処刑の部屋(昭和31年)

市川崑の大映移籍第一作で石原慎太郎の短編を映画化した「太陽族」ものです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、市川崑監督の『処刑の部屋』です。昭和30年に発表された石原慎太郎の処女作「太陽の季節」の芥川賞受賞は保守的な文壇を揺るがす騒動を引き起こしました。翌年日活で映画化されると大ヒットを記録、無軌道でインモラルな若者たちは「太陽族」と呼ばれて流行語になっていきます。そのブームを察知した大映はすぐに石原慎太郎の短編小説の映画化に着手し、日活から大映に移籍したばかりの市川崑に監督を任せます。『太陽の季節』が5月公開で本作は6月末に劇場にかかっていますから、大映が世の中の動きに機敏に対応したことが伺えます。

【ご覧になる前に】石原裕次郎が日活を選択したため川口浩が主演することに

郊外の町工場を前にして腹の具合を気にしている銀行員の島田は、社長に融資を進めると吉祥寺支店に戻ります。胃薬を飲む島田を訪問してきたのは息子の克己と友人の伊藤。伊藤の手形を担保に島田の個人預金から3万円を引き出させた二人は、ダンスパーティを開いて荒稼ぎを企んでいるのでした。思想研究会に顔を出した克己は顕子という女学生が議論を交わしているのを見て猛然と自論を述べ始めますが、マスコミの取材を受ける教授によって発言を止められてしまいました。大盛況のダンスパーティで上がりの計算をしている克己はビリヤード場で仲間がJ大学の竹島たちに襲われたと聞き、高校時代からの親友良治と一緒に殴り込みをかけに飛び出していきますが…。

石原慎太郎が書いた短編小説の「処刑の部屋」は雑誌「新潮」の昭和31年3月号に掲載されました。デビュー作の「太陽の季節」は芥川賞を受賞したものの文壇では批判する作家たちも多く、それがまた話題を呼んだのですが、短編として書かれた「処刑の部屋」は好意的に受け止められ、特に三島由紀夫は「あれだけリアリティのある会話を駆使したものは映画にも小説にも見当たらない」と言って、特に叩きつけるようでぶっきらぼうなスピード感あふれる会話の書き方を絶賛しています。

5月に日活で公開された『太陽の季節』は年間配給収入の第7位にランクインするほどの大ヒットとなりましたが、それ以前にこの短編小説の映画化権は大映が入手していたのでしょう。大映社長永田雅一の養子である永田秀雅が製作となっていますが、映画化を進めたのは大映の企画部長土井逸雄という人だったそうです。ちょうど『ビルマの竪琴』の総集編の扱いで日活ともめた市川崑が大映に移籍してきたばかりでしたので、この大映らしくない素材を市川崑に任せることになったようです。市川崑がメガホンをとることになったので、脚本は市川夫人である和田夏十と長谷部慶治が共同して書くことになりました。この二人は後に『炎上』でもコンビを組んでいます。

石原慎太郎は主人公の克己を弟の石原裕次郎に演じさせたかったらしく、裕次郎を大映の撮影所に連れて行ったりしたそうですが、日活の『太陽の季節』の端役で映画初出演していた裕次郎は日活から声がかかると大映からも誘われていることをほのめかし、巧みに契約金を有利に交渉して日活入りを決めてしまいました。石原慎太郎は大映に「あいつは日活のほうが気に入ったらしい」と言って裕次郎主演案を退け、克己役には川口松太郎の息子で、同年4月に『裁かれる十代』で映画デビューしたばかりの川口浩が起用されることになりました。本作が公開された翌月、石原裕次郎は日活の『狂った果実』に主演して大ブレイクする一方、石原慎太郎は大映に不義理をしたと感じたのか翌年市川崑監督の『穴』で青年作家役として特別出演しています。

『太陽の季節』を嚆矢としたいわゆる「太陽族映画」は青少年の教育に悪影響があるとしてマスコミからの糾弾を浴びることになりました。前年にはポール・ニューマン主演のアメリカ映画『暴力教室』が公開されていまして、当時のアメリカ映画は映倫の審査を受けることなく劇場公開されていたので、外国映画を野放しにせず映倫を通すべきだという論調が高まっていました。まあアメリカ側に言わせると、GHQの占領時代に俺たちが教えてやって映倫の仕組みを作ったんだから俺たちの映画を再審査する必要ないだろ、ということだったようで、この問題は数年後に映倫が改組するとともにアメリカ側が折れる形ですべての外国映画が映倫の審査を受けることに落ち着きました。

で、『処刑の部屋』の主人公克己のとる行動が犯罪にあたるとして、朝日新聞の映画担当記者井沢淳が「青少年がこの犯罪の手口を真似る恐れがあるから映画の公開を中止するか、該当部分をカットせよ」という大映永田社長宛てに出した書簡を新聞紙面に掲載するという出来事が起こりました。現在的には一介の新聞記者が映画の公開中止を申し入れるなんていう行為は想像もできませんけど、当時においてはジャーナリストはまだ知識人としての社会的ポジションが高かった時代だったのです。もちろん大映がそんなマスコミの脅しに屈することはなく、逆にその書簡を広告の惹句に取り入れて宣伝したので、本作は公開されると女子高生など若い観客層を集めてヒットを飛ばすことになりました。

【ご覧になった後で】川口浩の無軌道ぶりと宮口精二の胃痛の対照が見事です

いかがでしたか?石原慎太郎の短編が評価されたのには、ブルジョア階級を扱った「太陽の季節」とは違って庶民出の学生が主人公にしたという側面もあったようでして、本作も冒頭に登場するのは苦手な営業回りに苦労する銀行員宮口精二が胃痛をこらえる姿でした。宮口精二は息子たちの失礼な振る舞いに怒りを感じながらも、克己の友人伊藤が素直に借金を返しに来るとすぐにへつらうような態度で預金を獲得しようとへりくだります。宮口精二は自分の気持ちを押し殺してやりたくもない営業仕事に忙殺された結果、我慢していた胃痛が取り返しのつかない胃潰瘍に悪化するまで自分をダメにしていくのです。

かたや大学生の克己は外的に迫ってくる理不尽な出来事にすべて反発して受け入れようとしません。自分の鬱憤を晴らすために女学生に薬を飲ませ昏睡状態のまま犯すことにも何の躊躇もせず、その女学生に言い寄られても無視するだけです。しかしそんな無軌道で一般的な倫理観に縛られない克己も、J大の学生たちに捕らえられて密室でリンチを受け、結果的に社会の制裁を受けることになります。仕事に耐え忍んできた宮口精二が胃痛によって内側から冒されていくのとは対照的に、自分の我儘な生き方を貫き通した川口浩はJ大や女学生によって外側から傷つけられるのです。このアイロニーが映画では端的に表現されていて、「痛いよおー」と言って場末の道を這いずっていく川口浩のラストショットがそれを見事に表現していました。

市川崑は後に対談した朝日新聞の井沢淳に対して「石原慎太郎の爆発したようなレジスタンスを僕は認めたんだ」と語ったらしいですし、脚本を書いた和田夏十も「純粋さがやりたいようにやると叫ばせ行動させる。しかしそうすればするほど克己のりきみ返りがますます空転する。その無残な空転を止めてやれるのが何なのか、それを考えなければならない」と述べています。「太陽族映画」とひとくくりにしてしまうと、敗戦しGHQの占領を経験した当時の日本の世相や、貧しい暮らしの中で将来に希望を持てない若者たちの気持ちに意識が向かなくなるのですが、なぜこうした日本映画が多くの観客たちに支持されたかを冷静に振り返る必要があるかもしれません。

映画的に見るとやっぱり川口浩の存在感が際立っていて、まだデビュー二作目だという演技慣れしていないところが妙にリアルな感じがして良かったのではないでしょうか。一方の若尾文子は大映入社四年目ですでに40本以上の出演経験もあり、『祇園囃子』や『赤線地帯』で溝口健二に登用されていましたから、本作のようなサブキャラクターは余裕で演じているという感じでした。でもなぜ薬で眠らされて自分を犯した相手を好きになってしまうのかという顕子のエモーショナルな部分は見えにくく、最後にナイフで刺してしまう情動もあまり伝わってきませんでした。ここらへんは原作の足りない部分かもしれませんが、克己を描くことに偏ってしまい、女学生の心情までは描写しきれなかったのが本作の欠点でもありました。

白黒画面の特にクローズアップショットが効果的に使われていましたが、キャメラマンの中川芳久は大映プロパーで後に「黒シリーズ」で撮影をつとめる人です。本作では撮影助手として小林節雄がクレジットされていますし、助監督では増村保造の名前が見られます。市川崑の大映移籍第一作にこれだけのスタッフが集まったのはその現場を体験させようという大映の方針だったんでしょうか。本作公開の一年後には増村保造は『くちづけ』で監督デビューしますし、小林節雄は市川崑の『穴』でキャメラマンに昇格します。人材育成面でも本作は大映の中で重要な位置づけを担っていたのかもしれません。

それにしても本作が昭和31年に製作・公開されているのは驚きでした。1956年ですからフランスではまだヌーヴェル・ヴァーグは登場していませんし、アメリカでもジェームズ・ディーンの死後に『ジャイアンツ』が公開されていた時期です。そんなときに本作のような自分の思うままに社会に反抗しようとする若者を主人公にした作品がメジャーの映画会社で作られていたのですから、日本映画が世界を先取りした先進性をもっていたことの証左になるのではないでしょうか。中平康の『狂った果実』はヌーヴェル・ヴァーグの連中にも影響を与えたと言われていますが、本作もきちんとヨーロッパで上映されていたら同じように驚異の目で受け入れられたかもしれないですね。(A100523)

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました