「子ども会」ができるまでを会津若松市でロケーション撮影して描いた中編
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、木村荘十二監督の『僕たちはギャングじゃない』です。会津若松市の全面的な協力を得て現地でロケーション撮影された作品で、上映時間48分の中編児童映画です。出演しているのは会津若松の地元の子供たちですが、松竹出身の坂本武や俳優座の阿部百合子などの俳優が大人の役で出ています。当時の会津若松の風景がモノクロ画面に収められているので貴重な映像アーカイブ作品でもあります。
【ご覧になる前に】戦時中に満州に渡った木村荘十二が帰国してからの作品
大自然の山々に囲まれた小さな町の道端では水飴売りの周りに子供たちが集まっています。リヤカーを引いて現れた小学生の男子数人が、粉末を水に溶かしたジュースを子供たちに販売し始め、お金のない子供にはおもちゃと物々交換を要求します。子供に小遣いをせびられた母親がその様子を見とがめ、子供が商売のマネなんかするなと言ってやめさせてしまいました。小学生の男子グループは集めたお金で隣町のケーブルカーに乗ろうと計画していたのでしたが…。
牛鍋店を手広く経営する家に生まれた木村荘十二は幼い時に父を亡くすと奉公に出されたものの、異母兄とともに「新しき村」で教育を受けることになりました。「新しき村」は大正7年に武者小路実篤らによって設立された村落共同体で、入村者たちによって自給自足の生活が営まれていました。
「新しき村」を出た木村荘十二は大正13年に映画界に入って昭和5年には新興キネマの『百姓万歳』で監督デビューを果たし順調なキャリアを歩み始めたのですが、二年後には労働争議の中心となってストライキを起こしたために解雇されてしまいました。木村はすぐに音画芸術研究所という独立プロダクションを興して『河向ふの青春』を製作し、その際の提携相手だったPCLに入ると主戦監督として『兄いもうと』『彦六大いに笑ふ』などを作りました。
昭和16年に満州国の国際映画会社として李香蘭主演作品などを製作していた満州映画協会に移籍し終戦まで活動を続けます。敗戦とともに満映にいた映画人は日本に帰還したのですが、木村荘十二は大陸に残る道を選び昭和24年に建国された中華人民共和国の文化工作に協力しました。昭和28年に日本に帰国後、木村荘十二は日本共産党に入党して児童映画や反核映画を製作するようになりました。
本作はMOMプロダクションの製作作品となっていて、MOMプロダクションは持永只仁が昭和35年に設立した人形アニメーション製作会社でした。実は持永も満映に在籍していて敗戦後の上海で人形アニメーション映画に取り組んだ人で、木村荘十二と同時期に帰国して人形映画製作所という独立プロダクションで日本初の人形アニメ作品を世に送り出しました。
持永とともにMOMプロダクションを立ち上げた松本酉三、大村英之助は社会派の実写映画プロデューサーで、MOMプロは人形アニメだけでなく学校や公民館での上映を目的とした教育映画や児童映画も手掛けていたのです。満映時代以降も大陸に残った木村荘十二と持永只仁は同じ境遇の中で知己を得たのではないかと思われ、帰国後に独立プロダクションの共同映画で『長崎の子』を監督した以降は桜映画という独立系でしか作品を作れなかった木村にMOMプロの持永が声をかけたのかもしれません。
【ご覧になった後で】子供の自然な演技が教育映画っぽさを感じさせません
いかがでしたか?小学校のときによく児童が学年単位で講堂に集められて映画を見せられた記憶があります。たぶん16mmフィルム映写機での上映会だったと思いますし、小学校の時間割は45分単位で午前4時限、午後2時限でしたから、本作も学校で上映しやすいように上映時間は45分程度で、たぶん16mmフィルムでプリントされたのではなかったでしょうか。もちろんカラー作品だとプリント代も高くつきますし、別にカラーで撮る必要もない内容ですから、スタンダードサイズのモノクロ画面を見ていても違和感はありませんでしたし、小学校の上映会が思い出されて懐かしい感じで見ることができました。
そのような児童映画というか教育映画であるにも関わらず教条主義的な抹香臭さを感じさせないのが本作の特徴で、冒頭から粉末ジュースで近所の子供から小遣いを巻き上げようとする悪ガキ集団を登場させて、片道ケーブルカーのための山登り騒動で大人たちを心配させます。リーダー格は一人の色黒少年ですが、ちょっと太めの男の子や幼い弟を連れてきてしまう野球帽少年など悪ガキがきちんと集団として描かれているので観客にそれぞれのキャラクターがきちんと伝わってくるのです。
加えて山登りの帰路で迷ってしまうんではないかとか無理やり連れてきた弟が怪我でもするんではないかという普通のドラマ的展開を予測する観客の心配をよそに、悪ガキどもはきちんと日暮れ過ぎには町に帰り着いてよかったよかったとなるのも児童映画ならではの脚本でした。ターゲットである小学生たちに恐怖心を植え付けるよりもちゃんと帰ってきたという安心感のほうが優先されるべきであって、前半の山登り騒動が後半の人形劇プロジェクトに収斂していく流れも真っ当な脚本だなと思わされました。
とはいっても「子ども会」だけであのような人形劇を上演できてしまうところはやや予定調和過ぎてしまって、終盤にかけての面白みは欠けてしまいました。みんなで劇を創り上げるという理想的な共同体が描かれているだけでしたけど、チームワークを乱す子がいたり手を動かさない子がいたりという集団行動の難しさを盛り込んでほしいところでした。もちろん45分程度の上映時間ではそこまで望めませんし、理想的な後半にしたいために前半でゴタゴタさせたわけですから仕方のないことだったでしょう。
それにしても子供たちの演技が一人ひとり非常に自然で、おまけに音声はアフレコではないかと思われますので、よく会津若松の子供たちが三脚に据えられたキャメラや大勢の大人のスタッフがいる前で普段通りの言動を再現できたなあと感心してしまいました。もしかしたら現地の子供ではなく東京の児童劇劇団所属の子役たちだったんでしょうか。でも大人数の子供を会津若松に滞在させて撮影するには予算的に無理があったと思われるのですが、そこらへんの詳細な情報はどこを探しても見つかりませんでした。
たぶん戦前の傑作『兄いもうと』を撮った木村荘十二ですから演技指導というか自然な表情の引き出し方などに独自のノウハウがあったのではないでしょうか。ショット構成も特に技巧を凝らすということはないのですが、小学生が普通に見られるようにオーソドックスなカッティングで一定のテンポを維持していました。悪ガキリーダーや優等生的男子などのキーキャラクターを映すときはあえてクローズアップを使うなどもわかりやすさを優先して撮っているんだなと思わされました。
いずれにしても小学校の講堂での上映会が再現されたような鑑賞機会になったのは非常に貴重な体験でした。当時の上映会のためにフィルムを主に提供していたのは教育映画配給社(教配)という団体だったようで、製作会社は羽仁進が所属していた岩波映画製作所や東映の教育映画部、木村荘十二の作品歴にも出てくる共同映画、桜映画社といったあたりでした。子供たちの健全な成長を促すという意味でインターネットなど存在しない当時としては16mmフィルムの上映会は教室の授業では味わえない映像体験を提供していたことでしょう。そんな児童映画が思想的に偏重していなかったのだと長い年月を経た現在になって確認できたことが本作鑑賞の収穫でもあったのでした。(T102226)

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