいつもの流麗な筆致を封印して、あたかも新聞連載小説のようなわかりやすさを優先しているかのようでした。

結局のところそのタッチは1時間50分弱の上映時間で一度も変わることがなく、これぞ溝口健二というような印象的なショットはほとんど見ることができませんでした。唯一の見どころは林成年演じる時忠と河野秋武の平六の起こした騒動から山法師たちが一斉蜂起するシーン。夕闇の森の中を松明を掲げて大蛇のような大行列で出兵するのを横移動のロングショットでとらえたダイナミズムは、数えきれないほどの人数のエキストラを集めた労苦をしのばせていかにも壮観といった趣きがありました。

溝口健二的な「長回し×ロング×移動」ショットが見られたのがここだけだったのは映像演出面では物足りなかったものの、映像を構成する要素はとても丁寧に作りこまれていて、大映に移籍した溝口健二を支えた京都撮影所スタッフの職人技が凝縮されていたような気がします。たとえば京都の寺社を生かしたロケーション撮影とセットの組み合わせ。市井の賑わいを映すショットは本法寺、時忠が山法師と騒動を起こす祭りの場面は上賀茂神社、清盛が神輿を射抜くクライマックスは日吉大社でロケーション撮影されたようで、どの場面もそれらのロケーションのうえに群衆・衣装・小道具と日照り・埃っぽさが巧みに混ぜ合わされていて、騒乱続きの当時の雰囲気が形成されていました。

また美術セットでは久我美子演じる時子が染め糸を洗う丸い水場を拵えた時忠邸の品の良さが印象的ですし、土塀や土間・板間で構成された忠盛の屋敷は武士の無骨さが美術で表現されていました。清盛が進藤英太郎演じる伴卜と出会う市場のごった煮的な猥雑さも見事でしたよね。これらはもちろん溝口健二の盟友である水谷浩の仕事で、新興キネマ時代から溝口の現場を支えていた水谷浩だからこそ俳優以外に画面に映るものすべてを完璧にコントロールできたのではないでしょうか。

そしてカラー作品としての豪華絢爛さに貢献していたのが衣装の数々でした。衣装担当の上野芳生は『噂の女』で溝口と組んだことがあり、市川崑の『鍵』や小林正樹の『怪談』でも衣装デザインや監修をつとめた人。加えて色彩監修を担った和田三造(「みつぞう」と読むそうです)は『地獄門』でアカデミー賞衣装デザイン賞(カラー)を受賞していまして、授賞式でオスカー像を受け取ったのは大映社長永田雅一でした。着物の美しさと色彩の見事さは言うに及びませんけど、キャラクターに合わせたデザインにも注目で、木暮実千代演じる白拍子の泰子の着物は表着の下に打衣や単衣が見当たらず、ビスチェドレスみたいな衣装の胸元はバストの割れ目を強調しているようでした。これは時代考証的にはたぶんあり得ない着こなしなのですが、白河法皇の種を宿したまま忠盛に嫁いで清盛を産み落とした自由奔放な悪女としてのキャラクターに見事に合致していて、カラー映像の特色をうまく生かした映像表現だったと思います。

あと細かいところでは音の扱い。官位を授けられて貴族になると牛車が与えられるのですが、牛車の動きに合わせて「ギィーコ、ギココ」という木の車輪が軋む音が響きます。この音がなんだか滑稽さの象徴のように観客に聞こえるわけで、十朱久雄の関白や千田是也の左大臣などの貴族たちが権威にすがって自己保身を図るだけの浅はかな人種であることを表現していたのでした。

このようなプロフェッショナルなスタッフに支えられて豪華絢爛な時代劇ドラマが作られたわけですが、清盛の成長物語として本作をとらえ直すと主人公清盛の内面がうまく描けているとは言えず、長大な原作全部を映画化しているわけでもないので、竜頭蛇尾っぽい印象で終わってしまうのは否定できませんでした。市川雷蔵はセリフが聞き取りにくいことからもわかるように、やや力み過ぎていて気負いが先行していました。メイクアップも跳ね上がった眉毛が不自然でしたし、もっと溌溂とした若さや出自への悩みを表現したいところでした。まあ映画界転身2年目ではまだ歌舞伎の舞台向きの大仰さから抜け出ていなかったのかもしれません。

そしてあれだけの大人数で騒乱を起こそうとしている山法師たちが、神輿に放った清盛の二本の矢だけで恐れ慄いて退却してしまうのも本編のクライマックスとしてはちょっと拍子抜けでしたよね。何人たりとも手出しができない神聖なものに矢を放つみたいな設定だったならば、その神聖さを観客に伝えておいてもらわないと何が恐れ多いのか理解できません。これは脚本の手落ちの一例で、1時間50分で清盛が人間的にどう変化したのかが描きこまれていなかったのは残念な点でした。

とはいうものの作家性を抑制した溝口健二が豪華絢爛な時代劇ドラマとしてカラー作品で観客動員を成功させようとしたことは間違いではなかったと思われます。結果的に興行的にも大ヒットしたわけで、映画が公開された9月に開かれた大映の株主総会で取締役に選出され「重役監督」となった溝口健二としては大映の経営に責任を持つ立場を全うしたことになりました。本作の成功は「新・平家物語」の映画化シリーズにつながりましたし、溝口自身も娼婦たちを主人公にした『赤線地帯』を次回作として撮ることができましたから、職業監督にはこのような作品を製作することも必要だったのかもしれません。

余談ですが、昭和25年から記録が始まった邦画配給収入ベストテンでは、小津安二郎は昭和26年の『麦秋』、27年の『お茶漬けの味』、28年の『東京物語』でランキングされていますし、黒澤明も昭和29年の『七人の侍』が3位に入っています。統計が発表されるようになってから溝口健二だけがランク入りしていなかったわけで、昭和30年に『楊貴妃』『新・平家物語』の二本がベストテンになったことで溝口健二も留飲を下げたのではないでしょうか。もちろん推測に過ぎませんけど。(T102926)

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