1960年代

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まぼろしの市街戦(1966年)

カルトムービーとして誉れ高い本作ですし、大昔にTVの深夜放映バージョンで見たときにすごく感激した記憶があるので、かなり期待してレストアバージョンを見に行ったのですが、意外にも一番印象的だったのはジュヌヴィエーヴ・ビジョルドでした。
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山猫(1963年)

監督のルキノ・ヴィスコンティはイタリア貴族の出身ですが、シチリアではなくイタリア北部のミラノを地盤とするヴィスコンティ家の傍流の出だそうです。14世紀に建てられたお城の中で育ったことで、ただならぬ審美眼が育まれたのでしょう。
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007は二度死ぬ(1967年)

シリーズ第5作となる本作ではジェームズ・ボンドは日本に派遣されてスペクターの秘密基地を探るという設定になっています。必然的に全国各地のいかにも日本らしい景色が映像におさめられています。本作の人気は『サンダーボール作戦』には及ばなかったものの、1967年度の世界興行収入ランキングで第3位に入っています。
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大盗賊(1962年)

ジャン・ポール・ベルモンドが初めてフィリップ・ド・ブロカと組んだ記念すべき第一作で、このあと『リオの男』や『カトマンズの男』など次々に二人のコンビ作が製作されることになります。18世紀のパリを舞台にしていますので、当時の色鮮やかなファッションをカラーで堪能することができ、豪華に仕上がった一作です。
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いつも2人で(1967年)

監督のスタンリー・ドーネンは『パリの恋人』『シャレード』に次いでオードリー・ヘプバーンと組むのは三作目。一流映画監督のもとで映画出演してきたオードリーにとっては三度も組んだ監督はスタンリー・ドーネン以外にはいませんでした。
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暗くなるまで待って(1967年)

ードリーのもとにヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ!』を書いたフレデリック・ノットの新作が届きました。それが本作のもとになる小説だったわけですが、まもなくブロードウェイで舞台化されると知ったオードリーはすぐに映画化権を確保したいと要望を出したのでした。
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アラベスク(1966年)

脚本が結構メチャクチャなのでストーリーに引き込まれることはないのですが、変幻自在なキャメラの工夫と次々に展開される場面設定がいろいろと転換するバリエーションの豊かさに見とれているうちに映画が終わってしまいました。
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俺たちに明日はない(1967年)

原題の「Bonnie and Clyde」のとおり、1930年代にアメリカ中西部で銀行強盗を働いたボニー・パーカーとクライド・バロウのコンビを主人公にしていまして、アメリカンニューシネマの嚆矢ともいえる作品です。
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グラン・プリ(1966年)

レースを題材にした映画は、マックイーンの『栄光のル・マン』やポール・ニューマンの『レーサー』などがありますが、間違いなくダントツで本作がNo.1と断言できます。3時間の上映時間にレースとレーサーの人生模様の両面が凝縮されていて、しかも基本のストーリーラインはF1グランプリの年間シーズンを追っていく時系列になっています。
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007サンダーボール作戦(1965年)

世界市場をターゲットにした本作は、なんと日本の日比谷映劇でワールドプレミア上映が行われたという記録が残っています。結果的に1965年の世界興行収入ランキングでは『サウンド・オブ・ミュージック』に次ぐ第二位となり、007シリーズの中では最高のヒット作となったのでした。
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