捜索者(1956年)

公開当時はさほど注目されずに後年「最も偉大な西部劇」と評価されました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジョン・フォード監督の『捜索者』です。主演のジョン・ウェインがヒーロー然としておらずジョン・フォードの西部劇としては異色の作りになっていて公開当時は興行収入的にも振るわなかったようですが、後年になってジャン・リュック・ゴダールをはじめとした映画監督たちに再評価されて「最も偉大な西部劇映画」と言われるほどになった作品です。ジョン・ウェイン自身にとっても『黄色いリボン』『静かなる男』とともにお気に入りの出演作だったらしく、本作で演じたイーサンの名前を末の息子に命名したほどでした。

【ご覧になる前に】コマンチ族にさらわれた姪を奪い返す旅を続けるお話です

1868年、テキサスのアーロンの家に弟イーサンが帰ってきました。アーロンの妻マーサと子供たちが出迎え、かつてイーサンが命を救ったマーティン・ポーリーもいて、歓迎の食事会を開いているところに牧師のクレイトンがやって来ます。コマンチ族に盗まれた牛を町の男たちで取り返すことになったのですが、彼らの不在中にコマンチ族はアーロン一家を皆殺しにしてルーシーとデビーの姉妹を連れ去っていました。クレイトンたちが追跡をあきらめる一方で、イーサンとマーティンとルーシーの婚約者ブラッドの三人は捜索をあきらめずにコマンチ族の行方を追うのですが、途中でイーサンが見つけたのはルーシーの亡骸でした…。

1950年代は映画がTVに対抗して画面サイズを大きくしていく時代でしたが、ジョン・フォードも1955年の『長い灰色の線』『ミスタア・ロバーツ』でシネマスコープの横長画面で撮影しています。本作はビスタビジョンで撮られていて、20世紀フォックスが登録商標をもっていたシネマスコープに対抗してパラマウントが開発したビスタビジョンは、スタンダードサイズとシネマスコープの中間くらいの横長画面でした。ジョン・フォードとしては西部劇を大画面サイズで撮るのははじめてだったわけで、前二作で使用したシネマスコープだとモニュメントバレーのような高さのある西部の風景を映すにはやや横長過ぎると判断したのかもしれません。

原作者のアラン・ルメイはジョン・ヒューストン監督の『許されざる者』の原作者でもあり、どちらもインディアンとさらわれた娘がモチーフになっているところが共通点です。脚色はフランク・S・ヌージェントで、ジョン・フォードとは『アパッチ砦』『三人の名付親』『黄色いリボン』『静かなる男』と多くの作品でコンビを組んだ脚本家です。1961年の『馬上の二人』はジェームズ・スチュワートが開拓民に依頼されてインディアンにさらわれた子供たちを奪還するお話でしたから、この『捜索者』のストーリーはさまざまな作品に派生するモトネタになっていたようです。

本作でジョン・ウェインの相方に抜擢されたのはジェフリー・ハンターで、1950年代に20世紀フォックス社の専属俳優としてロバート・ワグナーとともに売り出された俳優でした。1961年のニコラス・レイ監督の『キング・オブ・キングス』でキリストを演じたあたりが有名ですし、TVのSFシリーズ『宇宙大作戦』のパイロット版での船長役は後に別のエピソードに使われて、ジェフリー・ハンターの青い瞳が鮮烈だった印象があります。それ以外あまり出演作が思い浮かばないなあと思って調べたら、1969年に四十二歳の若さで亡くなっていたんですね。なのでマーティン役をやった本作がジェフリー・ハンターの代表作なのかもしれません。

モニュメントバレーで行われたロケーション撮影で西部の様々な光景をフィルムにおさめたキャメラマンはウィントン・C・ホック。ジョン・フォードとは『三人の名付親』で組んで以降『ミスタア・ロバーツ』などで撮影を担当してきました。特に『黄色いリボン』と『静かなる男』ではアカデミー賞撮影賞(カラー部門)を受賞していますので、テクニカラーで撮られた本作ではジョン・フォードも絶大な信頼をもってウィントン・C・ホックにキャメラを任せたのではないでしょうか。

【ご覧になった後で】季節と地域で違う西部の絶景が見事に映像化されました

いかがでしたか?何よりもまず西部のあらゆる景観がカラーの大画面にとらえられていたのが素晴らしかったですね。灼熱の乾燥地帯があったり馬が埋まるくらいの雪原があったりするのは、ジョン・ウェインとジェフリー・ハンターがテキサスだけでなく西部のあらゆる地域を追跡していることを表現していましたし、同時に季節の移ろいも感じることができました。モニュメントバレーで左右をインディアンに囲まれるショットや冷たい氷まじりの川を騎兵隊の隊列が渡っていく斜め構図のショットなど本当に見事な映像で、デヴィッド・リーン監督が『アラビアのロレンス』を撮る前に何度も本作を見返して風景を映像化する勉強をしたというのも納得してしまいます。確かに砂漠のようなところを馬が行くショットは本作を見ると逆に『アラビアのロレンス』が思い出されるような感じでした。

また景色だけではなく人物を中心にすえたショットにも印象的なものがありました。例えば久しぶりに帰還したジェフリー・ハンターが再度出発してしまうのをヴェラ・マイルズが背中で見送るショット。柵に両手をかけて泣き崩れるヴェラ・マイルズのバストショットがあって、その後ろに右から左へ馬に乗ったジェフリー・ハンターが通り過ぎるという人物配置が見事でした。またコマンチ族を追い詰めたときの早暁に真横を向いたクレイトン牧師の横顔がシルエットで浮かんでいるところへ、ジョン・ウェインが同じように横顔でフレームインしてくるショットなんかも、絵画的な構図であるとともにインディアンに対する思いは同一であることが表現されていました。そしてなんといってもラストショット。家の中から戸口の外に立つジョン・ウェインをとらえたあの黒い縁取り構図は、誰もが真似したくなるような究極のカッコよさがありました。

5年間もの長きにわたって捜索を続ける旅がアメリカ西部の叙事詩のように感じられて、南北戦争に敗退したあとの南軍生き残り兵士が姪の捜索という新しいミッションに生きがいを見い出すといったアメリカ内戦史の後日譚として捉え直すと、スケールの大きい物語の一部分を体験しているような気分になってきます。これはジョン・フォードの語り口によるところが大きくて、ジョン・フォードの作品はいつもそうなのですが、いつのまにか物語の中に観客が引き込まれて映画の中の登場人物と一心同体になってしまうような当事者的感覚におちいるんですよね。映像やセリフや音楽で見せるというよりも映画という装置を使って観客に別の世界を疑似体験させるような見せ方をしていて、それが完成の域に達しているような気がしました。

そんな見事な映像詩ともいえる映画ですが、ゴダールなんかが絶賛しているほどに面白い映画なのかと問われたらちょっと考え込んでしまいますね。ストーリーはさらわれた姪を奪い返すという一本線のみですし、ジョン・ウェイン演じるイーサンが人間的魅力あふれたキャラクターかといえばそうではなく、厳しく強い男ではあるものの孤独で閉鎖的な面が強調されていて、近寄りがたい人というイメージのまま最後まで変わりません。ジェフリー・ハンターとの関係も黒澤映画のような師弟愛には発展しませんし、ヴェラ・マイルズとの恋愛というサブプロットだけが心和む癒しのエピソードになっていました。

当時の実態がそうだったとはいえ、インディアンに家族を殺されるとかインディアン同士が互いに殺し合うとかそんな生臭さが関節的に感じられるのも、本作を陰惨な印象に傾かせているような気がします。牛泥棒追跡から家に戻ったジョン・ウェインは焼け跡の小屋の中を見てマーサの死を確認し、またジェフリー・ハンターとハリー・ケリー・ジュニアの二人と別れて馬の足跡を追ってひとり山側を通過したジョン・ウェインはその途中でルーシーの死体を埋めてマントをかけてきたと言います。どちらもダイレクトに死体を見せるわけではありませんが、逆に観客の創造力を刺激し過ぎてしまって、あまりに早く女性登場人物が死んでしまうので観客が感じるショックがそのあとも傷痕のようにして消えなくなるのです。観客に親しみを感じさせる太ったインディアン女性が無残に殺されるのなんて、もうダメ押しみたいなですもんね。

なので映画全体を見たときに「何度でも見たくなる映画で絶対に見て損はないからおススメ」とは言い切れないようなモヤモヤ感が残る作品というのが正直なところです。ちなみにかつてTV放映されたときには「荒野の捜索者」というタイトルがつけられていて、たぶん日本公開時の『捜索者』というタイトルだけでは西部劇であることもわからないですし、視聴率的には邦題が地味過ぎると判断されたんでしょう。原題の「The Searchers」の「search」には「とことんまで捜す」とか「徹底的に捜す」とか「あちらこちら探し回る」という意味がありますので、かなり本作のテーマを的確に表現した英語なのですが、日本語の「捜索」にはそこまでのニュアンスは感じられません。ならば「決死の捜索者」とかならよかったのかといえば、形容詞をつけてしまうとB級感が増すばかりなので、やっぱり『捜索者』という邦題が最善手だったのかもしれませんね。(U040323)

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