第三次大戦勃発を恐れ国外に逃げようとする若者とその家族を描いた社会劇
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、アンドレ・カイヤット監督の『洪水の前』です。朝鮮戦争の休戦協定が結ばれた翌年の製作されたこともあって、第三次世界大戦が勃発するかもしれないという設定になっていて、国外逃亡を画策する若者たちとその家族の様子が描かれます。1955年のキネマ旬報ベストテン外国映画部門で『エデンの東』に次ぐ第2位に選出されたのは、朝鮮戦争の記憶が鮮明な時期だったからかもしれませんが、1954年の第7回カンヌ国際映画祭で国際賞と国際批評家賞を受賞したのは本作の実力でしょう。ちなみにそのときのグランプリは衣笠貞之助監督の『地獄門』でした。
【ご覧になる前に】カイヤットとシャルル・スパークによりオリジナル脚本
裁判所の法廷で被告人席に立ったのは十七歳のリシャール、フィリップ、ジャンの三人と十六歳のリリアンヌ。窃盗と殺人の罪に問われた四人を茫然と見つめるのは彼らの家族たちで、リシャールの父デュトワ氏は戦時中にワグナーの楽曲を勇壮に演奏したことで対独協力者とみなされ五年の刑期をつとめたところでした。フィリップの父で大富豪のブサール氏は農場の土地とヨットを交換するよう友人モンテソンに頼み、モンテソンはブサールの妻を誘惑します。ジャンの母親は学友のダニエルを家に招き、リシャールと夜の散歩を楽しんだリリアンヌはデモに参加した拘留された高校教員の父ノブレ氏から帰りが遅いと叱られるのでしたが…。
1950年6月に勃発した朝鮮戦争は、ソ連のスターリンと中国の毛沢東の支援を取り付けた北朝鮮の金日成が朝鮮半島の実権を握ろうと韓国に侵攻したことがきっかけでした。韓国に駐留していたアメリカ軍にイギリスやフィリピン、オーストラリアなどが加わった国連軍が参戦したことで、アメリカとソ連が敵対する第三次大戦への拡大が懸念され、世界各国が朝鮮戦争の行方を恐怖とともに見守ることになりました。一時は北朝鮮が朝鮮半島をほぼ手中に収めたものの、マッカーサー率いる国連軍が仁川上陸作戦を敢行して押し戻すなど、アコーディオン戦争の異名をもつほど前線が南北に動く戦争が継続されたのですが、アイゼンハワー大統領の就任とスターリンの死去を経て、インドのネルー首相が積極的に休戦を後押ししたことで、1953年7月に38度線の板門店で休戦協定が調印されたのでした。
ソ連が核実験に成功したのが1949年のこと。アメリカのトルーマン大統領は水爆開発計画を加速させて1952年に水爆実験を敢行します。このような米ソの核開発競争が激しくなる中で、朝鮮戦争が勃発したわけですから、世界情勢は北朝鮮と韓国の背後にいるソ連とアメリカの直接対決が危ぶまれるようになっていました。本作は朝鮮戦争休戦の翌年に公開されていまして、その当時の政治的背景を思い浮かべると、第三次世界大戦が現実のものになるかもしれないという切迫感が本作の企画につながったのかもしれません。
アンドレ・カイヤットは1950年の『裁きは終りぬ』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞、1952年に製作された『われわれはみな暗殺者』と本作の三作品を合わせて「法廷三部作」と呼ばれています。三作品ともに脚本はアンドレ・カイヤットとシャルル・スパーク共作によるオリジナルシナリオで、ジャック・フェデールの秘書からキャリアをスタートさせたシャルル・スパークは、アルバトロス社の宣伝部長を経て脚本家になった人。ジャック・フェデールの『外人部隊』『女だけの都』、ジュリアン・デュヴィヴィエの『地の果てを行く』『我等の仲間』、ジャン・ルノワールの『どん底』『大いなる幻影』などの名だたる名作の脚本を書いたのがシャルル・スパークで、娘のカトリーヌ・スパークも女優として知られています。
撮影のジャン・ブールゴワンは『史上最大の作戦』でウォルター・ウォティッツとともにアカデミー賞撮影賞の白黒部門でオスカーを獲得した名キャメラマン。アンドレ・カイヤットとは「法廷三部作」すべてでキャメラを回していまして、『ぼくの伯父さん』や『黒いオルフェ』もブールゴワンが撮影しています。
【ご覧になった後で】複雑な人間関係を映像的に見せていくシナリオが見事
いかがでしたか?罪に問われる四人はそれぞれに家庭の事情を抱えていて、親や兄弟との関係も微妙なひずみがあるのですが、本作ではそれが明快に描かれていたのが実に見事でしたね。法廷シーンから始まったかと思うと、キャメラは長回しのまま横移動をしていき、傍聴席にいる家族たちを捉えます。その中のひとりのところで移動が止まったかと思うと、家族ごとの回想シーンにつながっていくという映像的処理が非常に印象的で、観客はいつのまにか若者たち同士も知らないそれぞれの家庭環境に接することになるのです。
リシャールの父親はナチス占領下のオペラ座でワーグナー作曲「マイスタージンガー序曲」のトランペットを指揮者の指示に反してフォルティシモも吹き鳴らします。コラボラトゥールとして五年の刑期をつとめたあとは演奏家に復帰できず、家賃を滞納してアパートを追い出される始末。それもこれもユダヤ人のせいだと決めつける父親の哀しい偏見が、大戦終結後十年も経っていない1954年当時の生々しい世相を伝えるようでした。
逆に広大な農場をいとも簡単にヨットと交換するブサールはたぶん戦争成金として裕福な暮らしを手に入れたのでしょう。ブサールを上得意とするモンテソン氏は金になるのであれば平気で汚い仕事にも手を出し、さらにはブサールの妻までも誘惑します。ゆとりのある生活を送る上流階級が実は悪徳まみれの人たちであるというのも諷刺が効いた設定でした。
勉強熱心なジャンは子供のために自分を犠牲にしたという被害者意識を持つ過干渉な母親に支配されています。隣人の若い女性がジャンにちょっかいを出すのを見咎め、しかしジャンは女性には目もくれず親友ダニエルと同性愛的な親しみを感じています。1954年という時期に同性愛をあからさまに描いた映画も珍しかったと思いますし、両親を強制収容所で亡くしたダニエルがいかにもユダヤ人という外見であると同時に、自らを穢れた人種であると語るセリフも当時としては観客を驚かせたのではないでしょうか。
そしてリリアンヌの父親は社会主義者で、コミュニストの長男と始終口論を繰り返しつつ、十六歳の娘が深夜まで帰らず男と関係を結び国外逃亡のために金を入用とするのを黙認するしかありません。父親役のベルナール・ブリエはフランス映画界で長くバイプレーヤーとして活躍した俳優で、本作ではリリアンヌを演じた初々しいマリナ・ヴラディを包み込むような演技が光っていました。
朝鮮戦争というと極東の紛争だったのかと思いがちですが、本作を見ると第二次世界大戦の記憶も生々しい時代にあって、再び世界が戦火にまみれる恐怖がヨーロッパを覆っていたことがわかります。フランスは参戦こそしていなかったものの、イギリスやベルギーが国連軍として兵を派遣していたわけで、とても他人事として放っておくような気持ちではなかったんでしょう。加えて本作がキネマ旬報ベストテンの第2位に選ばれたことが意外な感じを受ける反面、1954年すなわち昭和29年3月にビキニ環礁で第五福竜丸が水爆実験による「死の灰」を浴びた事件が多くの日本人にショックを与えた結果でもあることが想像されるのでした。
結局のところ、回想シーンを巧く使ったアンドレ・カイヤットとシャルル・スパークによる脚本の完成度が本作の成功の主要因だと思われるわけでして、映像的にはあまり印象に残るショットも思い当たらず、リリアンヌが窃盗の末に夜警を撃ってしまったことを告白する場面でのクローズアップショットの使い方なども唐突かつタイミングが悪く、全体的には脚本と俳優の演技で引っ張っていく作品になっていたのではないでしょうか。
サブスク配信で非常に残念だったのは終盤で日本語字幕がズレてしまっていたこと。たぶん映像が数分抜けたのが原因のような気がして、リシャールとフィリップがダニエルの部屋に忍び込む前のスケートリンクのシーンが飛ばされたことによって日本語字幕が数分遅れて出るようになっていました。結果的にバスタブのダニエルとの口論が何を言っているかわからず、刑事に詰問されるジャンが罪を告白する場面もたぶんゲロったんだろうなと推測するしかありませんでした。実刑宣告の場面はあとでネットの解説を見て、リシャールとフィリップが10年、ジャンが5年の懲役刑というのがわかった次第で、一番いいところでフランス語だけで見るはめになったのは本当に残念でした。
あとノンクレジットですけど、リシャールが学校で喧嘩をしてジャケットを破られるというシーンがありましたが、その喧嘩相手をやっていた背の低い黒髪の俳優がジェラール・ブラン。ご存知の通りヌーヴェル・ヴァーグの中心的俳優のひとりとなって活躍する『いとこ同士』のジェラール・ブランが無名時代に出演していたのにも注目したいところです。(A022326)

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