日本映画

日本の夜と霧(昭和35年)

映画の内容があまりに政治寄りでかつ難解だったため公開四日目に上映中止となってしまいました。大島渚監督は現場の了解なく一方的に上映を中止した会社に反発して翌年松竹を退社し、独立プロダクションを立ち上げることになったのでした。
外国映画

ブリット(1968年)

刑事物ジャンルではトップクラスに入る出来栄えではないでしょうか。というのも本作のキモはその圧倒的なリアル感。演出もキャメラも演技も、すべてにおいてリアリティが強調されていて、見ていると現場にいるような没入感に浸ることができます。
日本映画

モスラ対ゴジラ(昭和39年)

ゴジラ対自衛隊、ゴジラ対モスラ、ゴジラ対モスラの幼虫などの対決場面それぞれに特色が出るような工夫がされていて、1時間半の上映時間が飽きることなく楽しめるようになっていました。
外国映画

上流社会(1956年)

音楽・歌・演技・演出、それをとってもデラックスですし、映画全編が品格に満ちています。MGMの黄金時代を象徴する作品で、グレース・ケリーの美しさを堪能できる歴史的な映像遺産として、末永く残していきたいものですね。
日本映画

白夫人の妖恋(昭和31年)

特撮は円谷英二が指揮をしていますので、すべての特撮場面は申し分ない出来栄えです。アナログな効果が逆にドラマチックというか劇的効果をあげていたと思います。
外国映画

突破口!(1973年)

「Charley Varrick」ってどんな映画なんだかわからないようなタイトルで興行的には大丈夫だったんでしょうか?なんて心配をよそにこの地味で渋めのアクション映画にはファンも多く、クエンティン・タランティーノもその一人らしいです。
1950年代

紳士は金髪がお好き(1953年)

このミュージカルコメディと次作の『百万長者と結婚する方法』の成功によってマリリン・モンローは一躍ハリウッドの一流スターとしての道を駆け上っていくことになるのでした。
日本映画

秋日和(昭和35年)

小津作品の中では最も喜劇性が高く、見ていてゲラゲラ笑ってしまいましたね。特に可笑しいのは岡田茉莉子と旧友三人組のやりとり。
日本映画

陸軍中野学校 雲一号指令(昭和41年)

第一作が増村保造監督で大映東京撮影所で作られたのに対して、本作は森一生が大映京都撮影所で作ったもの。市川雷蔵は前作に引き続き、三好次郎の名を捨ててスパイになった椎名次郎として活躍します。
日本映画

野球狂の詩(昭和52年)

昭和40年代後半から昭和50年代は日本映画が最底辺に低迷していた時代だとはいえ、その底辺を象徴するようなあってもなくてどうでもいいような映画、というか存在しなほうがよかった映画でした。
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