グラン・プリ(1966年)

F1レーサー4人による年間チャンピオン争いを描いたレース映画の決定版

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジョン・フランケンハイマー監督の『グラン・プリ』です。モータースポーツのレーサーを主人公にした映画はそんなにたくさんあるわけではないものの、レースの最高峰であるフォーミュラ1を題材としながら一級品の娯楽大作になっているのは本作を置いて他にはありません。アメリカ、フランス、英国、イタリアの4人のレーサーがそれぞれの私生活と向き合いながらF1年間チャンピオンを争う熾烈なレースにのぞむ姿を描いていて、3時間近い上映時間があっという間に過ぎてしまうほどの没入感が味わえる傑作です。

【ご覧になる前に】三船敏郎のハリウッド映画初出演作品でもあります

モンテカルロではF1レース開幕戦のモナコグランプリが始まろうとしています。トップを走るBRMのストッダードをフェラーリのサルティが追う展開の中、アメリカ人ドライバーのアロンはギアの不調から周回遅れになりますが、チームメイトであるストッダードに追い抜きを許さない強引な走りを続けたために事故となり、ストッダードは重傷を負ってしまいます。ストッダードの妻パットは過酷なレースを見守ることに耐えられず、病院に運ばれたストッダードに別れを告げ、一方で優勝したサルティはレース後のパーティで雑誌編集者のルイーズと出会い、恋に落ちていくのでした…。

F1は国際自動車連盟が主催する世界最高峰の自動車レースで1950年から開催されています。ヨーロッパを中心にして国ごとに開催されるレースの順位によって年間チャンピオンが決定される仕組みになっていて、本作の舞台となったのは1966年のF1レース。現在は年間で最大22レースが開催されていますが当時は9レースしかなく、開幕戦のモナコのあとは、フランス・ベルギー・ドイツ・オランダ・アメリカ・メキシコと続いて最終戦がイタリアで開催される設定になっています。1966年の実際の開催順は違っているようですが、タイヤメーカーのグッドイヤーがFIAとジョン・フランケンハイマー監督の間を取り持ち、各開催レースの実写撮影が実現しました。このときのコネクションを生かして、ジョン・フランケンハイマーは1977年の『ブラック・サンデー』製作時にスーパーボウル上空を飛ぶグッドイヤー社の飛行船を撮影することができたと言われています。

4人のレーサーに関していえば、まずアメリカ人ドライバーをジェームズ・ガーナーが演じています。当初はスティーヴ・マックイーンを起用する案があったのですが、プロデューサーのエドワード・ルイスと全くソリが合わなかったため、ガーナーに変更されたとか。マックイーンは本作がレース映画として成功するのを見てからはジェームズ・ガーナーと険悪な仲になってしまったそうです。フランス人ドライバーはシャンソン歌手兼俳優のイヴ・モンタン。1960年の『恋をしましょう』でハリウッドに進出していますので英語も普通に話しています。英国人ドライバーのブライアン・ベッドフォードはイギリスではTVシリーズで活躍した俳優。イタリア人ドライバーはジャン・ポール・ベルモンドにオファーしたものの断られてしまい、新人のアントニオ・サバトが起用されました。

こうした俳優たちと肩を並べるようにしてクレジット順では四番目に出てくるのが三船敏郎です。『羅生門』でヴェネチア映画祭グランプリを獲得してから三船は世界的な俳優になりましたが、実際に外国映画に出演したのは1961年のメキシコ映画『価値ある男』がはじめてでした。しかしながらまだ黒澤明監督作品には必ず主演していた時期でしたので、1965年の『赤ひげ』の撮影が完了するまでは海外からのオファーがあっても断らざるを得なかったようです。黒澤組から解放された三船は本作の出演料として30万ドルを受け取り、固定相場制で1ドル360円の時代でしたので、当時の為替レートでも1億円を手にすることができました。1962年に三船プロダクションを設立していた三船はその1億円を成城のスタジオ建設にすべて注ぎ込んだといいます。三船はその後も自らのプロダクションの経営難を救うべく、外国映画に出続けることになっていきます。

本作の原案・脚本はロバート・アラン・アーサーという人によるもので、この人は本作以外にはあまり目立った仕事をしていないようです。レース映像を見事に撮影したキャメラマンはライオネル・リンドンで、『80日間世界一周』で撮影監督をつとめた人。本作はアカデミー賞を編集・録音・音響効果の三部門で獲得していますが、撮影はノミネートもされていないのでそこらへんが不思議なところです。もちろん監督のジョン・フランケンハイマーもオスカーには全く縁のない監督なので、アカデミーからは完全無視されています。

【ご覧になった後で】とにかくレースシーンの迫力ある演出がスゴかったです

いかがでしたか?レースを題材にした映画は、マックイーンの『栄光のル・マン』やポール・ニューマンの『レーサー』程度ですが、間違いなくダントツで本作がNo.1と断言できます。3時間の上映時間にレースとレーサーの人生模様の両面が凝縮されていて、しかも基本のストーリーラインはF1グランプリの年間シーズンを追っていく時系列になっているので、終盤に向けて観客の気持ちもどんどん盛り上がっていくんですよね。これは脚本のうまさもありますが、とにかくジョン・フランケンハイマーのレースシークエンスの演出がメチャクチャに面白いことが第一の要因だと思います。

なぜなら、レース場面って国やサーキットが変わるとはいっても基本はマシンが競り合って走っているだけなんですよ。それをチャンピオン争いとレーサーごとの精神状態や家庭の事情をからませながらドラマチックに描いていくには映像でどう見せるかしかないので、これはもうジョン・フランケンハイマーの手腕によるものだと言い切っていいでしょう。
まずモナコグランプリは街中を走るコースなので街のあちこちから観客が観戦するような視点の短いショットを積み重ねるとともに、レーサーの主観ショットで猛烈なスピードでトンネルをくぐり抜ける映像を見せて異次元の高速空間を疑似体験させます。次のフランスグランプリはテンポを変えてゆったりしっとりとレーサーの心情を描写するために、路面を走るマシンのシルエットを重ねたうえにエヴァ・マリー・セイントのクローズアップをオーバーラップさせます。それでもって続くベルギーのスパでは空撮を用いて疾走するマシンを俯瞰で追いかけ、深い緑の中で雨に濡れた路面の上を滑るように走るマシンの美しさを切り取っていきます。そしてそして、クライマックスのイタリア・モンツァでは車載カメラを駆使することによって、観客がサーキットの中に放り込まれたような視点でレーサーが戦っている様子を疑似体験できるくらいの臨場感溢れる迫力満点の演出がなされていました。こんなにいろんなバリエーションでレースを描写できる監督は、ジョン・フランケンハイマー以外にはなかなかいないのではないでしょうか。

こうした映像を実現するためには撮影現場での技術革新が必要だったわけで、例えば車載カメラでの撮影は、現在では超小型レンズと通信機能による極小サイズのTV用中継機材で済みますが、本作撮影当時はフィルムキャメラしかないはずでかなり大きな機材をマシンに搭載する必要があったはずです。しかもモンツァではその車載カメラが自動で横にパンしてマシンの進行方向の映像がレーサーの横顔になるまでをとらえるんで驚いてしまいました。振動によるブレ防止の技術をNASAと共同開発したなんてエピソードもあるくらいですから、複数の専門機関が関わらないと実現できなかったと思われます。

本作はクレジットにトップビリングされるのもラストショットでひとりサーキット上に立つ姿もジェームズ・ガーナーになっていますけど、実質的な主人公はジャン・ピエール・サルティを演じたイヴ・モンタンだったように思います。エヴァ・マリー・セイントと心を通わせる一方で、妻とはビジネスに利用されるだけの関係になっているという私生活の描き方も入念なので、深みのあるキャラクターをモンタンが渋めに演じていました。それを考えるとジェームズ・ガーナーがやったピート・アロンというキャラクターは造形がやや弱く、かつ自己中心的なレーサーにしか見えないのが残念でしたし、ジェシカ・ウォルター演じるパットを寝取る感覚も全く理解不能でした。英国人ドライバーのストッダード役のブライアン・ベッドフォードはパットを愛しつつプライドが高く繊細そうな演技が良かった一方で、モナコであんな重傷を負ったのにシーズン途中で復帰してチャンピオン争いに加わっているという設定自体には無理がありました。足が曲げられないのにF1レースを戦うなんて現在ではあり得ないですよね。ちなみにジェームズ・ガーナーは背が高すぎてマシンのコックピットを広げないと収まらない図体だったようで、それならばやっぱりちょっと小柄なマックイーンのほうが適役だったかなと思ってしまいますね。

そしてヤムラ氏を演じる三船敏郎は全く臆するところがなく実に堂々としていて、他の俳優たちを圧倒するような巨大な存在感を出していました。ヤムラのモデルになっているのはもちろんホンダですが、ホンダは1964年にF1グランプリに初参加し、1965年10月のメキシコグランプリにおいてリッチー・ギンサーが初優勝を果たしています。イタリアグランプリのレース前に参加国の国旗が並ぶショットがありますが、その中央あたりに日の丸が翻るのを見て、当時の日本の多くの観客は誇らしげな気分になれたんではないでしょうかね。ちなみに三船敏郎のセリフは日本人スタッフと交わす日本語は三船本人のものですが、英語のセリフは吹き替えなんだそうです。声質に違和感がなかったので、声のよく似た人がアテたんでしょうね。またヤムラ社長の通訳をつとめる目の細い俳優は東宝の怪獣映画に出ていた加藤春哉のような気がするのですがクレジットされておらず、調べてみたら「Masaaki Asukai」という人なんだそうです。

最後になりますが、本作はモーリス・ジャールによる音楽も秀逸で、あのマーチっぽい主題曲のモチーフがいたるところでいろんな変奏曲になって登場します。この曲はかつてNHK-FMで放送されていた「サウンド・オブ・ポップス」という音楽番組のテーマ曲になっていて、オープニングとエンディングに必ずラジオから流れていたんです。番組内容は映画音楽ではなく、いろんなアルバム(もちろん当時のLPレコード)のA面だけとかB面全部とかをそのままかけてくれる有難い番組であったと記憶しております。このテーマ曲のバージョンはYouTubeで「カラベリ グランプリ」と検索するとすぐに聴くことができまして、さっき聴いたら涙が出るくらい懐かしかったです。(V052222)

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