ACTION

外国映画

ミニミニ大作戦(1969年)

イギリスを代表する大衆車ミニ・クーパーの車輛の小ささと小回りの良さを活かして、イタリアのトリノの街で金塊強奪を試みる軽快なアクション映画で、公開当時はイギリスで大ヒットを記録したものの、アメリカでは大コケに終わりました。
外国映画

マンハッタン無宿(1968年)

マカロニウエスタンで大成功を収めたクリント・イーストウッドは、マルパソ・プロダクションを設立して自ら製作に関与する体制を整えました。ハリウッドに戻ったイーストウッドがユニバーサルスタジオと共同して作ったのが本作で、イーストウッドは100万ドルの出演料を獲得しました。
日本映画

暗黒街の顔役(昭和34年)

ハワード・ホークス監督の「Scarface」(1932年)の邦題が同じタイトルなので混同されることが多いのですが、本作は東宝によるギャングもので、岡本喜八監督によってシリーズ化された第一作で、鶴田浩二が主演をつとめています。
日本映画

銀嶺の果て(昭和22年)

学生時代から登山が趣味だった谷口千吉のために黒澤明が冬の北アルプスを銀行強盗三人組が逃走する脚本を書き上げ、谷口千吉にとっての実質的な監督デビュー作となりました。同時に東宝ニューフェイスの一期生として東宝に入社した三船敏郎の初出演作にもなっています。
日本映画

激突!殺人拳(昭和49年)

ブルース・リーの『燃えよドラゴン』の大ヒットに乗って東映が創り出したのがこの「殺人拳シリーズ」で、主演の千葉真一が空手使いの達人として敵をバッタバッタと倒していく肉体派のアクション映画となっています。
日本映画

赤いハンカチ(昭和39年)

昭和37年にテイチクレコード創業30周年を記念してリリースされた「赤いハンカチ」は石原裕次郎が歌って大ヒットしました。このムード歌謡を挿入曲として裕次郎主演で作られたのが本作で、日活ムードアクション映画の代表作とも呼ばれています。
日本映画

修羅雪姫(昭和48年)

もとになったのは小池一夫作・上村一夫画のマンガで、東宝系の映画製作会社である東京映画によって製作されました。監督の藤田敏八は日活出身、主演の梶芽衣子は日活から東映に活躍の場所を移していて、各界寄せ集め作品になっています。
外国映画

007ダイヤモンドは永遠に(1971年)

『女王陛下の007』でボンド役を演じたジョージ・レーゼンビーは次作には出演しないと明言していたため、ハリー・サルツマンとアルバート・R・ブロッコリの製作コンビは125万ドルという破格のギャラを支払ってショーン・コネリーを復帰させることになりました。
日本映画

錆びたナイフ(昭和33年)

石原裕次郎は昭和32年暮れに公開された『嵐を呼ぶ男』でアクションスターとしてのイメージを確立しましたが、本作は兄の石原慎太郎が裕次郎を主人公にすることを前提に原作を書き自ら脚本化して裕次郎が主演しました。
外国映画

女王陛下の007(1969年)

二代目ジェームズ・ボンド役に起用されたのがオーストラリア出身のジョージ・レーゼンビー。撮影当時二十九歳だったジョージ・レーゼンビーの若さを生かして本作はスキーやボブスレーなどのウィンタースポーツを取り入れた山岳アクション映画になっています。
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