007

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007ダイヤモンドは永遠に(1971年)

『女王陛下の007』でボンド役を演じたジョージ・レーゼンビーは次作には出演しないと明言していたため、ハリー・サルツマンとアルバート・R・ブロッコリの製作コンビは125万ドルという破格のギャラを支払ってショーン・コネリーを復帰させることになりました。
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女王陛下の007(1969年)

二代目ジェームズ・ボンド役に起用されたのがオーストラリア出身のジョージ・レーゼンビー。撮影当時二十九歳だったジョージ・レーゼンビーの若さを生かして本作はスキーやボブスレーなどのウィンタースポーツを取り入れた山岳アクション映画になっています。
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007は二度死ぬ(1967年)

シリーズ第5作となる本作ではジェームズ・ボンドは日本に派遣されてスペクターの秘密基地を探るという設定になっています。必然的に全国各地のいかにも日本らしい景色が映像におさめられています。本作の人気は『サンダーボール作戦』には及ばなかったものの、1967年度の世界興行収入ランキングで第3位に入っています。
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007サンダーボール作戦(1965年)

世界市場をターゲットにした本作は、なんと日本の日比谷映劇でワールドプレミア上映が行われたという記録が残っています。結果的に1965年の世界興行収入ランキングでは『サウンド・オブ・ミュージック』に次ぐ第二位となり、007シリーズの中では最高のヒット作となったのでした。
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007ゴールドフィンガー(1964年)

『ロシアより愛をこめて』がスパイ・サスペンスとして一級品だったのに比較すると、アクション・エンターテイメントとしての007シリーズを確立したのは本作だったといえるでしょう。
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007ロシアより愛をこめて(1963年)

1962年に公開された第一作『007ドクター・ノオ』が大ヒットして、ショーン・コネリー=ジェームズ・ボンドによる007がシリーズ化されることになりました。監督は同じくテレンス・ヤング。第一作のややB級SFアクション的な作りからは一転して、本作は本格的なスパイ・アクション映画に仕上がっています。
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007死ぬのは奴らだ(1973年)

ショーン・コネリーは前作『ダイヤモンドは永遠に』でカムバックしましたが、かつての躍動感は失われていて激しいアクションはもう無理でした。そこでハリー・サルツマンとアルバート・R・ブロッコリのプロデューサーコンビは新しいボンド役にイギリス人俳優のロジャー・ムーアを指名しました。ショーン・コネリーとは全く違って軽い快さが持ち味のムーアは、この映画をきっかけにムーアらしいジェームズ・ボンド像をつくっていきます。
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007ドクター・ノオ(1962年)

ジェームズ・ボンドがはじめて映画に登場。以来五十年も映画界を代表するヒーローとして活躍し続けています。ボンドガール、車、銃器、欧米以外の国、タキシード、酒、タイトルデザイン。007シリーズのエッセンスはすべてこの第一作に詰め込まれていたんですね。誰もが知っているギターリフのテーマ曲はモンティ・ノーマンの作曲。映画史上最も有名な主題曲ではないでしょうか。
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