昭和二十年以前

エノケンの近藤勇(昭和10年)

浅草出身のコメディアン榎本健一はエノケン劇団を松竹座で立ち上げて人気者になっていて、そこに目をつけたのが東宝の前身であるPCL。ピー・シー・エル映画製作所は昭和12年に東宝映画となるのですが、エノケンが出演した10本の映画はすべてPCLの作品でした。
1940年代

ピクニック(1946年)

1936年に撮影されたフィルムは第二次大戦勃発によって未完のままとなっていましたが、戦後になってプロデューサーのピエール・ブロンベルジェがアメリカに渡っていたジャン・ルノワールの承認をとって40分の中編として再編集しました。
外国映画

黄金の七人(1965年)

スイス銀行の電子制御された金庫から7トンの金塊を盗み出す教授と6人の盗みの専門家たちに超グラマラスな謎の美女がからむ痛快でゴキゲンな犯罪喜劇で、1972年にスタートした「水曜ロードショー」の記念すべき初回放映作品でもあります。
外国映画

尼僧物語(1959年)

フレッド・ジンネマンは原作の映画化権を手に入れたものの、内容が地味だったためになかなか製作会社を見つけることができませんでした。ところがオードリー・ヘプバーンがシスター・ルークを演じたいという意向を示した途端にワーナーブラザーズによる出資が決まりました。
日本映画

最後に笑う男(昭和24年)

サーカスの空中ブランコを題材としている本作の主演は滝沢修で、それよりも注目なのは京マチ子が大映で本格的にデビューした記念すべき作品だということ。京マチ子の見事なダンスが見られるのも本作の価値を高めています。
外国映画

大砂塵(1954年)

主演のジョーン・クロフォードは1930年代にMGMのスター女優で本作の撮影時は四十九歳になっていて、ジョニーギターを恋人にする女丈夫を演じています。町民を扇動するマーセデス・マッケンブリッジとの女同士の戦いが話題を呼びました。
日本映画

ジャズ娘誕生(昭和32年)

「テネシーワルツ」でレコードデビューした江利チエミを主演にして、地方を巡業する楽団が東京の檜舞台に立つまでを背景としてレビューシーンを織り交ぜるなど、ハリウッドミュージカルをそのまま踏襲したスタイルの音楽劇になっています。
日本映画

名刀美女丸(昭和20年)

太平洋戦争末期の戦時下で、映画製作にはさまざまな統制がかけられていました。しかし日本人を象徴するような日本刀を作る刀鍛冶を主人公にして、親の仇を討つ女性の物語に仕立てたことで、当局のお眼鏡にかなった映画を作ることができました。
外国映画

女王陛下の007(1969年)

二代目ジェームズ・ボンド役に起用されたのがオーストラリア出身のジョージ・レーゼンビー。撮影当時二十九歳だったジョージ・レーゼンビーの若さを生かして本作はスキーやボブスレーなどのウィンタースポーツを取り入れた山岳アクション映画になっています。
外国映画

夜(1961年)

愛情が枯れてしまった夫婦の一日をマルチェロ・マストロヤンニとジャンヌ・モローの二人が演じていて、前年の『情事』と翌年の『太陽はひとりぼっち』とともにミケランジェロ・アントニオーニ監督の「愛の不毛三部作」と呼ばれています。
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