ジェームズ・ディーンは初主演した本作の公開半年後に事故で亡くなりました
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、エリア・カザン監督の『エデンの東』です。ジェームズ・ディーンは『エデンの東』『理由なき反抗』『ジャイアンツ』の三本の作品で主演をつとめましたが、1954年に撮影された本作が初主演作品でした。孤独で傷つきやすい青年像をヴィヴィッドに表現した演技はハリウッドにセンセーションを巻き起こすほどでしたが、本作が公開された半年後の1955年9月30日にジェームズ・ディーンは自らが運転するポルシェ550スパイダーで衝突事故を起こし還らぬ人となってしまいます。享年二十四歳のあまりにも早過ぎる事故死でした。日本ではその死の翌月に公開されて配給収入5位のヒットを記録し、キネマ旬報ベストテンでは見事第1位に選ばれています。
【ご覧になる前に】エリア・カザンはハリウッドで毀誉褒貶が激しい監督です
カリフォルニア州モントレーで銀行から出た女性の後をつけていたキャルは、女性が経営する酒場に入ろうとして用心棒のジョーに追い出されてしまいます。列車の屋根に乗ってサリナスまで戻ったキャルは恋人のアブラと歩いている兄弟のアーロンに誘われて、レタスの冷凍装置導入の相談をしている父親アダムのところに顔を出します。一晩家を空けたことを謝らないキャルを見て父親はアーロンと比べて素行が悪いと嘆き、アブラはアーロンに今すぐにでも結婚したいと囁きます。それを覗き見ていたキャルは突然貯蔵庫から氷の塊を次々と落下させてしまうのでしたが…。
原作はジョン・スタインベックが書いた小説で、ドイツ系移民の家に生まれたスタインベックは「アメリカ文学の巨人」と呼ばれるほどのアメリカを代表する文学者でした。最も有名なのは1939年に発表された「怒りの葡萄」で、翌年すぐにジョン・フォード監督によって映画化されています。この「エデンの東」は1952年に発表された長編小説で、父親アダムの青年時代とアーロンとキャル兄弟の息子たちの二世代を近代化するアメリカを舞台にして描いています。
本作は1954年に製作されていますので小説の発表から二年後にはワーナーブラザーズが映画化していたわけですが、映画では小説の後半部分のみを切り取ってキャルとアーロンの兄弟を対比させながら平和な町サリナスと欲望の町モントレーのふたつの町を舞台にした物語になっています。脚色したポール・オズボーンは舞台の台本を書いていたときにエリア・カザンと知り合って、1940年代にはハリウッドで映画のシナリオを書くようになった人。本作以前では『ジェニーの肖像』の共同脚本家としてクレジットされていますが、代表作はやっぱりこの『エデンの東』でしょうか。1958年にジョシュア・ローガン監督のミュージカル『南太平洋』の脚本を担当した後はTV業界のほうに移っていったらしく、あまり作品は残っていません。
監督のエリア・カザンはイスタンブール出身のギリシャ人で両親とともにアメリカに移住してからイェール大学で演劇を学んで舞台の演出家になりました。スタニスラフスキー・システムをとりいれた俳優養成所「アクターズ・スタジオ」を創設し、リー・ストラスバーグらとともにマーロン・ブランドなどの新人俳優を育て上げます。リアリズムを重視した「メソッド」と呼ばれる演技法を開発して、ジェームズ・ディーンもこのアクターズ・スタジオで演技を学び、ポール・オズボーンの推薦によってキャル役で出演することになったそうです。
エリア・カザンはアカデミー賞監督賞を1947年の『紳士協定』と1954年の『波止場』で二度受賞していますし、『欲望という名の電車』と本作でもノミネートに名前があがるほどの名監督でした。しかし大戦前に共産党員だった経歴から1940年代後半に吹き荒れた赤狩りのもとで追放すべき共産主義者の対象として非米活動委員会から嫌疑がかけられました。そのときにエリア・カザンはいわゆる司法取引に応じて、自分の身を守ることを保証させたうえで友人の映画監督や劇作家、俳優らの名前を共産主義者として非米活動委員会に売ったのでした。エリア・カザンの証言によってリリアン・ヘルマンはブラックリストに名前がのせられ、ダシール・ハメットは刑務所に入ることになり、多くのハリウッドのリベラリストたちが本名を隠して偽名で活動することを余儀なくされたのでした。
『エデンの東』はそのロマンティックなテーマ曲も有名で、ヴィクター・ヤングの作曲かと思っていたら大きな間違いで作曲したのはレナード・ローゼンマンという人でした。ローゼンマンをエリア・カザンに紹介したのはジェームズ・ディーンだといわれていて、本作以外では『理由なき反抗』『ミクロの決死圏』などの映画で楽曲を書いているようです。日本ではヴィクター・ヤング楽団が演奏したバージョンが有名でしたので、レナード・ローゼンマンという作曲家は全くのノーマークでした。
【ご覧になった後で】キリスト教に詳しい人向けの教条的映画なんでしょうか
いかがでしたか?子供の頃のTVの洋画劇場で『エデンの東』が放映されたときにはそれはもう一大事というくらいの貴重な映画鑑賞機会で、どの映画雑誌を見ても映画史上に残る傑作だと書いていたのを盲信していたので、それほど面白い映画でもないなという感想を正直に話すのが憚られるような感じでした。今回久しぶりに再見してみても、やっぱり映画としても物語としてもそんなに大した傑作だとは思えず、普通なら口にしないような歯の浮くセリフばかりが出てくるし、登場人物があからさまに自分の内面をさらけ出してしまうし、あまりにもアーロンとキャルの対照的な設定があざとすぎるし、どうにもこうにもフォローしにくい教条的な映画だなあと思ってしまいました。
たぶん背景にあるのは旧約聖書のカインとアベルの物語なんでしょうけど、旧約聖書も読んだことないですし、兄弟が父親からの愛情を巡って争うみたいな話は小説でも映画でも数えきれないくらいあるわけなので、それをそのまんまの形でありがたがって見るのは難しいことのように思えます。小説の後半部分だけに絞り込んだのは良かったんでしょうが、アーロンからキャルに「乗り換える」アブラの心の変化があまり描けていないのを筆頭にして、あんなに明朗だったアーロンが急に暗い陰湿なキャラに変わってしまうのもヘンですし、キャルを嫌っていた父親が脳内出血で倒れた途端にキャルを赦す風になるのもご都合主義っぽく見えてしまいました。
ジョー・ヴァン・フリートはアカデミー賞助演女優賞を獲得しただけあって存在感抜群でしたが、女手ひとつで酒場の経営者としてのし上がったにしては優し過ぎてしまい、悪女っぽい感じがしないので、幼い兄弟を置き去りにして出奔するほどの悪女に見えないんですよね。アダムが「彫刻のようで美しかった」と言った手もなぜ手袋をしているのか最後まで説明されなかったので、あのセリフだけが宙ぶらりんで浮いてしまっていました。またサブキャラクターとして出てくる酒場の用心棒や大豆投機の支援者などが途中で役割がなくなって消えてしまうのも残念でしたね。唯一アダムを昔から知る保安官だけがキャラクターとして映画に貢献しているのみで、登場人物のさばき方も下手だったように思えます。
なので本作が名作だと語り継がれているのはひとえにジェームズ・ディーンが出ているためなのでしょう。確かに孤独で人恋しくて神経質で純情なキャルという人物を強烈に印象付ける演技は特筆すべきものがありました。けれどもリアリズムをモットーとする「メソッド」からすると、ちょっとやり過ぎというか演技力を見せ過ぎというか、なんだか過剰感があふれてしまいお腹いっぱいな感じの演技に見えてしまいました。映画の中でキャルが変化し成長するというよりは、周囲の人間が偏屈さを退けてキャルを受け入れるように見えるので、観客はキャルのキャラに共感しにくいんじゃないでしょうか。アブラなんか氷の貯蔵庫で「いい母親になる」とアーロンに言われて嬉しそうだったのに、いつのまにか「自分の理想にはめようとしている」みたいな感じで愛想尽かしをしていて、キャル視点で見れば良いお嬢さんですが、アーロンにしてみたらひでえ女にしか見えないでしょうね。
文句ついでに難癖をつけるならば、キャルとアブラが遊園地で遊ぶときにバックで「Ain’t She Sweet」がアレンジされてBGMとして流されるのですが、ちょっと時代がおかしいんじゃないでしょうか。この曲は1927年に発表されて狂乱の20年代を代表する曲としてその後も数々のカバー曲が発売されていて、ビートルズもレコーディングした曲です。本作の時代設定はアメリカが第一次大戦に参戦を決めた1917年ですので、この「Ain’t She Sweet」はまだ存在していない時代のお話です。こういうところもなんだか名作として認めたくなくなる要因のひとつかもしれません。(V041023)
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