木下恵介監督が『楢山節考』に続いて深沢七郎の原作を映画化した作品です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、木下恵介監督の『笛吹川』です。木下恵介は深沢七郎原作の『楢山節考』を映画にした際、演劇的手法を駆使した独自の映像表現が高く評価されました。この『笛吹川』も深沢七郎の小説を映画化したもので、戦国時代の甲州の貧農たちを年代記風に描いた叙事詩的な作品に仕上がっています。白黒の画面に青や赤などの原色を着色するパートカラーになっているところも見どころで、昭和35年度のキネマ旬報ベストテンでは第四位に選ばれています。
【ご覧になる前に】笛吹川の木橋を舞台にした親子五代に渡る年代記です
笛吹川の木橋のたもとに貧しい農民一家が暮らす狭い小屋のような家に武田軍の人足となって出兵していた半蔵が帰って来ます。戦にいくことを勧めたおじいは喜び、反対した半平を責めますが、親方様にボコが誕生した際の産後を埋める大役に名乗り出たおじいは、怪我をした血で土を穢してしまったかどで斬り殺されてしまいました。順調に出世した半蔵は出戻りの姉を豪商の後家に嫁がせ、姉が残した定平は小平が育てることになりました。しかし次第に戦は激しくなり平蔵は討ち死にし、定平はおけいという働き者の嫁を得ますがなかなか子宝に恵まれないのでした…。
木下恵介監督は松竹蒲田では撮影部に所属していましたが、撮影所が大船に移転すると島津保次郎監督に気に入られて助監督となり、昭和18年に『花咲く港』で監督デビューしました。戦後には松竹を代表する監督になりますが、小津安二郎などとは違って木下恵介はひとつのジャンルや作風にこだわることがなく、喜劇から悲劇、社会劇にいたるまで臨機応変に次々に作品を生み出していきました。振り子のようにあっちへこっちへと揺れる木下恵介の映画作りのスタンスが、木下恵介の監督としての評価がなかなか定まらない要因にもなったのですが、木下恵介はそんな周囲の目など気にすることなく、会社の要求にも応えつつ、自らこだわった企画を実現させていきます。この『笛吹川』も木下恵介の振り子がこだわりに振れたときの作品で、白黒画面を赤、青、黄色、緑といった原色で着色するという実験的な映像表現に挑戦しています。
原作の深沢七郎は『楢山節考』で小説家としてデビューして以降、日本の風土に土着した短編を発表していまして、『東北の神武たち』という小説も昭和32年に市川崑の監督で東宝が映画化しています。結果的に映画化されたのは三作だけになったのですが、それは昭和40年に発表した「風流夢譚」をきっかけにして中央公論社社長宅が右翼の襲撃に会い家政婦が殺されるといういわゆる嶋中事件が起きたためで、深沢七郎自身は一時執筆を中断して放浪生活に入ったのでした。
映画の舞台となっている笛吹川は山梨県を流れる富士川水系の川で、川が流れる音が篠笛の音のように聞こえるということから笛吹川と呼ばれるようになったと伝えられています。しかし実際の映画に登場するのは笛吹川ではなく長野県の千曲川。木下恵介は『カルメン故郷に帰る』でオールロケの撮影地として長野を訪れて以来、千曲川と北アルプスを望む景色がお気に入りだったようで、本作では当時千曲川にかかっていた関崎橋という木橋をロケ地に選びました。もちろん映画に登場する木橋は今は取り壊されて鉄筋コンクリートのものに架け替えられています。
主人公を演じる田村高廣と高峰秀子は木下恵介監督の『女の園』で恋人同士の役をやっていたコンビでして、本作では十八歳から八十五歳になるまでの貧農の一生を特殊メイクアップを使って演じ切っています。定平夫婦の子供たちの配役がすごくて、長男の惣藏には当時の市川染五郎。のちの九代目松本幸四郎、二代目松本白鸚です。次男の安蔵は中村萬之助、のちの二代目中村吉右衛門。この兄弟の父親が上杉謙信として特別主演している八代目松本幸四郎ですので、本作は親子三人がひとつの映画に出演した珍しい作品になっています。松本親子は昭和36年に東宝の大演出家菊田一夫の誘いに乗って、松竹から東宝に移籍して帝国劇場での東宝歌舞伎旗揚げの中心になりますので、松竹としても本作が松本親子との縁の切れ目になる(もちろんその後復縁しますが)とは思ってもみなかったことでしょう。
また娘ウメをやっている女優がなんとも楚々と美しいのですが、十九歳の岩下志麻が演じています。岩下志麻の映画デビューは小津安二郎の『秋日和』なのかと思っていたら、『秋日和』が昭和35年11月公開で、本作は10月に封切られていますので、『笛吹川』こそが岩下志麻のデビュー作だったんですね。
【ご覧になった後で】戦国時代を貧農一家の視点から眺めた一大叙事詩でした
いかがでしたか?本作はジャンル的には時代劇に入るのですが、通常の時代劇とは全く異なっていて、武田軍の戦の場面がたくさん出てくるものの、そのどれもが大将から見た俯瞰図ではなく、雑兵の目から見た刀や槍で相手と斬りあう目の前の殺傷の映像で構成されています。「飯田河原の合戦」からはじまって画面の端っこに「富士須走口の合戦」とかが字幕で示され、あの有名な「川中島の合戦」も「長篠の合戦」も登場します。しかしどの合戦にも草原の中でもがくようにして切って斬り捨てられる雑兵しか出てきません。つまり戦略や戦術を描くことなど一切なく、映画はひたすら戦が起きるたびに互いに斬りあう兵の視点で物語られていくのです。だから武田軍が勝ったのか負けたのかなんて雑兵の目から見たらわかりっこありませんで、勝つにしても負けるにしても自分を殺しにくる相手に立ち向かうことには変わらないわけで、戦というものはコマとして扱われる兵が最後にどれだけ残るかどうかの殲滅戦であることがひしひしと伝わってくるのです。そんな戦の現場ではなんとか殺法とかなんとか流なんていう剣法的なものはあってないようなもので、とにかく切るか差すか叩くか殴るかひねるか折るかなんとかして相手を倒すだけの、凄まじくもむなしい戦いの映像が繰り返されるのがこの『笛吹川』なのでした。
そんな戦の実際的な映像と同時並行して、川のたもとにあるボロ家ではいつも戦に出た息子たちを待つ定平とおけいの二人の姿が描かれます。血気盛んに戦に出ていく長男と次男を引き留めることができず、娘はその長男が奉公に連れ出してしまい、兄弟を連れ戻しに行ったはずの三男までもが武田軍に取り込まれてしまい、帰ってきません。このシチュエーションが非常に丁寧に描かれているので、家族をひとりひとり失っていく戦の残酷さが、ボロ家の中に定平とおけいしかいなくなってしまう空虚さとともに映像として表現されていきます。本作は戦国時代を貧農の立場から眺めた年代記というか戦国叙事詩なわけですが、木下恵介監督はそこに現在的にも進行している戦争の残酷さといざ戦争が起きてしまうとそれに抗うことができなくなる庶民の悲劇を描き出したかったのだと思います。
その悲劇が白黒画面に着色するという意想外な手法によって強調されていて、観客にちょっとした異化作用を起させるんですよね。漫然と画面を見ていられないような、作者からのメッセージのような効果がパートカラーで着色することによって出ていて、何気ない普通の場面が着色ひとつでほんのすこしズレたものに感じられます。そのズレが観客に異化を及ぼし、平和の裏には戦争があるという恐ろしさを体感させてくれるのです。
着色するには元の画面がきっちりと決まっていないと作り物感が増してしまって軽薄な感じになってしまうところですが、キャメラマンの楠田浩之の映像がどのショットも完璧な構図にキマっていて、シネスコサイズの横長画面を存分に使っていました。特に木橋の映像はシネスコフィルムにぴったりで、高峰秀子演じるおけいがひとり木橋を左から右に渡っていく超ロングショットは非常に美しく、子供たちを取り戻しに向かうおけいの決意が伝わってくるようでしたね。また奥行きの表現も抜群で、川向うに火の手があがってそれが姉の嫁いだ豪商の家だといわれても何をすることもできずに立ちすくんでいる田村高廣の無力さみたいなものが、楠田浩之のキャメラで強調されいました。音楽は当然木下忠司で、音楽というよりは和楽器の音色というか鳴り物的な特徴をよく引き出していたのではないでしょうか。映像とともに無常感を伝える効果があったと思います。
そして市川染五郎と中村萬之助は二人とも若いですねえ。まだ表情も幼くて演技力も中途半端ですが、この二人が平成の歌舞伎界を大幹部として引っ張っていくことになるとは当時は誰も想像できなかったでしょう。十七代目中村勘三郎が武田信玄役でほんの数カット出てくるのも見どころでしたが、ストップモーションでとらえた表情が十八代目勘三郎とそっくりだったのにはびっくらしてしまいました。
というわけで、木下恵介監督という人は『日本の悲劇』『女の園』『楢山節考』そしてこの『笛吹川』と日本映画史に残る傑作を次々に輩出した名監督だとあらためて思うわけですし、その割には黒澤・小津・溝口の三大巨匠に比べていまだに評価が定まっていないのはなんとも気の毒に感じてしまいます。ですが、この『笛吹川』を何度も繰り返し見たくなるかといえばそんなこともなく、まあ一度見ておけば十分だなという感じがしてしまい、傑作ではありますがなかなかおススメするまではいかないなあというのは木下恵介監督の微妙な評価に似ているところがあるのかもしれません。(A080322)
コメント
コメント失礼致します。
「笛吹川」初見では木下流の反戦映画だと単純に感じてしまったのですが、
観返すと、庶民の欲望・執着なども描かれ、黒澤明映画「乱」と好対照に思えました。
木下びいきゆえに言えば、視点・様式・規模こそ違えど、「乱」と同等で、しかも「乱」より四半世紀先駆けて描き上げた木下監督の凄さに驚きます。
「乱」と見比べると、似通った点も感じて、より面白く思えます。
ひつぼくケンシ様、ご来場ありがとうございます。
『笛吹川』が『乱』を四半世紀先駆けていたというコメントを拝見して、確かに色彩への感覚も木下監督が先取りしていたのかもしれないなと思いました。
ご指摘くださいましてありがとうございました!