教室の子供たち(昭和29年)

文部省が岩波映画製作所に委託した羽仁進監督によるドキュメンタリー映画

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、羽仁進監督の『教室の子供たち』です。文部省が現職教員用として岩波映画製作所に委託して製作させた記録映画で、東京都墨田区の小学校で撮影されました。子供たちがキャメラを意識することなく生き生きと捉えられたことが高く評価されて、昭和30年度教育映画祭最高賞を受賞したほか、キネマ旬報短編映画ベストテン第3位に選出されました。ちなみにその年の短編映画トップは『ひとりの母の記録』という作品です。

【ご覧になる前に】授業・給食・放課後などの日常を記録した29分の短編

町工場の煙突が立ち並ぶ下町の一角にある小学校に子供たちが登校していきます。教室に集まった子供たちに担任教師は教育実習生を紹介しますが、子供たちは実習生の話には集中していない様子です。担任教師は職員室で実習生に生徒との接し方について助言を行い、威圧的に子供たちを叱る年配の男性教員の姿が映し出されます。身体検査の時間には男子も女子も上半身裸になって列を作り、授業中の子供たちの態度はひとりひとり違っていて、担任教師はそれぞれを評価するコメントを加えるのでした…。

舞台となったのは東京都墨田区の小学校で、小学二年生だと思われる子供たちのクラスが映像で記録されています。昭和29年に七歳だとするとちょうど戦後すぐに生まれた団塊の世代に相当します。昭和22年から24年の三年間に生まれた子供の人口は800万人。現在の一年間の出生数は70万人にも満たないので、当時のベビーブームがいかに激烈なものだったかがわかりますね。

そんな団塊世代を受け入れる学校側も急激な児童数の増加に戸惑っていたんでしょう。教育行政を担う文部省にとってはいろんな個性をもった大量の子供たちをいかに健やかに成長させるかは喫緊の課題であったと思われ、そうした背景から急増する児童数に適切に対処するためにも現職教職員用の補助教材が必要とされました。

文部省は役人ですから自ら教育映画を製作するわけはなく、専門業者に製作を委託することになりました。そして白羽の矢が立ったのは岩波映画製作所。北海道大学教授の中谷宇吉郎が昭和24年に設立した中谷プロダクションを前身とした岩波映画製作所は、岩波書店の小林勇、キャメラマンの吉野馨治が合流して、新しい科学映画の製作を目的としていて第一回作品は「凸レンズ」という記録映画でした。共同通信社の記者だった羽仁進がそこに加わって、岩波映画製作所は「産業映画」「科学映画」「教育映画」を三本柱とするようになっていきます。

小学校に通う子供たちの記録映画を任された羽仁進は、子供たちの自然な表情を撮るための隠しキャメラを止めて、子供たちがその存在に馴染むまでむき出しのキャメラを教室の一角に据えることにしました。隠すという行為は逆に探す対象になるので子供たちを意識させてしまいます。教室の中にいつもある備品のひとつにしてしまえば、黒板や机と同じようにキャメラもそこにあることが当たり前になるだろうという羽仁進の読みはズバリと当たり、最初は異形のものを見るようだった子供たちも何日か経つと興味を失くしてしまい、特にキャメラのレンズを意識しなくなったそうです。

とは言ってもキャメラは回すとモーターの回転音がするので助監督の羽田澄子が布団を改造した防音布でキャメラを覆って音が伝わりにくくしたんだとか。またキャメラから離れたところに座る子供の表情を捉えるために当時珍しかった望遠レンズを取りつけて、教室の奥までピント合わせを行ったらしいです。そのような努力が実って本作は短編ながら記録映画として高く評価され、本作をスプリングボードとして羽仁進は昭和36年に『不良少年』でキネマ旬報ベストテン第1位を獲得。昭和37年には松竹で『充たされた生活』を撮ってメジャーデビューを果たすことになるのでした。

【ご覧になった後で】製作主旨はともかく日常が記録された貴重な映像資料

いかがでしたか?昭和29年の東京下町の日常が記録されていて、非常に貴重な映像アーカイブと言える作品でした。墨田区といえば戦時中の本所区・向島区にあたり、隅田川東岸一帯は米軍のB52による絨毯爆撃でほぼ壊滅状態にさせられた地域。焼夷弾で焼き尽くされた下町が昭和29年には立錐の余地なく民家が立ち並び、大量の民家と共生するようにして町工場の煙突が無数に立ち上る光景は、戦後の復興の急激な変化の記録でもあり、高度成長に突入する前の混沌とした生活力のようなものを感じさせます。

ロングショットで捉えた遠景とは違って、小学校の教室に登校してくる子供たちはその他大勢として括られておらず、ひとりひとり個性のある人物としてフォーカスされています。本作が絶賛されているのは羽仁進がキャメラに慣れさせ、撮られていることを意識しない自然な子供の言動を映像化したことだったわけで、当時の子供たちがそんな表情をしていたのかとか授業を受ける態度はどうだったのかとかが包み隠さずそのままの姿で記録されていて、まさにその点では画期的な作品だったと思われます。給食当番がどのように各自の皿におかずを分配していたかもわかりますし、さらに言えばどんな献立を食べていたかも記録されています。健康診断で男女問わず隠すことなく上半身裸にさせられていた状況は、教育現場での子供たちの扱いを振り返るうえでも貴重な資料であると言えるでしょう。

一方で校庭で遊ぶ様子や器楽演奏の発表会などは、昭和後期になるとホームビデオの普及によっていろいろな家庭で映像記録が残されることになるので、そんなに変わり映えはしないように見えました。学校生活で映像に残されにくい授業や給食、グループ活動などの様子は特に資料的価値が高く、それが子供たちの自然な表情とともに映像化されたことが本作の価値そのものと言えるでしょう。

そのような映像アーカイブとしての価値が認められる一方で、当時の文部省が目指す理想の教師像の記録になっていることも本作のもうひとつの特徴になっていました。すなわち教師は未熟な子供たちを導き正しく成長させる聖職であるという基本的価値観です。「子供たちの自然な表情」というのは本作の映像面だけを抜き出した評価に過ぎないのでして、本作はある教師が実習生の見本としてあるべき教師像をナレーションしながら語る構成になっています。本作は現職教員用の映像教材として作られているので、ターゲットは新人もしくは経験年数の少ない若手教師で、そういう未熟な教員を中堅女性教員が悩みながらも導くという仕立てになっているのです。

あえて中堅と言ったのは前半で出てくるベテラン男性教師がいかにも威圧的に子供を叱る悪い例として取り上げられているからで、ここではいかつい表情で厳しい口調の男性教員と半べそかきながらシュンとした表情の子供たちが交互に映し出されます。実はここに大きな罠があるわけで、これは非常に恣意的なモンタージュであり、叱る教師とおびえる子供というカッティングをすることで、教師が叱ると子供は萎縮するという演出が施されているのです。もし本作が徹頭徹尾「自然な様子」を記録するのであれば、ここは教室全体を映すべきで教師と子供の反応を同時に映像化すべきです。モンタージュなんてするから「怒る教師」と「おびえる子供」が意図的な誘導に見えてしまうので、記録映画としての本作はこの部分を取り出して見ると、逆に非常に危険なプロパガンダにも思えてしまいます。

さらに驚くべきことには映画の終盤には子供たちの行動変化の推移を折れ線グラフ化したペーパーが映し出され、教師が子供の能力なり態度なりを査定している実態を映し出します。教師が子供ひとりひとりをいくつかの評価軸で点数化し横比較しているのを当然のように公にしているわけで、「自然な様子」を記録した映画の中にあって教師が子供たちの「自然な様子」を点数化し評価している事実を隠そうともしていません。小学校の教師にどんな専門力があるのか知りませんけど、学校にいる限られた時間で大勢の子供たちと接するだけでひとりずつの言動を査定できるもんなんでしょうか。このような教師のもとで点数化された団塊世代は、戦後になって民主化に急旋回させられて混乱した学校教育下で育てられたんだなあと、裏の記録を見せつけられたような気がしました。

もちろん当時は個人情報なんて概念もないわけですから、悪役にさせられた男性教師は本作が全国の教職員用教材として上映された後にはいたたまれない立場に追い込まれたことでしょうし、自分の思い通りにしたい頭の良い子といつもぼんやりして打ち解けない子などもその後中学・高校と進むにつけ、「あの映画のあいつか」と後ろ指さされることになったでしょう。なぜならこの映画は「演技」ではなく自然な表情を捉えた純粋な記録映画として誉れ高い作品だったのですから。現在的に見ると高邁な考え方をもつ教師が出来の悪い子供たちをいかに導くかという教員至上主義の価値観に支配されているように思えてなりません。キャメラに慣れさせたという映像面だけが取り上げられがちな本作ですが、賞賛する前に再検討が必要ではないかと思われます。(Y072526)

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