太平洋戦争末期にフィリピン防衛戦を指揮した山下奉文大将を描いた戦記もの
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、佐伯清監督の『最後の将軍 山下奉文』です。日本軍による真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争は、次第にアメリカ軍が攻勢を強め、敗戦とともにフィリピン防衛戦でも日本軍が降伏します。そのときに第14方面軍司令官だった山下奉文大将を主人公にしたのが本作で、GHQによる占領が終結して戦争映画が自由に作れるようになり、『ひめゆりの塔』で大ヒットを飛ばした東映がその勢いにのって製作した一本です。
【ご覧になる前に】本作で早川雪洲の『戦場にかける橋』出演が決まりました
輸送機から日本の風景を懐かし気に見下ろす山下奉文大将が3年ぶりに日本に戻ってきたのは、戦局が悪化しているフィリピンでの総指揮を執る辞令を受けるためでした。参謀本部の壁に飾られた絵画を見て、山下はシンガポールでイギリス軍のパーシバル司令官に即時降伏を迫ったときのことを思い出します。フィリピンに着任した山下大将を待っていたのはルソン島防衛の任務ではなくレイテ島の死守で、大本営は一度決定した作戦を変更してきたのでした。一方でマニラ在住の日本人たちはジャングルに逃げ込んで、飢餓寸前まで追い込まれていました…。
昭和27年4月にサンフランシスコ講和条約が発効して日本は独立を取り戻し、GHQによる占領は終結しました。日本映画界は戦後GHQの監視下にあって検閲を受けていましたが、独立とともに自由に作品を作ることができるようになり、メジャー各社は競って時代劇や戦争ものの製作を始めます。昭和28年1月に東映が公開した『ひめゆりの塔』は沖縄戦のひめゆり学徒隊の悲劇を描いて大ヒットとなり、年間でダントツ一位の配給収入を獲得します。本作は三ヶ月後の昭和28年4月末に公開されていますので、戦争ものは儲かると目論んだ東映がすぐ次作を作れと企画したのかもしれません。
『ひめゆりの塔』とは正反対に題材となったのが「マレーの虎」とあだ名された日本陸軍大将山下奉文(ともゆき)。昭和16年12月8日の真珠湾攻撃によって太平洋戦争の火ぶたが切って落とされたというのが通説ですが、実は日本陸軍によるマレー作戦のほうが1時間20分ほど先に敢行されていて、そのマレー作戦を指揮したのが山下奉文でした。マレー半島を南進してシンガポールを陥落させた山下奉文がイギリス軍のパーシバル司令官に向って「イエスかノーか」と迫る場面は宮本三郎画伯が「山下・パーシバル両司令官会見図」と題する油絵に描いていますので、誰もが一度は目にしたことがあるほど有名な逸話になっています。
早川雪洲は戦後フランスで細々と絵を描いて暮らしていましたが、ハリウッドでハンフリー・ボガート主演の『東京ジョー』に出演すると、コロンビア・ピクチャーズが話題作りのため雪洲を日本に帰国させることにしました。昭和24年、13年ぶりに日本に帰った雪洲を待ち構えていたのが大映の永田雅一社長で、日本映画を外国に輸出して外貨を稼ごうとしていた永田は、国際的大スター早川雪洲を大映で使おうとしたのです。しかし雪洲が大映で出演したのは『遥かなり母の国』(昭和25年/伊藤大輔監督)だけで、その次には東映になる直前の東横映画でヴィクトル・ユゴーの原作を翻訳した『レ・ミゼラブル あゝ無情』第一部・第二部に出演しています。
『女間者秘聞 赤穂浪士』で立花左近を演じた早川雪洲が次作に選んだのがこの『最後の将軍 山下奉文』で、当時の読売新聞に「舌足らずも目立たず、風格も十分、悲劇の将軍を演じきっている」と絶賛されました。早川雪洲の貫禄ある軍服姿に目を止めたのがデヴィッド・リーン監督で、『戦場にかける橋』の斎藤大佐役に雪洲を指名するきかっけにもなりました。雪洲はジャングルの中での日英両軍の将校が対立するだけで3時間近くを持たせるのは難しいと思って一度は断りを入れました。ところが脚本を読んだ妻の鶴子さんが「いい映画になるから考え直してみて」とアドバイスし、翻意した雪洲は見事に斎藤大佐を演じきります。本作での山下奉文役が契機となって起用され、結果的にはアカデミー賞助演男優賞にノミネートまでされたのですから、映画史的にも重要な役割を果たした作品だといえるでしょう。
監督の佐伯清は、東宝・新東宝から東映に流れてきて本作でメガホンをとり、以降東映東京撮影所で主要ローテーションをつとめることになります。脚本は八木保太郎と西澤裕の二人で、八木保太郎は戦前の日活時代からのベテランで、日教組プロの『ひろしま』のシナリオを書いた人。俳優陣では、山下奉文の副官的存在を山形勲が演じ、武藤参謀長役の小杉勇、通訳の中村哲、市民役の信欣三などが顔を揃えます。
【ご覧になった後で】山下奉文を英雄視し過ぎですが早川雪洲の存在感は抜群
いかがでしたか?旧日本軍によくある兵隊いじめや理不尽な体罰などは一切出てこないですし、司令官としての山下奉文大将は誰にでも等しく優しく声をかける理想の上官的に描かれていて、ちょっと山下奉文を理想化して英雄視し過ぎているのではないかと思ってしまいますね。前年には山本薩夫監督が『真空地帯』で軍隊の過酷な現実をえぐり出したばかりですので、本作の脚本は軍隊の描き方が甘いほうに偏っていたような気がします。一方でマニラから逃げ延びる市民の苦難の描写は凄まじいものがあり、食料がほとんどなくて葉っぱや根っこを煮る室内撮影や爆弾の投下が一般市民を直撃しもげた手足が泥道に転がっているのを捉えた移動ショットなどはリアル過ぎて目をそむけたくなるくらいでした。戦車の下敷きになったり滑落してそのまま息絶えたりする姿こそが、フィリピン戦の悲惨さを画面上でしっかりと伝えていました。
山下奉文は陸軍の中では皇道派の立場にあり、二二六事件の際に若手将校たちの決起を是認する発言をしていたようで、そのことから昭和天皇の不興をかっていました。実際に山下奉文を陸軍大臣に推す声があったりしたようですが、そうした人事案に不満を隠さなかったようで、「昭和天皇実録」にも「人事異動案中の陸軍中将山下奉文・陸軍少佐石原莞爾の新補職への転任につき、御不満の意を示される」と書かれているくらいです。統制派の東條英機も山下のことを毛嫌いしていて、映画の冒頭で3年間も日本に戻ってくることができず、滞在も数日だけという状況が出てくるのも、実際に陸軍の中で山下が冷遇されていたことの表現だったわけです。
なので脚本としては英雄視が過ぎるのですけど、早川雪洲が演じることによってそこに人格者としての実在感が備わってしまい、観客は山下奉文に親近感を抱きながら本作を見ることになります。たまに早川雪洲の顔を真正面からとらえたクローズアップショットが出てきても、その顔貌は近影に十分耐えうる威厳を兼ね備えています。後半の裁判シーンになってもアメリカ軍の法廷でアメリカ人に取り囲まれながらも少しもへつらうことなく、自尊心をもってフェアな態度を貫く姿勢は、長年ハリウッドで国際的大スターとして活躍した早川雪洲でなくては嘘っぽく見えたことでしょう。ここらへんがデヴィッド・リーン監督が着目した点だったのは間違いありません。
今回見たバージョンは法廷シーンでの英語や中国語のセリフに字幕がついておらず、たぶん昭和28年の映画であれだけ多くの外国語に字幕なしということは考えられないので、字幕なしプリントをビデオ化したものなんでしょう。字幕が出なくても日本軍の残虐さを訴えているんだなとか、山下は大本営の指示に従っていただけだと弁護しているなとかはわかるので、演技が確かであればセリフは不要だなと思わされることになりました。
法廷シーンがそれなりにリアルだったのは、かなり大勢の外国人が画面に出てくるからで、あれほど多くの白人を揃えるにはそれなりの苦労があったのではないでしょうか。もしかしたらGHQ撤退後にも日本に残るアメリカ人がいたのかもしれませんし、大使館職員や欧米系企業の駐在員などにノーギャラでの出演を依頼した可能性もなくはありません。MPが通訳の中村哲を通じて「あなたは真のジェントルマンだ」と伝えたり、弁護団に記念として遺品を渡したりする場面は、やり過ぎのようにも見えますが、素直に日米交流を喜びたい気分にもさせられました。
赤痢に苦しむ信欣三や正論を述べる小杉勇など戦後の日本映画を底支えする俳優たちの堅実な演技にも注目したいところでしたが、やっぱり早川雪洲なくして本作は成立しないわけなので、その点だけでも本作の存在価値は認められるべきでしょう。たまたま日本に帰国していたときに本作のような企画があり、東映が早川雪洲を起用したことで、『戦場にかける橋』への早川雪洲の出演につながったのは、日本映画界にとって本当にラッキーなことだったと思わないわけにはいきませんね。(U031625)
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