血と砂(昭和40年)

岡本喜八監督が三船敏郎主演で撮った戦争活劇で三船プロが製作もしています

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、岡本喜八監督の『血と砂』です。岡本喜八監督は『独立愚連隊』など中国大陸の荒涼とした土地を舞台にした戦争映画を一貫して撮っていまして、本作もその系譜にあたる一作です。主演は岡本喜八と盟友関係にあった三船敏郎で、三船が社長をつとめる三船プロダクションが東宝と共同で製作しました。昭和40年の芸術祭参加作品にもなっていますが、その年のキネマ旬報ベストテンでは黒澤明と三船敏郎の最後のコンビ作となった『赤ひげ』が第一位に選ばれています。

【ご覧になる前に】三船敏郎曹長が前線に送られた軍楽隊の少年兵を率います

昭和20年中支戦線、荒れた広野で隊列を組んで「聖者の行進」を演奏する軍楽隊がいます。徴兵された彼らを前線に送った小杉曹長が馬に乗って現れて、上官に反抗して人事課から前線に異動になったので今からお前たちの指揮を執ると告げます。小杉が向かった大隊では見習士官の銃殺刑が行われたところで、額撃ち抜いた料理長犬山一等兵を殴りつけた小杉は佐久間大尉に面会します。見習士官が焼き場と呼ばれる陣地を放棄して一人帰還した罪に問われたと語る佐久間は、小杉に少年兵とともに中国軍に占領された焼き場の奪還を命じるのですが…。

昭和33年の11億人を超えていた全国映画館入場者数は、TVの普及に伴ってわずか10年の間に3億人にまで縮小していました。入場料金の値上げで売上を維持していたメジャー映画会社は、やがて所有不動産の売却や撮影所の縮小などのリストラを迫られ、比較的経営が安定していた東宝も自主製作部門を切り離して、映画製作の外注化と配給・興行への専業化を図ります。監督や俳優を社員として自社で独占することで他社で仕事をできないようにしていた体制を改め、作品ごとの個別契約を交わしてコストを削減するようになっていったのが昭和30年代後半のことでした。

三船敏郎も東宝から独立して昭和38年に三船プロダクションを立ち上げます。設立にあたっては東宝から森岩雄と藤本真澄が取締役として経営に関与し、田中友幸が実務運営面で力を貸すことになりました。三船敏郎自らが監督した三船プロダクション第一回作品『五十万人の遺産』が封切られ、年間6位の配給収入を記録しました。しかし監督と主演を兼ねるのは無理だと判断した三船は、興行成績を保つためにも自分は主演に徹し、信頼できる人物に監督を任せたいと考えます。そこでかつて同じアパートに住んでいたこともある盟友の岡本喜八を起用することになり、三船プロ第二回作品『侍』は岡本喜八監督・三船敏郎主演で製作・公開されたのでした。

本作は『侍』に続く第三回三船プロ作品で、東宝と共同で製作されました。原作は「静かなノモンハン」などの戦場小説を書いた伊藤桂一の「悲しき戦記」で、岡本喜八と後に日活のロマンポルノで活躍することになる佐治乾の二人が脚色しています。撮影の西垣六郎は新東宝から東宝に移ったキャメラマンで、江利チエミの「サザエさんシリーズ」や「社長シリーズ」を多く担当した人みたいです。また本作は少年兵の軍楽隊が登場するので音楽が重要な要素になるのですが、中期黒澤映画を支えた佐藤勝が作曲を担っています。

三船敏郎の脇を固めるのは、佐藤允、伊藤雄之助、天本英世といった喜八ファミリーのほか、名古屋章、黒澤明の『用心棒』『椿三十郎』に続いての共演となる仲代達矢といった面々です。女優では団令子が体当たりの演技を見せていて、二年後には『殺人狂時代』で岡本喜八に再起用されることになります。ほんのチョイ役ですが桐野洋雄や沢村いき雄が出ているのも見逃せませんし、アルトサックスの少年兵役で「ウルトラセブン」でソガ隊員をやることになる阿知波信介(三船プロダクションに入社して多岐川裕美のマネジャーになり後に結婚)が出演しているのにも注目です。

【ご覧になった後で】焼き場の争奪戦になってから俄然エンジンがかかります

いかがでしたか?オープニングタイトルがいきなり「聖者の行進」を演奏する軍楽隊で、踊りながら演奏する少年兵たちが短いショットで紹介されます。このミュージカルタッチのオープニングの時点で『血と砂』という題名が本編と全く合っていないことがわかってしまい、重々しく文学的なタイトルとは正反対に軽妙で批判精神旺盛な岡本喜八ワールドが展開されることになります。なぜこのような戦争喜劇に悲壮感あふれるタイトルをつけたのか全く理解できませんし、日本映画には題名で損をしている作品がたくさん存在していることを嘆かざるを得ない気持ちになります。

軍楽隊の軽快な「聖者の行進」は映画の最後には演奏する少年兵たちがひとりまたひとりと戦死していくため、ついにはトランペットの旋律を最後に途絶えてしまいます。爆風によって吹き上げられた土砂が楽器を埋め尽くし、機銃で撃たれた少年兵たちは息絶え、陽気な「聖者の行進」の音楽は二度と演奏されることなく、戦場は静寂に包まれます。団令子のクローズアップで幕が降りる本作において戦場にブラスバンドを持ち込んだのは、この終幕を描くためだったのかもしれません。

映画の中では軍隊内での暴力や真相を隠蔽するための銃殺刑、白旗を上げる敵兵の狙撃、朝鮮半島出身の慰安婦などが、何にも忖度することなく登場していて、現在的に見ればいろいろな方面からの批判にさらされるような要素が満載されています。それでも軍楽隊の音楽が消失するエンディングは何よりも雄弁に戦争の悲惨さというか無意味さを語っていました。本作は岡本喜八の戦争批判が実にわかりやすく直截的に表現されていて、岡本作品の中でも印象的な佳作として評価できるのではないでしょうか。

少年兵たちは本作以外にそれほど出演作があるわけではないのでほとんど素人同然の若手俳優が起用されたようです。それがかえって真実味を増している面もあり、演技と言うよりも未熟さが素のままに出ていて、大変好感が持てました。その少年兵と対照的に佐藤允や伊藤雄之助たちの古年兵たちがいかにも戦争の熟練者のように見えて、ふたつの世代のギャップがそのまま本作の基本的な骨組みを形成していたようにも感じられました。すなわち戦場の中の旧世代と新世代、銃を撃つ兵士と楽器を演奏する兵士、殺すことに慣れた者と決して慣れることがない者。このような対立項が岡本喜八の狙いであり、銃と楽器のどちらが正しい選択なのかという明快な問いが本作のテーマであったように思われます。

馬を見事に乗りこなし完璧に操る三船敏郎の登場シーンはめちゃくちゃカッコよいですし、黒澤映画ほどに正義漢っぽくないところがリアリティがあって、「小杉さん」と呼ばれて団令子に慕われる曹長の姿を三船敏郎が非常にうまく伝えていました。またアクションシーンで躍動する佐藤允のダイナミックでスピーディな動きに目が惹きつけられますし、伊藤雄之助のとぼけた雰囲気や天本英世の正気を失った感じも本作に虚無的な味わいを加えていました。仲代達矢や名古屋章とのやりとりで進む前半のシークエンスはやや退屈しましたが、焼き場奪還作戦が始まると俄然エンジンがかかって面白くなり、終幕まで一気呵成の展開となります。その意味では2時間10分の上映時間はやや長過ぎのように感じられ、30分くらい刈り込んだほうがよりコンパクトな良作になったかもしれません。(U041325)

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