偽れる盛装(昭和26年)

松竹を辞めた吉村公三郎と新藤兼人が立ち上げた近代映画協会の第一回作品

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、吉村公三郎監督の『偽れる盛装』です。脚本家の新藤兼人と監督の吉村公三郎は戦後の復興期に松竹でコンビを組んでいましたが、幹部から作風が社会的過ぎると批判されると松竹を辞めて独立を決意。殿山泰司や山田典吾とともに立ち上げたのが近代映画協会でした。当初はなかなか配給先が見つからなかったものの大映での上映が決まって製作された本作は興行的に成功して、近代映画協会と大映が提携するきっかけになりました。キネマ旬報ベストテンでも第3位に選出されていて、ちなみにその年のベストワンは小津安二郎の『麦秋』でした。

【ご覧になる前に】溝口健二監督が戦前に作った『祇園の姉妹』がモチーフ

鴨川を見下ろす茶屋でくつろぐ芸者の君蝶が金策の尽きた中年男を追い払って太客の山下にしなだれかかっているとき、母親きくは本妻の息子渡邊に40万円を用立てる約束をしていました。妾として姉妹を育てたきくは静乃家という置屋を営んでいて、姉は売れっ子芸者君蝶として祇園の町を駆け回り、役所の観光課に勤める妹妙子は同僚の孝次と結婚の約束をする仲です。孝次は母親に妙子と結婚すると打ち明けますが、養子として孝次を育てた母親千代は祇園茶屋菊亭の格にふさわしくないと許してくれません。千代が静乃家を訪問してきくに断りに行くと、君蝶は結婚するのは本人たちの自由だといって妙子をかばうのでしたが…。

映画の助監督志望だった新藤兼人はなんとか新興キネマの現像部に入社して配置換えになった美術部で美術監督の水谷浩に出会います。出向先で溝口健二監督の『元禄忠臣蔵』の現場についた新藤兼人は溝口の内弟子になってシナリオを書き続け、情報局が主催していた国民映画脚本の公募に入選。ただ一度だけ溝口から祝宴に招かれた新藤は戦時統制下で松竹につとめることになりました。

海軍に召集され終戦後に松竹に戻った新藤は脚本の腕が認められて、溝口健二の戦後復帰作『女性の勝利』の脚本を書いた後に吉村公三郎監督と組んで『安城家の舞踏会』を発表。大ヒットを記録するとともにキネマ旬報ベストテン第1位を獲得して脚本家としての地位を確立します。昭和24年に吉村公三郎とのコンビで作った『森の石松』『真昼の円舞曲』『春雪』が連続して興行的に失敗すると、松竹の首脳部から社会性が強くて暗いと批判を浴びて路線変更を求められ、それに反発した新藤と吉村は松竹退社を決意。松竹京都撮影所のプロデューサー絲屋寿雄、俳優の殿山泰司、東宝出身の山田典吾とともに近代映画協会を設立して、独立プロとして活動を開始したのでした。

松竹を退社する際に進んでいた企画が「肉体の盛装」で、新藤兼人が師事した溝口健二の戦前の傑作『祇園の姉妹』をモチーフにした脚本でした。新藤と吉村の二人は京都宮川町の花街で取材を重ね昭和23年にシナリオが完成。その映画化を拒否されたのも松竹退社の理由のひとつだったのです。近代映画協会第一回作品として大映に持ち込むも製作担当重役だった川口松太郎に断られ、東宝では山田五十鈴主演で撮影が開始されたものの東宝争議が勃発して製作中止に。東横映画ではマキノ光雄に却下されて「肉体の盛装」の映画化は頓挫してしまいました。

ところが大映で黒澤明監督の『羅生門』の撮影が遅れて上映を穴埋めする作品が必要となったことから、新藤兼人の『愛妻物語』とセットで近代映画協会が製作することになりました。主演は京マチ子に変更となり、タイトルも『偽れる盛装』に改題されて昭和26年1月に大映系映画館で公開されると興行的にも批評的にも成功を収めます。本作をきっかけにして近代映画協会は大映と提携を結んで、近代映画協会製作作品が大映で配給されることになっていくのでした。

実は『羅生門』とはさらに因縁がありまして、昭和26年にヴェネツィア国際映画祭から日本映画が出品要請を受けて、『羅生門』と『偽れる盛装』の2作品が候補になりました。日本人の間では『偽れる盛装』のほうがわかりやすいだろうという意見がありましたが、イタリアフィルム代表のジュリアーナ・ストラミジェリ女史が断然『羅生門』を支持。ヨーロッパでは芸者と娼婦も区別できないくらいだからかえって正確に理解されないだろうということで、結果的にはその年の8月に『羅生門』がグランプリを受賞することになりました。

かつて新藤兼人が師事していた水谷浩が美術を担当しているのも奇異な縁ですが、キャメラマンの中井朝一も新興キネマ出身なので新藤兼人とは戦前から接点があったのかもしれません。中井朝一は本作の前に『わが青春に悔なし』『素晴らしき日曜日』『野良犬』で黒澤明と組んでいて、本作後には『生きる』『七人の侍』でキャメラを回すことになります。また音楽は伊福部昭先生で、昭和22年に東宝の『銀嶺の果て』で初めて映画音楽を担当してから映画界で引っ張りだこになっていた時期の一本になります。

【ご覧になった後で】脚本・映像演出・演技すべてが一級品ですが暗いです

いかがでしたか?新藤兼人の脚本は溝口の『祇園の姉妹』のバリエーションだとは言ってもオリジナルですし、吉村公三郎の映像演出は中井朝一のキャメラワークも相まってどのショットも目が離せません。そして京マチ子を中心とした俳優陣による登場人物になりきった演技合戦も大いに見どころになっていました。このように脚本・映像・演技がどれも一級品という映画は珍しく、昭和26年製作の作品ということを考えれば日本映画史に残る傑作としておススメにしたいところです。しかしながらどうしても作品全体のもつトーンが暗過ぎて、繰り返し見たくなる映画かといえばそうではありません。なので作品のクオリティは文句ないのですが、扱っている題材が楽しくないということだけが本作のマイナス点でした。

吉村公三郎の演出はファーストショットからすでに傑作の予感を漂わせます。障子が開きカーテンが開き窓を開けるとそこには鴨川の景色が広がっていて横にパンすると京都の街並みが見えてきます。切り返すとけだるそうに煙草を吸う京マチ子の姿になり、背後で殿山泰司がグチを言い始めます。この導入部だけで京都の芸者の話で男を金儲けの相手としか見ていない君蝶のスタンスがスッと観客の頭の中に入ってきます。吉村公三郎はこうしたパンやじわりとした移動ショットの使い方が本当に巧くて、フィックスの構図できちっと見せるというよりは人物のエモーションをとらえるためにフレームにこだわることなく人物を追うことを優先させます。

例えば君蝶が借金を立て替えてやった母親に腹を立てて仕事に出かけていくシーン。母親を見下ろしながら非難する君蝶をとらえたバストショットは京マチ子を画面の中央に置くために身体の動きに合わせて動いています。もちろん観客は京マチ子を見ているわけですからそんなキャメラの動きには気づきません。吉村公三郎はショットの完成度よりも俳優の演技を中心に据えているのです。これは黒澤作品にも共通した撮り方で、中井朝一が本作の前に黒澤明と組んでいたことも影響したのかもしれません。

そして君蝶が家を出て路地を歩き去る動作は、部屋の中にあったキャメラが君蝶の動きに合わせて玄関から外に出て、さらに少しだけ君蝶の後を追うようにしてトラックアップして止まります。母親の人の好さに呆れる君蝶の感情の昂ぶりが移動ショットで主観的に表現され、その君蝶を後追いしないことで観客側の客観的視点に戻すような効果がありました。このような移動ショットは本作のあちこちに散りばめられていて、短めの移動ショットを使いこなす吉村公三郎の現場は、たぶん移動を前提に美術セットも組まれていたことでしょうし、レールを敷いたりクレーンを動かしたりでスタッフの準備が大変だったのではなかと想像されます。

また古典的ともいえるような対比法が効いていて、特に小林桂樹と藤田泰子の恋人同士を描く場面で効果を発揮していました。役所から自転車で帰る二人を斜め前からのトラックバックでとらえた軽快な移動ショットに伊福部昭先生のリリカルな曲がかぶさって結婚話に浮き立つような恋人たちの高揚感が伝わってきます。しかし村田知英子演じる母親千代にダメ出しされた後の場面は夜の鴨川沿いに変わり橋の下で俯きながらトボトボ歩く二人に低音の重たいピアノがズシーンと響くように重なります。まさに有頂天から奈落に突き落とされたような恋人たちの状況が映像と音楽によって対比されていました。

クライマックスで君蝶に入れあげて会社をクビになった菅井一郎演じる山下が包丁をもって京マチ子を追いかける場面。歌舞練場の控室から観客席、廊下から劇場外へと切り替わり、京マチ子は列車が通過する踏切に遮られて山下に刺されてしまいます。対して病室で母親と姉に別れを告げた小林桂樹と藤田泰子の恋人同士が踏切にさしかかるとサッと遮断桿があがって二人に道を開けるかのよう。家のために働く芸者君蝶の逃げ道を塞いだ踏切の使い方が見事な対比を生んでいました。

いずれにしても吉村公三郎が登場人物の感情に合わせて映像演出のタクトを振っていたことに間違いはありません。その指揮棒によって命を吹き込まれるようにしてどの俳優たちも登場人物になりきるので、本作は京マチ子ではなく芸者君蝶の生き様を見ているような気持ちに陥ります。男から金を差し出されると恐縮したように受け取り、襖の陰に入ると札束を数えてポーチに金をしまい込む君蝶。こうした表と裏の顔の表現の仕方が京マチ子の演技で際立っていて、それはほんの少しの表情の変化だとか首の動かし方だとかで表現されるので君蝶の生の姿を見ているような錯覚に囚われてしまいました。

脇役陣もみんな巧いですよね。河津清三郎は後年のヤクザ映画での悪役とは正反対の実直さでしたし、進藤英太郎の伊勢浜の旦那は二股かけても全然悪ぶらない鷹揚さがよく出ていました。母親も対照的で人の好いきくを演じる滝花久子は品の良さ、菊亭千代を演じる村田英子は下品な卑しさが伝わってきました。君蝶によって人生を狂わせられる殿山泰司と菅井一郎は焦燥感みたいな演技が巧いですし、三好栄子の耄碌ぶりはメイクアップの技術の高さが伺えました。

まずいのは小林桂樹と藤田泰子の若い二人で、小林桂樹は養子の情けない感じを出しつつも橋の下で藤田泰子の身体を要求するあたりでは思い通りにならない鬱屈した気持ちが出ていないのでちょっと理解不能なキャラになってしまいました。藤田泰子は松竹に入社して吉村公三郎の『春雪』でデビューして本作の二年後には結婚して映画界を引退した女優さん。ほとんどセリフを読んでいるだけという感じで、美人なだけで妙子という人物に深みを感じることはできませんでした。

新藤兼人の脚本は溝口健二の『祇園の姉妹』ほど陰惨な感じはしませんし、姉の君蝶には家族のために自分を犠牲にするというよりは確固たる信念が感じられて戦後の自立した女性観のようなものをプラスしたようではありましたが、映画全体のトーンが暗いのは否めず、肺病で死んでしまう福彌のエピソードなどは必要だったのかなと思わせられます。

そしてたぶん新藤兼人は本作に京都という街に対する怨念みたいなものを潜ませたのではないでしょうか。妙子の友人が東京から京都を訪問するエピソードはラストで妙子が東京に出ていく伏線にはなっていますが、父親の講演会に随行してくるという設定までは余分にも感じられます。しかし新藤兼人はビルのテラスから京都の街を見下ろす友人に「戦災を免れたのは良かったけど、あの瓦屋根の下には封建的なものが残っている」とはっきりした京都批判を言わせています。京都を舞台にした映画で京都のもつ昔からの高慢さというか厭らしさを暗に批判したいという気持ちが新藤兼人にあったのかもしれません。

ここらへんは新藤兼人の初監督作品『愛妻物語』で描かれた脚本家としての下積み時代への怨嗟があるのではと邪推するのですが、ラストシーンでは東京に旅立つ小林桂樹と藤田泰子の二人を病室の窓から見送る京マチ子と滝花久子の母娘がひとつのショットで撮られています。自由な空間に歩き出す恋人たちに対して窓の中の母娘は狭い枠に閉じ込められているかのようです。君蝶の生き様を描いた本作において新藤兼人は古い歴史をもつ京都の閉鎖性というか京都は閉じられた街なのだみたいな裏メッセージを潜ませたのではないでしょうか。(A091926)

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