システムの誤作動でモスクワへの核攻撃が命令されたらばという政治劇です
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、シドニー・ルメット監督の『未知への飛行』です。原題の「Fail Safe」は誤って核攻撃が発動されたときの制御の仕組みのことで、本作ではシステムの誤作動でモスクワへの核攻撃が命令されてしまった事態に合衆国大統領がどのように対処するかが描かれています。アメリカ空軍の協力が得られなかったことで、実際の爆撃機の映像や飛行シーンは在りものを転用していて、全体的にB級感が目につくのですが、大統領役をヘンリー・フォンダが演じたことでグンと作品の格が上がっているように見えてきます。
【ご覧になる前に】『博士の異常な愛情』と内容が被って一悶着がありました
闘牛士に殺される夢を見たブラック将軍がワシントンに出かけ、グロテシェル教授が優生理論を唱えているとき、オマハの国防司令部のレーダーはカナダ国境に未確認飛行物体を発見しました。水爆を搭載したアメリカ空軍の爆撃機が待機旋回をして備える中、民間飛行機の低空飛行が原因と判明し、ボーガン将軍が帰還を指示しますが、故障した部品を交換したときにコンピューターが誤作動を起こし、6機編隊の爆撃機にモスクワへの核攻撃命令が発動されてしまいます。国防司令部から爆撃機への通信はソ連の妨害電波により遮断されており攻撃中止が伝えられず、ワシントンでは大統領がロシア語通訳のバックとともにホワイトハウス地下のホットライン室に入るのでした…。
原作はユージン・バーディックとハーヴィー・ウィーラーの共著なんだそうですが、スタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情』の原作であるピーター・ジョージの「Red Alert」と内容が酷似していました。ピーター・ジョージは訴訟を起こしたものの後になって和解したそうですが、ほぼ同時期に映画化されたこの『未知への飛行』と『博士の異常な愛情』はともにコロンビア・ピクチャーズで製作されています。スタンリー・キューブリックは内容が似ているため、コロンビアに『博士の異常な愛情』を先に公開するように要求し、結果的に『未知への飛行』は10ヶ月ほど劇場公開が遅れることになりました。
同じ時期に同じような核戦争勃発の危機を描いた映画が製作されたのは、やっぱり1962年10月に起きたキューバ危機の影響が甚大だったことを示しています。本作で描かれる国防司令部での攻撃命令は色で段階が示されていて、平時の青から始まって、緑・黄色と攻撃準備態勢のレベルが上がっていくと説明されています。これはデフコン(DEFCON)と略称されている「Defence Readiness Condition」として実際にアメリカ国防総省で使用されている規定で、デフコン1の白は実際の戦争に突入している状態を示し、デフコン2の赤は最高度の防衛準備態勢のことをいいます。司令部のボーガン将軍は「今まで赤になったことはない」と明言していますが、実はキューバ危機のときに一度だけ発令されたのがこの赤のレベルでの防衛準備でした。そしてキューバ危機以降、再び赤になったことは現在のところ一度もありませんので、いかにキューバ危機が人類史上で核戦争に最も近いところにあったかが想像されるところです。
そんな核戦争の危機を描いているので、『博士の異常な愛情』と同様にアメリカ空軍の協力を得ることができず、爆撃機の飛行映像などはすべて既存のストック映像が使われていて、光学処理して複数機が飛んでいるように見せています。またB-58爆撃機の機内はセットで再現されたものではなく、フライトシミュレーターをレンタルで借りてきてそこに俳優を座らせて撮影されたもの。国防司令部の巨大スクリーンに投影されるレーダーもすべてアニメーションで作成されていて、コンピューターグラフィックなどはない時代ですから、手書きによるアニメ動画で表現するしかなかったんですね。実機を飛ばして撮影したりVFXで表現したりする現在の映像テクニックと比較すると、非常にチャチなものに見えてしまうのはいかんともし難いです。
俳優の中ではヘンリー・フォンダが圧倒的な存在感を見せています。シドニー・ルメットの監督デビュー作でもある『十二人の怒れる男』ではヘンリー・フォンダはプロデューサーも兼ねていたので、シドニー・ルメット起用に一枚嚙んでいたのかもしれず、だとするとかなり低予算で製作されている感じが満載のB級作品っぽい本作にヘンリー・フォンダが主演しているのも、シドニー・ルメット監督なら出演しようという裏事情があったのかもしれません。もう一人のビッグネームはウォルター・マッソーで、本作の前年にスタンリー・ドーネンの『シャレード』で最後まで悪役とはわからない悪役を演じて注目を集めた頃の出演となります。核戦争で生き残るなら共産主義者ではなく資本主義者のほうがいいと明言する政治学者を冷徹な雰囲気で演じています。
【ご覧になった後で】緊迫感はあるものの核攻撃のリアル感は今ひとつでした
いかがでしたか?この映画は日本ではかなり遅れた1982年に配給会社のインターナショナルプロモーションが劇場公開した作品です。インターナショナルプロモーションは1970年代後半にやっぱり日本未公開だったアルフレッド・ヒッチコック『バルカン超特急』を劇場公開するなどクラシック映画ファンにとっては忘れられない配給会社でして、日本テレビが放映していた「水曜ロードショー」の解説者でもあった水野晴朗氏が日本ユナイトから独立して設立、過去の名画を日本公開してくれていたのでした。たぶん1980年代に入ってキューブリックの『博士の異常な愛情』を再評価する動きがあって、それではと未公開になっていた『未知への飛行』に目をつけたのかもしれません。
というわけで『博士の異常な愛情』のブラックユーモア路線とは真逆のシリアスタッチの政治サスペンス劇としての『未知への飛行』は他にはない緊迫感にあふれていて、息をつめたままラストまで持っていかれるような緊張度の高い作品になっていました。シドニー・ルメットの演出は闘牛の夢の場面からしてすでにそうなのですがクローズアップを多用して開巻から一見大仰な表現で押していきます。ウォルター・マッソーがパーティの後に車で女性を引っぱたく場面なんかでも顔のクロースアップショットが続き、普通ならこんなどうでもいいような場面で多用はしないはずなんですよね。で、やっぱりそれはシドニー・ルメットらしい逆計算の演出なわけで、極端なショットを多用したのはヘンリー・フォンダと通訳のラリー・ハグマンが地下室でソ連書記長と対峙するホットラインの場面を際立たせたいがためだったのです。
ここは本当に見事なフィックスの長回しショットになっていて、電話を中心にして左に通訳、右に大統領が座るのをふたりのバストショットでとらえています。ソ連側は一切映らないので、観客は電話から漏れる声とハグマンによって通訳された言葉を聞くしかありません。ここまでの展開としてはアメリカ側で打てる手はすべて打ち尽くされていて、そのうえでソ連書記長にアメリカ空軍爆撃機を撃ち落してくれと頼む非常に重要な場面です。この交渉が不調に終わるとソ連の核報復攻撃がアメリカ全土になされ、全面核戦争に突入してしまうわけですから、大統領は今起きていることが事故であることを書記長に信じてもらわなければなりません。ここが本作の一番のキモであって、これがないと最後に大統領が「アブラハムの息子」を差し出すという非情な決断が生きてこないのです。それをシドニー・ルメットは安易なクローズアップショットの多用という逆の手を使って、単なるフィックスショットの長回しを尋常でないくらいの緊密な場面に仕立て上げたのでした。
といちおう褒めておいて、ダメなところを言わざるを得ないのですが、やっぱり低予算だからといって爆撃機の描写を手抜きしてしまったのは目をつぶることはできません。本作が終盤に向って手に汗を握るポリティカルサスペンスドラマになるには爆撃機が徐々にしかも着実にモスクワに迫っていくシチュエーションがしっかりと観客に伝わらなければなりません。ところが観客が見るのは、光学合成で適当に混ぜ合わされた飛行機のボヤけた映像と司令部のスクリーンに映る地図上の矢印表示だけです。これではモスクワが核攻撃されるリアリティが伝わってきませんし、B-58のコックピットとだけカットバックされても、その機体が今どこにいるのかが視覚的にわからないので手に汗が握れないのです。
比較するのもなんですが『博士の異常な愛情』では、コング少佐の乗るB-52は飛行する機体も映るし、低空飛行したときに地面に影がおちていますし、コックピットから見た景色も見ることができます。さらには敵の攻撃に遭って目標地点を見失い、コング少佐が第二地点に目標修正するという展開も見せてくれます。それに対して本作は、そもそも爆撃機がモスクワまでの燃料を満載して飛んでいたのかも不明ですし、そんな重い燃料を積んだ機体なら、軽い機体の追撃機を別の基地から飛び立たせれば、すぐに追いつけそうな気もしてきます。当時は大陸間弾道ミサイルはまだ存在していなくて、ミサイルでの爆破が不可能だとしても、ソ連の防御力で考えればアメリカ空軍におとりを使うという機能が備わっている程度でモスクワに敵機を到達させてしまうのはいかにもリアル感が欠けています。大統領と書記長のやりとりが非常に緊張感があって、ヘンリー・フォンダ演じる大統領像がシュアな映像と演出で表現されていたのに、実際の攻撃力と防御力のせめぎ合いがほとんど描かれていなかったのは、本作の致命的欠点だと言わざるを得ないでしょう。
水爆にまたがって落下していくコング少佐に比べて、妻の叫びに耳を貸さないグレイディ大佐は今ひとつ印象が薄いキャラクターでした。グレイディ大佐を演じていたのはエドワード・ビンズで、この人は『十二人の怒れる男』で6番を演じた人です。言うまでもなくヘンリー・フォンダは8番でしたから1957年にこの二人は共演していたんですよね。記憶が曖昧なのですが6番は比較的早く8番の無罪説に同意する陪審員ではなかったでしょうかね。まあそれから何年かしてヘンリー・フォンダは大統領になり、エドワード・ビンズは帰還できずに自らも放射能を浴びる爆撃手になったということで、俳優の運命もいろいろだなあと思わされたのでした。(A100122)
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