川端康成の小説を文芸路線を得意とした豊田四郎が東宝で映画化した傑作です
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こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、豊田四郎監督の『雪国』です。ノーベル文学賞を受賞した世界的作家である川端康成の代表的な小説「雪国」は二度映画化されていまして、本作はその最初の映画化作品です。小説を映画化した文芸作品を多く残している豊田四郎の監督作品の中でも本作は特に傑出していて、川端康成の世界観を映像化することに見事に成功しています。主人公の島村と駒子は池部良と岸恵子が演じていますが、昭和40年に公開された大庭秀雄監督の松竹版では、木村功と岩下志麻が主演しました。
【ご覧になる前に】日本シナリオ作家協会初代理事長八住利雄が脚色しました
トンネルを抜けた汽車が雪山の間を走っていく中、乗客の島村は窓ガラスに映った美しい娘を見ています。病人と旅をしているらしい娘は停車した駅で弟にと言って駅員に土産物を渡しました。汽車が越後湯沢の駅に着くと、駅舎の中にいたマントの女が窓ガラス越しに到着した客を見つめていました。島村は迎えにきた主人の案内で旅館に着くと、女中から前に来たときにお世話した駒子が芸者になって、駅まで妹を迎えに行っていると聞かされます。実は島村は一夜を共に過ごした駒子に会うためにこの雪国の旅館を再訪したのでした…。
川端康成の小説「雪国」はひとつの長編として書き下ろされた作品ではなく、さまざまな雑誌に掲載された断片的な短編が後に章立てに編纂されて書き継がれたものでした。昭和12年に「雪国」の題名で出版されたものの、その後も続編のような断章が書き加えられて、現在の形になったのは昭和23年のことでした。主人公の駒子は、昭和9年から三年間くらい川端が訪れていた新潟県の越後湯沢温泉で出会った松栄という芸者がモデルになっていると言われています。貧農出身の松栄が長岡の芸者置屋に奉公として出されていた二十歳くらいの時期に、川端康成は湯沢温泉の高半旅館に逗留して宿の主人たちを相手に温泉や土地の習慣や宿と芸者の関係などについて話し込み、後に「雪国」として執筆される小説のネタを仕込んでいたことになります。
世界的にも有名な小説を脚本にするという仕事は大きなプレッシャーのかかるものでしょうけど、本作の脚色を担当した八住利雄はシナリオライター界の重鎮で、昭和40年に協同組合として通産省に正式認可された日本シナリオ作家協会の初代理事長に推された人でもありました。もとはPCLに入社してそのまま東宝で脚本を書いていまして、戦前にはエノケンもの、戦時下には『決戦の大空へ』、戦後すぐには『民衆の敵』と戦争の前後で揺れ動いた映画界の歴史を体現するようなシナリオ歴を持っています。文芸ものでは谷崎潤一郎の『細雪』、有島武郎の『或る女』、織田作之助の『夫婦善哉』、志賀直哉の『暗夜行路』、永井荷風の『墨東奇譚』など、日本文学を代表する作家たちの小説の脚色を多く手がけていますが、生涯に250本近くも脚本を書いていれば、そういう題材もそれなりの本数になるということかもしれません。
豊田四郎は監督した作品は60数本ですが、文芸作品の映画化が多いため、豊田四郎こそ文芸路線を得意とした監督だったと言えるでしょう。当然のことながら八住利雄脚本による作品も多くなっていて、『細雪』以外はすべてそのまま豊田四郎の監督作品ですし、他の脚本家との仕事では森鴎外の『雁』や室生犀星の『麦笛』などがあります。豊田四郎は松竹蒲田に入社したもののなかなか目が出ずに東京発声映画に移籍してハンセン氏病患者を扱った『小島の春』を発表しますが、監督として再評価されたのは大映で撮った『雁』がきっかけだったと言われています。撮影現場では女優に対して厳しく演技指導することで有名だったそうですね。
駒子を演じた岸恵子は昭和29年に久我美子、有馬稲子とともに「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立したことからもわかるように、映画会社から与えられた役を演じるだけという立場ではなく、自ら作品世界を表現したいと考えるタイプの女優でした。松竹にスカウトされる前から小説家を目指していたという岸恵子は川端康成とも親交があり、昭和32年にフランス人映画監督イヴ・シャンピと結婚式を挙げたときに立会人になったのが川端康成でした。『雪国』が完成して劇場公開されたのが昭和32年4月27日で、岸恵子が結婚するために渡仏したのが二日後の29日ですから、本作は岸恵子の独身時代最後の出演作になります。
かたや島村を演じる池部良は文芸作品では島崎藤村の『破戒』に主演していますし、豊田四郎には後に『暗夜行路』で主役に抜擢されていますから、インテリジェンスを感じさせる池部良は島村役にぴったりの配役でした。ちなみに原作ではフランス文学の翻訳や西洋舞踏史の研究をしている文筆家という設定になっている島村は、映画では日本画家に変更されています。脇役陣では、駒子の義妹の葉子を二十一歳だった八千草薫が演じているほか、浪花千栄子、田中春男、浦辺粂子、市原悦子、久保明などの顔ぶれを見ることができます。
【ご覧になった後で】キャメラと照明による美しい岸恵子の駒子が絶品でした
いかがでしたか?駒子を演じた岸恵子が本当に美しく、駒子という小説上のキャラクターに息吹きを吹き込むように演じていましたね。岸恵子の駒子が絶品だったおかげもあって、本作は日本映画史上でも市川崑の『炎上』と並ぶ文芸映画の頂点を成す作品になったのではないでしょうか。それは原作にはないエピローグを追加した脚本も含めての評価なのですが、小説では映画を上映中の繭蔵が火事になり二階から落ちた葉子を半狂乱に駒子が抱きしめるという描写で終わるのに対して、本作では火事で顔に火傷を負った葉子と二度と島村に会うことのない駒子のその後に続く重く暗い人生を予感させるエンディングになっています。ドラマチックなクライマックスで終わらせるのではなく、義理の姉妹の切りたくても切れない関係を描くことで、駒子というキャラクターの存在感がより観客に迫ってくると同時に人生の残酷さと静謐さが感じられて、なかなか余韻の残るラストだったのではないかと思います。
岸恵子が美しいというのは、撮影当時二十四歳だった岸恵子の美貌がピークに達していたというのもありますが、半分くらいはキャメラと照明に支えられてのものでした。まず汽車の中で八千草薫の顔が車窓のガラスに浮かび上がるところが大変美しい映像で、しかも瞳のあたりにぼおっと民家の灯りが重なるところは撮影するのに苦労したんだろうなという感慨にも襲われるような技術的にも優れたショットでした。その反復のような形で岸恵子の初登場ショットが出てきて、こちらは待合室のガラスにキャメラが寄っていくとガラスの中に徐々に岸恵子の顔が映し出されるように撮られています。ここでの岸恵子はほとんど光を受けない位置に立っていて、それでも窓ガラスに幻影が反射して見えるという描き方になっていて、照明の設計やキャメラの露出の計算などはまさに職人の至芸としか思えず、映画の最後で駒子が迎える運命を暗示するような不吉さが醸成されたショットでした。
さらに島村が葉子を東京に連れて行くと知らされた駒子が島村の部屋の襖を隔てて立ちすくむ後ろ姿。池部良が襖を開けると、駒子の帯の後ろ側が一部だけきらりと光っていて、そこに駒子の疑心暗鬼の感情が見事に読み取れるのです。帯の柄や素材の選び方に工夫があるのはもちろんですし、ピンスポット的な照明とその微妙な光具合を強調するキャメラも確かな技量がないと成り立たないショットでした。二の酉祭でにぎわう夜の温泉町を撮った屋外夜間撮影ショットもなぜこの暗がりがここまで映像で再現できるんだろうかと思ってしまうほど微妙な光を完璧に映し出していました。
キャメラマンの安本淳は戦前の日活太秦撮影所からキャリアをスタートさせた人で東宝に移ってからは主にプログラムピクチャーを撮っていましたから、本作でいきなりメインのキャメラマンに指名された理由はわかりませんけど、初の本格的文芸作品だったことは間違いありません。本作でのテクニックが認められたのか、豊田四郎の『暗夜行路』、川島雄三の『夜の肌 赤坂の姉妹』、成瀬巳喜男の『乱れる』などでキャメラマンに起用されることになります。一方で照明の森茂は争議明けから東宝でクレジットに名前がのる仕事を残していて、なんと黒澤明の『生きる』『七人の侍』で照明を担当した人でした。しかし本作の二年後にぱたりと経歴が途絶えていて、その後どうなったかの記録は残っていないようです。
岸恵子に話を戻すと、池辺良と旅館で出会った途端に「この指が覚えている」という小説でも有名なセリフを言われて、ちょっと恥ずかしがるようなところに大人の女と娘との中間点にいる不思議な女性の魅力が感じられました。これは全編を通じてそうなのですが、セリフの言い回しやニュアンスが非常に普遍的で生々しく、そうしたセリフや仕種などの演技が駒子を作られたキャラクターではなく生き生きした女性として造形していたように思います。「雪国」は日本文学の名作といわれているわりには非常にエロさを感じさせる大人向けの小説でもあるのですが、小説の駒子はやや幻想的というか浮遊感のあるいかにも小説上に出てくる概念的な存在のように読めます。それに対して映画の駒子は岸恵子が演じたことによって肉の肌触りや匂いを感じさせるリアルなキャラクターとして立ち上がってくるようでした。だから汽車で東京に戻る島村を線路脇から叫びながら見送る情熱的な駒子もすんなりと受け入れられますし、葉子に冷たくあたる駒子もその背景や事情が伝わってくるだけに共感的に受け止められるのです。
越後湯沢で三ヶ月ロケ撮影したという話がある通り、雪山を遠景でなめながらパンすると旅館の二階の部屋で三味線を弾く駒子をとらえるショットがあって、次に部屋の中にキャメラの視点が変わっても何の違和感もないくらいにロケ撮影とスタジオ撮影のトーンが統一されていたのにも驚きでした。いずれにしても日本文学の名作を原作のポジショニングと同じように日本映画界の名作に仕立てた豊田四郎以下スタッフの力量は賞賛に値するものでした。そして岸恵子の駒子がその大前提であったことは誰もが認めるでしょうし、イヴ・シャンピとの結婚の直前に撮影されたことを考えるとタイミング的にもこのときにしか作ることができない奇跡的な作品だったのかもしれませんね。(T110123)
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