東京の休日(昭和33年)

李香蘭こと山口淑子の芸能生活20周年を記念して作られたレビュー映画です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、山本嘉次郎監督の『東京の休日』です。主演の山口淑子は戦時中は満州映画で李香蘭と名乗っていました。その山口淑子の芸能生活20周年記念として製作されたのがこの『東京の休日』なのですが、山口淑子は外交官との再婚を機に引退することになっていましたので、本作は同時に引退記念作品にもなってしまいました。原節子の呼びかけによって顔を揃えた東宝の人気スターの数は、公開時の宣伝ポスターによると56人にも及んだそうで、次々に繰り広げられるレビューも含めて、まさに日本映画黄金期の東宝映画のゴージャス感を堪能できる娯楽作品の決定版と呼べるでしょう。

【ご覧になる前に】東宝スコープ・イーストマンカラーが祝祭感を醸成します

アメリカから羽田空港に日本航空DC-7C機が着陸しました。日本が戦争に勝ったか負けたかの言い争いをしている観光団に交じって久しぶりに帰国したのはファッションデザイナーのメリー川口で、故郷にお墓を建てるために一ヶ月の休日を取ったのでした。ホテルでは観光団を歓迎する余興が開かれますが、メリーのところには旧知の仲のマダム蝶子が現れ、東京でファッションショーを開かないかと誘います。服飾店を経営する蝶子が演出家として起用したいと考えている小松原は、ショーの計画を芸者八千代に耳打ちし、八千代は繊維業界で働く林にその噂を伝えてしまうのですが…。

山口淑子は中国の奉天で生まれ、天性の美貌と美声が注目されて十八歳で満州映画協会から李香蘭の芸名を与えられて映画デビューしました。日本人なのに日本でも中国でも中国人スターとして絶大な人気を誇っていましたが、戦争が終結すると日本軍に協力した中国人として裁判にかけられることになります。そのときはじめて日本国籍をもつ日本人であることが明らかにされ祖国反逆の罪に問われることなく、なんとか日本に帰国することができたんだそうです。戦後は本名の山口淑子に戻って日本映画に出演しながら、イギリス領だったがゆえに交流が盛んになった香港では李香蘭の名を復活させて映画や歌で注目を浴びることになりました。彫刻家のイサム・ノグチと結婚したものの5年後に離婚した山口淑子は、外務省の外交官と知り合い再婚することになり、それをきっかけにして三十八歳で映画界からの引退を決意したのでした。

山口淑子の芸能生活20年と引退の両方を記念する作品だということで、日本映画界を代表する存在になっていた原節子が各方面に声をかけて本作への出演を促したという逸話が残っている通り、東宝の名だたる俳優たちが総出演して豪華なキャスティングが実現しました。「特別出演」というクレジットで出てくる俳優が何十人もいて、ということはノーギャラで出演したのかもしれませんが、原節子のように役名もセリフもあるような特別出演もあれば、レビューガールの一人として顔見せする特別出演者も大勢に及んでいて、誰がどこに出てくるかを見つけるのも本作を見る愉しみのひとつになっています。

昭和33年は日本映画において観客動員数が歴代最高を記録した年ですが、徐々にTVの普及による影響が明らかになった時期でもありました。映画会社各社はワイドスクリーン化とカラー化を進めていましたが、この両方を実現するには製作費がかさんでしまいますので、限られた作品でしか実現されていませんでした。この『東京の休日』は東宝スコープとイーストマンカラーの両方を贅沢に使った映画としても東宝映画史の中で特別な位置を占めていると思われます。

このような豪華な作品を監督したのが山本嘉次郎。元は日活に入社して助監督をやっていましたが、PCLに移籍してエノケン主演の映画を監督するようになり、そのまま東宝の重鎮として活躍した人です。中国との戦争が始まって以降、東宝は軍部に接近して積極的に陸軍省や海軍省と連携した作品を製作するようになりました。当時はそのように時局に合わせて軍部に協力してもらったほうが製作費も効率化できますし、戦意発揚映画は間違いなく動員が見込めたので、山本嘉次郎はその中心にいて『馬』や『加藤隼戦闘隊』『ハワイ・マレー沖海戦』などの大作や特撮映画を監督しました。余談ですが、松竹は大船撮影所長の城戸四郎が「大船調」を堅持すると同時に軍隊嫌いだったこともあり、『愛染かつら』で空前の大ヒットを飛ばしますが、実は軍部からは軟弱な恋愛映画など作っている場合かと目をつけられていたんだとか。まあ東宝のほうがリアリストだったという話ですけど。

その山本嘉次郎と一緒に共同脚本を書いたのは井手俊郎で『青い山脈』を書いた戦後を代表する脚本家です。本作は三船敏郎と原節子がともに出演していますが、この二人が実質的に共演した『東京の恋人』(昭和27年)と『愛情の決算』(昭和31年)も井手俊郎脚本作品です。また、本作にはたくさんのミュージカルシーンというかレビューシーンが出てきますが、「ショウ場面構成・演出」としてクレジットされているのが山本紫朗。この人は日本におけるショービジネスの神様とも呼ばれた人物なんだそうで、東宝が所有していた日劇でレビュー演出をつとめていました。この山本紫朗は、女優岡田茉莉子の伯父さん(母親の妹の夫)であり、同時にイラストレーター和田誠の叔父さん(母親の兄)なんだそうで、日劇のウエスタン・カーニバルなんかもこの人の仕事だとか。レビュー場面がたくさんあるので音楽もキモなのですが、音楽監督の松井八郎という人は、ジャスピアニストが本業で映画音楽はそんなには書いていないようです。

【ご覧になった後で】こんな見事なオールスターミュージカルがあったとは!

いかがでしたか?昭和33年に日本映画でこんなにゴージャスで明朗でセンスの良いオールスターミュージカルがあったとは本当に驚いてしまいました。ストーリーもきちんと起伏がありますし、メリー川口を巡って主要登場人物のからみがしっかり描けていますし、喜劇的なシチュエーションやカメオ出演する俳優の持ち味も生かされています。そしてやっぱり最大の魅力は連打されるレビュー&ミュージカルシーンでしょうか。観光団のためにホテルが余興として提供するステージであったり、ファッションショーの舞台であったり、桜のパーティの出し物であったりと、ショーの場面がすんなりとストーリーの中に組み込まれていて、いかにもミュージカル映画的な流れになっていました。また宝田明が銀座の街を歩きながら歌う場面なんかもすごく自然な演出で、まるで舞台を見ているようでした。ここらへんの演出がショービジネスの神様とも言われた山本紫朗の実力だったのかもしれませんね。

主演の山口淑子はもちろん映画の中心にいるべき人なので常に品行方正な佇まいなのですが、いかんせん個性が生かされていなくて本人の存在感だけで勝負せざるを得ないような役になっていました。もちろんその存在感で十分なんですけど、さすがに三十八歳になると小泉博との恋愛シーンはちょっとキビシイものがあったようです。それとは対照的にメリー川口を取り巻く人たちは実に見事なコンビネーションを見せていました。タッパのある久慈あさみと余裕のある上原謙は別格だとしても、上原謙にからむ八千草薫はなんと可愛いことでしょうか。後ろ姿で「バイバーイ」と手を振る仕草さえ魅力的でした。八千草薫が本命として慕う小林桂樹の飄々としたサラリーマン的演技は、この当時からのこの人の持ち味だったようですし、小林桂樹の話を盗み聞きする司葉子はまだ若くて顔が丸っこくて、宝田明は『小早川家の秋』『その場所に女ありき』の4-5年前から司葉子と恋人同士の役をやっていたとは知りませんでした。で、宝田明から花束とともに久慈あさみに誰にも内緒のはずのショーの話が返ってくるという喜劇的設定が大いに笑いを呼んでいました。

そのほか、中華料理屋の森繁久彌は登場するだけで場内大爆笑でしたし、空港での対照的な平田昭彦と有島一郎と三木のり平、観光団の沢村いき雄と小杉義男の背丈の違い、レビュー場面で歌の巧さが際立つ雪村いづみと越路吹雪と宮城まり子、会社役員の池部良と加東大介、バスガイドが妙に似合う香川京子と淡路恵子、相変わらずお婆ちゃん役の飯田蝶子、特別出演中の特別出演扱いの柳家金語楼と三船敏郎などなど。もういちいち書いていられないほどの豪華なオールスターキャストでした。もちろん他にもいっぱいスターが出演していたようなのですが、レビュー場面では草笛光子と白川由美と河内桃子くらいしか認識できなかったのが残念なところです。

ちなみにこれだけ多くの俳優たちが出演していて混乱してしまったのだと思いますが、日本映画データベースをはじめとしてほとんどの映画情報サイトでのキャスト一覧に大きな間違いが残ったままになっていて、検索する際にはちょっと注意が必要です。さすがに志村喬は出ていないですし、池部良がバーテンダーとか原節子がおでん屋の女将とかかなりデタラメに記載されています。唯一KINENOTEに掲載された基本情報が信頼できそうですので、ご覧になる場合にはKINENOTEをおススメしたいと思います。(T081922)

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