アンツィオ大作戦(1968年)

イタリアのアンツィオでドイツ軍と戦った連合軍兵士たちの物語です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、エドワード・ドミトリク監督の『アンツィオ大作戦』です。アンツィオとはイタリア半島の港町。第二次大戦末期の1944年に連合軍はここからローマへ進軍するために上陸を果たしますが、ドイツ軍の激しい抵抗にあいました。本作はその戦闘を孤立した連合軍兵士の視点から描いた物語になっています。

【ご覧になる前に】ノルマンディ上陸の前に「シングル作戦」がありました

1944年1月、連合軍が計画したイタリア半島のアンツィオ上陸はドイツ軍の攻撃を受けることなく成功しました。通信員のエニスがジープでローマに偵察に出るとドイツ軍の姿はどこにも見当たりません。アンツィオに戻ったエニスは指揮をとるアメリカのレスリー将軍にローマへの進軍を提案しますが、レスリー将軍はドイツ軍のケッセルリンク元帥の反撃を予測して、軍に待機を命ずるのでした…。

アンツィオの戦いは1944年1月から6月まで続いた連合軍とドイツ軍の戦闘で、特にアンツィオへの上陸とローマへ向けた進軍については「シングル作戦」と呼ばれて、その提唱者はイギリス首相ウィンストン・チャーチルでした。チャーチルはこの作戦をアメリカのルーズベルトとソ連のスターリンに承認させて実行を命じたのですが、前線で指揮をとるルーカス少将は、失敗に終わったガリポリ作戦を発案したチャーチルによる再度の作戦指令だったことから、この作戦計画に信頼を置いていないかったようです。アンツィオへの上陸が成功し、そのままドイツ軍のケッセルリンクが率いる予備部隊をおびき寄せることができれば、すみやかに内陸へ進軍することも可能であったものの、ルーカス少将は進軍ではなく防御を固めることを優先します。その間にケッセルリンクはイタリアにいた師団に増援を要求して兵力を整え、連合軍の迎撃体制を構築してしまったのでした。結果的に連合軍とドイツ軍の戦いは激戦となり、膠着状態に陥った戦況が打開されたのは半年後の6月。ノルマンディー上陸作戦のわずか数日前にやっとのことでローマ解放が実現されたのです。

本作の原題は「Anzio」ですので、連合軍によるヨーロッパ戦においてはアンツィオの地名をいえば、どんな戦いだったのかがわかってしまうほど、第二次大戦の中でも有名な戦闘だったようです。太平洋戦争におけるミッドウェイとかガダルカナルとか、そんな地名と同じ受け取り方なのかもしれません。その有名な戦闘を小説化した本があって、それを原作として映画化されたという経緯のようです。プロデューサーはディーノ・デ・ラウレンティス。1970年代においては『ゴッドファーザー』のイタリア的二番煎じの『バラキ』や旧作をリメイクしてヒットを狙った『キングコング』、アメリカ南部の歴史を黒人をサブ主人公にして描いた『マンディンゴ』など話題作を次々に製作した人として注目を集めました。しかしその原点はフェデリコ・フェリーニの『道』を世に送り出したところにあって、フェリーニとは『カビリアの夜』でもコンビを組んでいますし、オードリー・ヘプバーンをナターシャに起用した『戦争と平和』もラウレンティス作品です。このような作品群を見ると、本作はラウレンティスにしては珍しい戦争ものでして、やっぱりイタリア人としては映画にしておかねばならない題材であるという思いを持っていたのではないでしょうか。まあ、それが歴史に残る映画になったかどうかは別問題なのですが。

エドワード・ドミトリクはユダヤ人の人種差別問題を取り上げた『十字砲火』で名をあげた監督で、その後も『ケイン号の叛乱』とか『愛情の花咲く樹』とか『ワーロック』とか、1970年代のTVの洋画劇場で放映されたような作品を多く作っています。主演のロバート・ミッチャムは『眼下の敵』や『史上最大の作戦』などの戦争もので軍服姿が板についていますが、本作は軍人ではなく報道通信員として登場します。対するは『刑事コロンボ』で大スターになったピーター・フォーク。でも1960年代ではまだ脇役専門で、本作の準主役は抜擢といえたかもしれません。でも本人は本作の脚本が気に入らず出演を拒否しようとしたところ、プロデューサーのラウレンティスからクレジットの順番を変えてやるからと説得されて結果的には出ることにしたのだそうです。

【ご覧になった後で】ヨーロッパ戦の勉強にはなりますがそれ以外はどうも…

いやー、アンツィオの戦いという戦闘があったことは本作ではじめて知りましたので、近代史の勉強にはなったのですが、まあ出来の悪い映画でしたねー。脚本と演出がなってません。まず大広間でシャンデリアにぶら下がって喧嘩になる導入部はほとんど無意味で、観客を引き込むには不十分です。そもそもあそこはどこだったんでしょうか。たぶんシチリアなんだとは思いますが、その地理的関係が描けていないので、アンツィオ上陸が地図上でどんな意味があるかがまるきり映像で表現されていないんですよね。

それはアンツィオ上陸にも言えることで、ロバート・ミッチャムの通信員はローマまでジープで簡単に往復するわけですが、その距離感がほとんど伝わってきません。実際のローマ・アンツィオ間は約50kmで、これは東京でいえば品川から茅ヶ崎くらいの距離です。当時の道をジープで走っても片道2時間近くはかかるでしょう。そしてローマを探索するのに1時間だとしてもやっぱりこのローマ往復には半日はかかるはずです。ところがエドワード・ドミトリクは時間の推移を描かないので、その距離感が出てこないのです。帰還が夕刻になっているとか表現の仕方はいろいろあるはずですが、まあ演出力はほとんどゼロですね。

さらには、アンツィオの戦いのキモである上陸後の待機期間。ここですぐに進軍しなかったことが第二次大戦史でも問題とされているところですが、本作の脚本と演出ではわずかにセリフで数日経ったということが説明されるだけに終わっています。ここは進軍しないのでジリジリする連合軍の現場とか、次々に増援部隊が到着するドイツ軍の様子とか、時間の経過とともに両軍の優劣が逆転するのを映像表現すべきところのはず。そんな映画の基本をやらずして、なんで反撃を受けて数人になってしまった兵隊たちにドキドキハラハラできるでしょうか。ダメもダメ、全くエドワード・ドミトリクはダメ監督としか言いようがありません。

こんなですから当然のことですけれど、ロバート・ミッチャムとともに行動する7名の兵士たちも誰が誰だかよくわかりません。そもそも兵隊というのは軍服を着ているので、外見だけでは見分けがつきにくいのです。なのでよほど個性を描かなければ、7人がどんなキャラクターなのかがわかりません。あとで知ったのですが、7人の中には後にルキノ・ヴィスコンティ作品で活躍することになるジャンカルロ・ジャンニーニがいたらしいのです。それが誰だったか、あまり印象に残りません。たぶん母娘三人の家に侵入したときにイタリア語で通訳していたあの男なんではないか、という程度にしか覚えていません。まあピーター・フォークだって、最初の冷酷無比な戦争好きな兵士という酷薄さが継続せずに、なんだかいつのまにかいい人になっていて、で突然の銃弾で死んでしまうのですから、ロバート・ミッチャム以外を覚えろと言っても観客には無理な話ですよね。

そんなわけでイタリア戦の勉強にはなりましたが、戦争映画としての価値はほとんどなく、ディーノ・デ・ラウレンティスの製作作品の中では最低ランクの映画だったのではないかと思います。映画評論家レナード・マルティンも「オールスターでスケールの大きいアクション、だけど記憶に残るものはなにもなし」と一刀両断しておりますので、駄作であることは衆目の一致するところであります。(A012422)

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