その壁を砕け(昭和34年)

新潟へ婚約者に会いに行く男性が殺人事件に巻き込まれる法廷サスペンスです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、中平康監督の『その壁を砕け』です。戦後の日本は昭和30年代くらいまでは犯罪発生率が高かったこともあり、無実の者が逮捕されて実刑判決を受ける冤罪事件が多発しました。本作も三年かかって貯めたお金で自分の車を買った修理工が、新潟にいる婚約者に会いに行く途中の村で殺人事件の犯人にされてしまう事件を描いた社会派サスペンスになっています。事件から捜査、法廷へと展開していく物語は非常に緊迫していて、1時間40分の上映時間があっという間に過ぎていく緊張感に満ちた上質で硬派な作品にまとまっています。

【ご覧になる前に】恋人の無実を信じる女性を芦川いづみが熱演しています

自動車ディーラーで契約を終えた三郎は手に入れた車に乗って勤務先の修理工場に帰ります。新潟にとしえという婚約者がいる三郎は、三年間東京で働いて車を買ったら新潟に迎えに行くと約束していたのでした。新潟の病院で看護師をしていたとしえは同僚から送別会を開いてもらい、翌日朝8時に駅前に着く三郎のことを案じてよく眠れません。三郎は三国峠を越えて新潟への一本道を真夜中も車で走り抜けますが、鉢木という町でコートの男を車に乗せてやります。駅の近くで男を降ろした三郎は、駅前で検問していた警察官に車を停車させられると、いきなり逮捕されてしまうのでした…。

戦後の混乱期においては、殺人事件や強盗事件が多発し、警察の捜査力も未熟だったために、多くの冤罪事件が起きることになりました。昭和23年の免田事件、昭和25年の財田川事件、昭和29年の島田事件、昭和30年の松山事件は死刑判決が確定した後にいずれも再審によって無罪となりましたが、帝銀事件や名張毒ブドウ事件、袴田事件などは、再審請求が却下されて死刑判決が下ったままとなり、現在では冤罪事件だったのではないかと言われています。

本作がモデルにしているのは、昭和30年に静岡県三島市で発生した丸正事件らしく、強盗殺人事件の犯人としてトラック運転手が確たる物的証拠もないままに逮捕され、無期懲役の実刑判決となった事件でした。トラック運転手の逮捕理由は、沼津から15分後に出発した別のトラックが逆に15分早く着いたという時間差だけを根拠にしていて、明らかな誤認逮捕でした。しかし当時の警察と検察は一度起訴した犯人について捜査のやり直しや深掘りを絶対にしなかったので、結局この運転手は二十年以上服役した末の昭和52年に仮釈放されたものの、再三の再審請求は棄却されて無罪を勝ち取れないままに亡くなったそうです。

そのような冤罪事件に材を取ったオリジナル脚本を書いたのは新藤兼人。自ら設立した映画製作プロダクションの近代映画協会で監督作品を次々に発表している合間に書いた仕事のようで、本作の翌年には『裸の島』を脚本・監督しています。資金不足に陥っていた近代映画協会を継続させるために相手かまわず脚本を書いてその収入を資金に充てていたんでしょう。昭和34年には近代映画協会で『第五福竜丸』を製作したほか、本作含め日活で2本、大映で2本、松竹系で1本、東宝系で1本と合計6本の脚本を企画に合わせて書きまくっています。他は全部原作ものかというとそうでもなくて、半分はオリジナル脚本を書いているんですから、新藤兼人は無尽蔵なパワーと才能を持ったシナリオライターだったといえるでしょう。

監督の中平康は、本作の前々年に『美徳のよろめき』、前年に『紅の翼』を監督していますから、日活のドル箱番組だった裕次郎主演作や文芸作品をふつうに監督するくらいの中堅監督になっていた時期。フィルムノワール風に始まってやがて裁判シーンが出てくる社会劇をきっちりとうまくまとめあげる手腕を見せています。キャメラマンは大映出身の姫田真佐久で、この頃は二ヶ月に一本のペースで日活作品を次々に撮る人気キャメラマンでした。また音楽を伊福部昭が担当しているのにも注目ですが、昭和30年代の伊福部先生は映画音楽専門の作曲家になったのかと思うほど半端じゃない数の作品で音楽を担当していて、『ゴジラ』公開の翌年にあたる昭和30年には一年で18本の映画に楽曲を提供しています。あるモチーフを別の曲で繰り返すのが伊福部音楽の特徴でもあるので、意外と簡単にこなしていたのかもしれませんけど。

【ご覧になった後で】真犯人追跡から現場検証を決断する流れが見事でした

いかがでしたか?なかなか見応えのある傑作に仕上がっていて、日活のプログラムピクチャーもバカにできないなと驚いてしまうほど観客を強く引き付ける力作でしたね。昭和34年ですから舗装されている道路は都心にしかなく、小高雄二が砂埃を舞い上げながら砂利道を車で走り抜けていきます。途中で食堂やガソリンスタンドに寄るこの導入部が、すでにある種のサスペンス感を醸し出していて、いつこの青年が事件に巻き込まれるんだろうかとハラハラした気持ちにさせられます。また新潟で同僚から羨ましがられる芦川いづみをカットバックさせることで時間の経過をうまく伝えていて、ここらへんの新潟への移動という空間の描き方と夜っぴて車を走らせて深夜になるという時間の描き方が緊迫感を出していました。

そして小高雄二が誤認逮捕される鉢木という村で、映画の視点が長門裕之演じる巡査にスイッチする構成もなかなか見事でした。さらに長門裕之が早期逮捕の功績で本署勤務になったことで逆に真犯人発見のキーマンになってしまう展開は、映画の流れに大きな変化をもたらせていて中盤をダレさせない効果があったと思います。でも佐渡から帰る連絡船で「もし渡辺が犯人でないとしたら…」という長門裕之の独白が入るのには少しシラけてしまいましたね。観客のほうがよくわかっているんですから、見ていればわかるようなことをあえて説明するセリフを不用意に入れるのは、本当に余計なお世話に感じてしまいます。

芦川いづみの一途さや真剣さが芦田伸介の弁護士や信欣三の判事に伝わり、車に乗せた男が実在していたことで、裁判官は現場検証を決意します。長門裕之の疑問がついに裁判官による殺人現場での実験につながるというここらへんの展開は観客の願い通りに進んでいくので、暗い冤罪の話なのになんだか希望に満ち溢れた正義のお話に感じてしまうところです。この現場検証のシークエンスは、昼間ののどかな村に関係者が集合する場面から始まって、遠巻きにのぞき込む子供たちの姿をおり込みながら、犯行時間を再現するために次々に戸を閉めていき、やがては現場検証をする部屋の中が真っ暗になります。この光のコントロールが巧くて、特に暗くなる時の照明の当て方は姫田真佐久のキャメラによって完璧に計算し尽くされていました。

あえて言えば、真実を明らかにするために見えないところの多いこの事件を部屋を真っ暗にすることで逆に闇の中で真実に辿り着くというメタファーが込められていたような気がします。このような新藤兼人の脚本の巧さとそれをややドキュメンタリーなタッチの映像で見せていく中平康のテンポの良い乾いた演出が非常に冴えていて、昭和30年代の日活がこんな面白い法廷サスペンスものを作っていたことに驚かされます。現在的に見てもTVの連続ドラマや2時間ものでもこんなにシュアに作られたものってあまりないですもんね。

でも手放しで褒められるわけではなく、冤罪事件というのは警察や検察は絶対に自分たちの非を認めないから発生するわけで、本作のように清水将夫の警察部長が芦川いづみに「いい弁護士を見つけなさい」なんてやさしくアドバイスするのは現実的ではないですし、「俺のメンツはどうなるんだ」と怒る西村晃の警部が一番まともというか本来の警察側らしいキャラクターで、警察が自分たちの捜査を簡単にくつがえすわけがありません。これは検察も同じで、鈴木瑞穂がやっているからなんだか正義の人のように見えてしまいますけど、殺人の容疑者として起訴したらそれを押し通すのが検察です。本作のように後から発現した別の事実によって、簡単に小高雄二の無実が証明されてしまうのは、全くリアリティがありません。もちろん冤罪になってしまえば救いのないお話になるわけで、観客が引き付けられてしまうのはギリギリ冤罪にならなくて済む現実にはあり得ないファンタジーだからなのかもしれません。

もちろん新藤兼人の脚本ですからそこらへんの組み立てはきちんと完成されていて、それは渡辺美佐子の供述を現場検証の場ではじめて告白させるという手法で解決されています。加えて頭をナタで割られた老母が咄嗟に布団をかぶって犯人の顔を見ていないことを現場検証で立証することで、逮捕の決め手だった面通しを無効にしちゃうんですよね。要するに警察や検察の顔を立てるために渡辺美佐子や老母にすべての責任を負わせて、現場にいた嫁が正直に事実を述べず、老母が違う男を犯人だと証言したために警察も検察もミスを犯したのだと、逃げ道を作っているわけです。

話をハッピーエンドにするためにはそうした手を弄するのはわからなくはないですが、これでは題材にした丸正事件などの冤罪事件に申し訳が立たないような気がしてしまいますね。本当に一気に見させる力作なのでみなさんにおススメしたところですが、社会派とは言っても所詮は映画上の絵空事で終わっているのを見逃すわけにはいきません。ということでおススメにギリギリ入らない映画とさせていただきます。(U091823)

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