妻は告白する(昭和36年)

増村保造監督のもとで若尾文子と川口浩が主役として共演した法廷ものです

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、増村保造監督の『妻は告白する』です。原作はタレント弁護士として有名だった円山雅也という人が書いた「遭難・ある夫婦の場合」という小説で、夫婦とその夫婦の家に出入りをしている若い男との三角関係の中で起きた事件が裁かれる法廷ものとして映画化されました。増村保造は監督デビュー作『くちづけ』で川口浩を起用し、第二作『青空娘』の主演は若尾文子でしたから、本作ではその二人が主役として増村保造のもとで共演することになりました。

【ご覧になる前に】ザイルを切った妻が殺人か緊急避難かで裁かれます

東京地裁の前に待ち構えた大勢のマスコミに囲まれて滝川彩子が弁護士と面会室に入ります。同席している男性は幸田という若い男で、彩子の夫である滝川助教授と彩子と幸田の三人が北穂高の岩壁を登山中、滝川助教授が足を踏み外して彩子とともにザイルで宙づりになってしまったのでした。幸田が必死に二人を引き上げようとしていると、彩子がザイルを切ったために夫は滑落死して、彩子は夫を殺した罪で起訴されてしまいます。彩子の弁護士が幸田に対して彩子との関係を問い質すと、幸田ははっきりと彩子と関係していないと断言するのでしたが…。

ザイルが切れて滑落するという展開を聞いてすぐに思い起こされるのが井上靖の小説「氷壁」です。「氷壁」で切れるのはナイロン製のザイルでしたが、親友の二人が前穂高の岩壁を登っているという設定でした。この井上靖の小説は昭和33年に本作と同じ大映で監督も増村保造で映画化されました。たぶん円山雅也の原作も「氷壁」に着想を得たのでしょう、舞台は同じ穂高ですし人妻に恋する男性というモチーフも同じです。とはいっても本作では滑落が殺人か緊急避難かで争われることになり、さらには人妻を主人公にしているのが「氷壁」と大きく違っている点です。

監督の増村保造は東大法学部卒業後に大映に助監督として入社しますが、一旦東大文学部に再入学してイタリアへ留学をした超インテリ路線のキャリアをもつ人です。イタリアではイタリア国立映画実験センター(ミケランジェロ・アントニオーニやピエトロ・ジェルミが卒業した映画学校)でヴィスコンティやフェリーニに学び、帰国後には溝口健二、市川崑のもとで助監督をつとめました。映画監督としては申し分のない勉強をつんで映画監督になった理論派でしたので、監督としてデビューした後には成瀬巳喜男を批判する評論を映画雑誌に発表したこともあったそうです。

脚本を書いた井手雅人は小説家から脚本家に転身して新東宝からキャリアをスタートさせました。松竹の『顔』や東映の『点と線』で松本清張作品の脚色をやっていますので推理ものは得意としていたようですが、昭和40年の『赤ひげ』で黒澤組の脚本家に名を連ねて以降は『影武者』『乱』で黒澤明と共同で脚本を書くことになります。また撮影の小林節雄は市川崑監督の『穴』『野火』『黒い十人の女』などでキャメラを担当してきた人。本作以降は『黒い超特急』や『陸軍中野学校』『華岡青洲の妻』などで増村保造とコンビを組んでいます。

若尾文子はいうまでもなく大映を代表する女優で昭和29年から34年までは毎年10本以上の作品に出演して大映作品を支えていました。昭和31年にはなんと年に15本もの映画に出て、しかもそのうち1本は松竹で客演したもの。これだけの本数に出演していると、どの映画に出ていたかも忘れてしまうくらいだったかもしれませんが、それでも作品ごとのキャラクターをきっちりと演じ分けていたのですから、当時の女優さんは美しいだけではなく役を演じるという俳優業のプロフェッショナルでもあったんですね。

一方の川口浩は劇作家川口松太郎の長男で、昭和31年のデビュー以来こちらも大映で毎年平均8本くらいの映画にコンスタントに出演していました。特に小津安二郎が大映で撮った『浮雲』や市川崑監督の『おとうと』などの演技で注目されましたが、本作出演の翌年には人気絶頂だったにもかかわらず大映を退社して実業家の道を歩み始めます。その不動産管理会社が成功したこともあり、昭和40年代以降はTVで芸能活動を再開するのですが、昭和62年に癌で亡くなってしまいました。五十一歳でしたので、短い人生だったんですね。

【ご覧になった後で】法廷ものですがサイコスリラーの走りだったのかも…

いかがでしたか?若尾文子の彩子が殺人か緊急避難かを裁かれるのですが、若尾文子が演じているだけで観客も「こりゃ緊急避難なわけないよな」と思ってしまうほどで、裁判では無罪になるものの実は夫を殺すためにザイルを切っていたんだという展開が、ある程度予測できてしまいましたね。しかし美人だけど悪女でもあり、寂しく孤独な女性でありつつその言動にはちょっとついていけないところもある彩子のキャラクターは若尾文子ならではの存在感によって実にリアルに感じられましたし、考えてみればこのようなサイコパス的な登場人物が周囲の人たちを巻き込みながら事件を複雑化していくという展開をみると、本作はサイコスリラーの走りのような作品だったのかもしれません。

裁判で無罪となるのは、ザイルを切ったのが緊急避難だと認定されたからでしたが、映画の中でも新聞記者が六法全書でその意味を説明するくだりが出てきます。刑法第37条では「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる」と明記されていまして、ポイントは「自己又は他人の生命」という冒頭部分です。本作では彩子が自分の命の危険を感じて夫がぶらさがるザイルを切ったことが無罪であると裁定されたように描いていましたが、彩子の本心は「自分の命よりも幸田の命が危険にさらされていたのでそれを回避するためにザイルを切った」というところにあったのではないでしょうか。

だとすると、幸田は彩子が罪を問われることを厭わずに幸田を救うためにザイルを切ったことを感謝すべきであって、多少浮かれて生命保険で得た金に手を付けたくらいで彩子との結婚を反故にしてしまったのは、取り返しのつかない愚行だったわけです。サイコスリラー的な味わいをもつ本作の一番の妙味は、幸田が彩子の自分への愛を気づかなかったことの皮肉を描いた点で、一見好青年風で通してきた幸田が、映画の最後で彩子の遺体の前にただ立ち尽くすだけの不幸な男だったというのが本作の隠れた主題だったのかもしれないですね。

それにしても増村保造の演出はワイドスクリーンをいっぱいに使った構図の見事さが特徴で、すべてのショットが入念に計算されたうえで完璧な構図になっているのが見どころでした。例えば、無罪が決定した後で裁判所を出ていく若尾文子と川口浩の後ろ姿を撮ったショット。歩き去る二人のロングショットを画面左に置いて、画面右は壁が何かに隠れていて真っ黒です。このような大胆な構図が映画的面白さにつながっていましたし、この二人には明るい将来がないことのメタファーにもなっていました。こうした画面を作るにはキャメラマンの腕ももちろんですが、照明チームの力量がないと実現できません。その意味では渡辺長治の照明が本作のもうひとつの主役だったといえるのではないでしょうか。(A080122)

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