新源氏物語(昭和36年)

川口松太郎版の「源氏物語」を市川雷蔵主演で大映がカラー作品として映画化

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、森一生監督の『新源氏物語』です。平安時代中期に紫式部が書いた「源氏物語」は現代の作家たちによって現代語訳で出版されてきましたが、本作は雑誌週刊文春に連載された川口松太郎の「新源氏物語」を原作としています。主演は大映を代表する大スター市川雷蔵で、当時三十歳の雷蔵の美貌がカラー映像で残されました。一方、桐壺と藤壺の二役を演じた寿美花代は、宝塚歌劇団在籍中で二十九歳のときの出演作となります。

【ご覧になる前に】大映としては吉村公三郎監督版に続く二度目の映画化です

今宵も帝の閨に呼ばれて寵愛を受ける桐壺は、他の側室たちから魚の臭いを撒かれるなどの嫌がらせを受けながら、光源氏を産み落として亡くなってしまいます。成長した光源氏は京の都に知れ渡るほどの美男子で、左大臣の娘である葵の上を正妻に迎えますが、葵の上は頑なに心を閉ざしたまま打ち解けようとしません。そんなとき光源氏は御殿ですれ違った藤壺に目を奪われ、藤壺が産みの母桐壺と瓜二つと知り、侍従惟光の手引きで藤壺の寝室に忍び込むのでしたが…。

「源氏物語」の現代語訳に初めて挑んだのは与謝野晶子で、生涯に三度現代語訳を試み、現在でも読み継がれているのは昭和14年に完成した三度目の翻訳です。与謝野晶子に影響を受けたのかどうかわかりませんが、同時期に現代語訳に着手したのが谷崎潤一郎で、同じように谷崎も三度翻訳に挑み、昭和39年から出版された「潤一郎新々訳源氏物語」が決定版とされました。「与謝野源氏」「谷崎源氏」は現代日本文学の古典にもなっていますが、その後も円地文子や田辺聖子、瀬戸内寂聴、橋本治、角田光代ら多くの作家たちが、「源氏物語」の現代語訳を出しています。

11世紀の初め、しかも女流作家による作品ですから、シェークスピアが作品を発表した16世紀末から500年以上前に、はるか東洋の日本で世界初の長編小説が生み出されたことは驚き以外の何ものでもありません。日本史とともに古典として語り継がれてきた「源氏物語」でしたが、実は昭和に入ると「皇室を侮辱した内容である」と政府が出版や上演を禁じた時期もあったのです。まあ、言ってみれば不倫物語ですし、乱交小説でもあるわけで、天皇を神格化していた当時としては、皇室の尊厳に関わると判断されたんでしょう。実際に舞台での上演が警視庁によって差し止められる事件も起きています。

そのように禁忌とされていた「源氏物語」を蘇らせたのは、映画であり歌舞伎でした。昭和26年11月に公開された吉村公三郎監督の『源氏物語』は日本映画初の源氏の映画化作品で、大映のトップスターだった長谷川一夫が光源氏を演じ、藤壺には松竹から借りてきた木暮実千代が当てられました。この作品は大映社長の永田雅一が陣頭指揮を執ったと言われていて、というのも前年に公開された黒澤明の『羅生門』がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞して、輸出産業としての日本映画の価値に永田雅一が気づいたからでした。大映版『源氏物語』は翌年のカンヌ国際映画祭で撮影賞を受賞し、大映は『地獄門』など海外マーケットを意識したカラー時代劇の製作に乗り出していきます。

一方、歌舞伎界では六代目菊五郎を失って茫然自失といった時期に、『助六』で頭角をあらわした九代目市川海老蔵が次世代の歌舞伎役者として注目を浴びていました。その海老蔵に松竹が演じさせたのが光源氏で、歌舞伎版「源氏物語」は記録的な大入りとなり、海老蔵は女性ファンから「海老さま」と呼ばれて崇められたのでした。歌舞伎の「源氏物語」は昭和26年に上演されたという記録があるものの、上演月までは調べられませんでした。でも永田雅一はイノベーターというよりはエミュレーターでしたので、たぶん歌舞伎が評判になったのを見逃さず、紫式部の原作にはもう著作権もないわけですから、すぐに新藤兼人に脚本を書かせて、一気に映画化までもっていったのではないかと思われます。

そして本作は大映としては二度目の「源氏物語」となり、主演に人気絶頂の市川雷蔵を起用して、絢爛豪華なカラー作品に仕上げました。川口松太郎が週刊文春に「新源氏物語」を連載していたという背景もあったと思いますが、脚本をシナリオ界の大御所八尋不二が書き、キャメラマンは大映京都撮影所で時代劇を専門に撮っていた本多省三ですが、美術には『炎上』や『好色一代男』で市川崑・増村保造を支えた西岡善信が起用されました。

光源氏を市川雷蔵がやるのは当然の配役ながら、藤壺を寿美花代に任せたのはちょっとした冒険だったのではないでしょうか。というのも寿美花代は宝塚歌劇団では男役のトップスターでしたし、映画出演も宝塚所属なので当然ながら東宝の作品が中心でした。しかも昭和28年に『千姫』の脇役で映画初出演して昭和30年のまでに十本くらいの出演作があるだけで、その後はずっと舞台に専念していました。実際に本作出演時には二十九歳になっていて、当時の感覚ではやや年が行き過ぎているような気もします。ただ、本作が公開された年の紅白歌合戦に初出場していますので、もしかしたらレコードが大ヒットを飛ばして、そこに大映が目を付けたのかもしれません。

【ご覧になった後で】あらすじを追っているだけですが衣装や美術は見事です

いかがでしたか?桐壺から始まって、光源氏の出生から、葵の上との婚姻、藤壺との出会い、六条の御息女や朧月夜との密通など、源氏物語のダイジェスト版を見るようでしたね。とは言ってももちろん原書を読んだことはありませんし、現代語訳さえ読んでおりませんで、なんとなく知っているあらすじをそのままなぞって見せられているようでした。その意味では、源氏初心者でも十分に見やすく親しみやすいストーリー仕立てになっていたわけで、八尋不二の安定した脚色と森一生の特に違和感のない普通っぽい演出が、本作のような古典に向いていたのかもしれません。

その中でも見どころは衣裳の美しさと美術の確かさで、衣裳はカラー作品にふさわしく平安時代の絢爛豪華な着物を楽しむことができました。衣裳考証を担当した上野芳生は、大映京都撮影所で『山椒大夫』や『近松物語』など溝口健二作品での時代考証をやっていた人でした。また西岡善信の美術セットは、開放的な宮殿の造りを生かして光源氏と女性たちの房事が密室的な卑猥さにつながることなく、演技の中に自然と組み込まれるような流れを演出していたように思います。

で、当然ながら市川雷蔵の光源氏にからむ女優陣に目が行くわけですが、やっぱり寿美花代はミスキャストだったような気がしてしまい、美しい優雅さのようなものが表現されておらず、常に遠慮しているような奥ゆかしさばかりが前面に出てしまったのが残念でした。その点では六条をやった中田康子は、欲情に身悶えする熟れた女性の芳香のようなものを感じさせましたし、朧月夜の中村珠緒は若さゆえの奔放な欲求の発露があって、いやらしさよりも潔さが伝わってきました。寿美花代は本作出演の翌年には宝塚を対談し、高島忠夫と結婚することになって、映画出演は本作が最後となりました。本人も映画には向いていないなと思ったのかもしれないですね。

本作の平安朝的なムードは斎藤一郎による音楽によるところも大きかったのではないでしょうか。斎藤一郎は新興キネマから大映で活躍した作曲家で、フリーになってからの代表作はなんといっても成瀬巳喜男の『浮雲』でしょう。南国を想起させる独特のリズムを繰り返す音楽は斎藤一郎の代表作となり、成瀬巳喜男作品を数多く担当したほか、『西鶴一代女』や『雨月物語』などの溝口作品や東映ヤクザ映画、大映の「座頭市シリーズ」といったバラエティあふれる作品群を残しています。(V091624)

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