狩人の夜(1955年)

公開当時不評のため俳優チャールズ・ロートンの唯一の監督作品になりました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、チャールズ・ロートン監督の『狩人の夜』です。チャールズ・ロートンはイギリス出身の舞台俳優で、ハリウッドでも俳優として活躍していて、本作が初監督作品でした。しかし公開当時興行的に惨敗し批評的にも芳しくなかったためロートンはその後二度とメガホンをとることはありませんでした。よってチャールズ・ロートンの唯一の監督作品となった本作は、後年になって再評価の声が高まり、未公開だった日本でも1990年に劇場公開されることになったのでした。

【ご覧になる前に】ロバート・ミッチャムが怪しい偽伝道師の悪役を演じます

老女が子供たちに聖書の一節を唱えるイメージが星空に浮かび、ある家の玄関では女性が倒れています。歌を歌いながら車を運転している伝道師姿のハリー・パウエルは、ストリップ小屋でステージの女性を憎しみを込めて睨みつけ、騒動を起こしたところで逮捕されました。一方、田舎町の一軒家に息せき切って帰ってきた父親は1万ドルの札束を息子ジョンに渡すと誰にも言わないと誓わされ、妹パールとともに警察に捕縛される父親を見送ります。強盗殺人の罪を問われた父親は刑務所でニセ伝道師ハリーに1万ドルを隠したことを知られてしまうのですが…。

イギリス人のチャールズ・ロートンは王立演劇学校を卒業すると初舞台に立ち、1928年には市場初めてエルキュール・ポワロを演じるなど演劇の世界で活躍するようになりました。映画界にも進出し、1933年に出演した『ヘンリー八世の私生活』でロートンはアカデミー賞男優賞を獲得し、ハリウッドでイギリス映画が注目されるきっかけを作りことに。もっともアカデミー賞はまだ第6回を迎えたばかりの頃で、アクター向けの賞も男優賞・女優賞の二部門だけの時期でしたので、後年ほどの栄誉感はなかったものと思われます。

1950年に米国市民権をとったロートンが、プロデューサーのポール・グレゴリーのもとで映画監督に初挑戦したのが本作で、ポール・グレゴリーも本格的な映画製作は初めての経験だったようです。ユナイテッド・アーティスツ配給で公開されたものの、興行的に失敗し、映画評論家からも酷評されたため、ロートンは本作を最後に映画を監督することはありませんでした。後年になってフランソワ・トリュフォーから「真に実験的な実践映画である」と絶賛され、辛口評論家のレナード・マルティンも***1/2と高評価するなど、作品の再評価が進みました。1992年には国立映画保存委員会(NFPB)の国立フィルム登録簿にも加えられています。

原作はデイヴィス・グラップが書いた小説で、ジェームズ・エイジーが脚本化しました。エイジーは小説家であり映画批評家であり脚本家でもあった才人で、死後に発表された小説「家族のなかの死」でピューリッツアー賞も受賞しています。映画では1951年にジョン・ヒューストン監督と共同で書いた『アフリカの女王』の脚本が有名で、その年のアカデミー賞脚色賞にノミネートされました。一説によるとアルコール依存症を抱えていたエイジーによる『狩人の夜』の脚本は使い物にならずチャールズ・ロートンが書き換えたんだそうです。が、それはロバート・ミッチャムが広めた悪評で、エイジーが書いた脚本は枚数が膨大過ぎたためロートンの指示によってエイジーが余分な箇所をカットして完成されたものだという反証もあるんだとか。いずれにしてもエイジーは本作公開の年に急死してしまったので、真相はよくわかりません。

キャメラマンのスタンリー・コルテスは、オーソン・ウェルズが『市民ケーン』の次に撮った『偉大なるアンバーソン家の人々』の撮影を担当した人。1930年代からユニバーサル映画で働いていたため、ゴシック・ホラー映画作品などでキャメラを回していたようです。1969年の『レマゲン鉄橋』なんかもスタンリー・コルテスの撮影ですから、結構長くハリウッドでキャリアを積み重ねた実績をもっています。

【ご覧になった後で】ホラーとメルヘンが混ざった不思議なサスペンスでした

いかがでしたか?チャールズ・ロートンといえば、ビリー・ワイルダーの『情婦』の老弁護士のイメージに尽きるわけで、そのロートンが映画監督をしていたというのは本作を見て初めて知りました。ところが初監督作品にしては、オリジナリティのある不思議な手触りの映画に仕上がっていて、映像表現を含めて印象に残る出来栄えでした。このような作品が注目されずに終わってしまったのは、当時のハリウッドがTVに対抗するためにカラーはもちろんのこと大型スクリーン化する中で、地味なモノクロスタンダード作品だったことも関係したのかもしれません。それでも映画史的には記録に留めておきたい作品のひとつであることは間違いありません。

不思議だというのは、父親から息子ジョンが1万ドルを預かるサスペンス調の導入部から始まって、ロバート・ミッチャムが町に現れると同時にサイコホラーの要素が加わり、幼い兄妹の二人が川をボートでさまよい逃げるあたりからファンタジー風に転調するからです。特に後半の展開は普通の映画とは全く違っていて、川を下るボートをカエルやウサギ超しに映したショットは、映画自体が耳障りな怒鳴り声からスズムシの鳴き声への変化を表象するようでした。それはすなわち物語のドライバーがロバート・ミッチャムからリリアン・ギッシュに移ることと同義であり、子供たちに危害を与える大人ではなく、子供たちを守る大人にスポットライトを当たることで、本作もダークなホラーから希望のあるサスペンスに変化するのでした。

そう考えるとやっぱりロバート・ミッチャムとリリアン・ギッシュの演技が本作のキーファクターになっていたのは当然のことでしょう。ロバート・ミッチャムは本作の前年に出演した『帰らざる河』のような素朴ながら勇敢な無口な男というタイプの男優であるだけに、ニセ伝道師ハリー役の狂気の演技は観客のイメージを180度裏切るくらいの陰惨さがありました。右手にLOVE、左手にHATEと書いて、説教術で町民たちを虜にしてしまう場面や、食卓で兄を前にして妹を詰問するところ、妻シェリー・ウィンタースを結婚初夜に拒絶する場面、閉じ込められた地下室をぶち破り藪をかき分けて川の淵まで追いかけてくるところなど、すべてが狂気じみていて禍々しくもコワイくらいの演技でした。

一方のリリアン・ギッシュは、D・W・グリフィス監督の『散り行く花』に主演したのが1919年ですから本作はその36年後の出演作となり、撮影当時は六十二歳。映画界を引退していたわけではなく、数年ごとに出演作があるので、役を選んで出ていたのかもしれませんが、本作のレイチェル・クーパー役はまさに適役中の適役で、ジョン少年の目配せでロバート・ミッチャムが悪徳伝道師であることを見破るシーンなどで貫禄を見せていました。極めつけは深夜外で聖歌を歌うロバート・ミッチャムの声に、リリアン・ギッシュの歌声が重なり、奇妙な合唱が始まるところ。善と悪、守と攻、明と暗が対峙しながら、表裏一体になってしまい、神の教えがどっちに転ぶかわからないという本作のテーマを浮かび上がらせる名場面になっていましたね。

チャールズ・ロートンの演出はとても初監督とは思えない見事さで、かつオリジナリティが満載でした。ロバート・ミッチャムが町にやって来るところでは、アイスクリーム屋につとめるシェリー・ウィンタースと煙を吐きながら突進する汽車がカットバックするのですが、それを二度も繰り返していて、普通はこんなカットバックを重複させることはしません。それをあえて二回やることで猛烈な不安感が醸成されていたのには驚きました。また光と影の使い方はドイツ印象派の影響が顕著で、兄妹の部屋の壁にロバート・ミッチャムの帽子の影が映るショットやベッドに横たわったシェリー・ウィンタースの横でロバート・ミッチャムが片手を上げて立つ三角屋根の部屋の造形などは、物語の酷薄な展開をうまく表現していました。

後半になると川を下るボートを俯瞰で捉えて水面がキラキラ輝く映像が観客の心を静めますし、丘の上に馬に乗ったロバート・ミッチャムがシルエットで現れるショットもサスペンスよりは寓話っぽさが強調されるようになります。結果的にはリリアン・ギッシュの銃がロバート・ミッチャムのナイフに勝つという展開に観客は安堵することなります。町民たちがロバート・ミッチャムをリンチしようと結集するところは大衆のコワさを見せていて、ここらへんも教訓めいた雰囲気がありましたが、リンゴの代わりに時計を受け取るジョンに祝福を送りたくなるような暖かな気分で映画を見終えることができるのでした。

よく考えてみると1万ドルのことを口走ってベッドの上から逆さまにロバート・ミッチャムに問い詰められた父親が兄妹にとんでもない災厄をもたらしたわけで、1万ドルは余計だったと言わざるを得ないのですが、1930年代の大恐慌が時代背景にあるので、それも仕方なかったのかもしれません。ちなみにあの父親をやったのはピーター・グレイヴスで、TVドラマ「スパイ大作戦」の「おはよう、フェルプス君」の人です。あと、ロバート・ミッチャムが警察に捕まる時にジョンがそれを止めさせようとして1万ドルを投げ捨てるのはちょっと蛇足な感じがしてしまいました。父親が捕まったのを思い出したという設定のようですが、あんなに酷いことをされたのですから助けようなんて気持ちはほんの少しも起きないのではないでしょうか。

シェリー・ウィンタースは『ポセイドン・アドベンチャー』ではロープをつなぐために水中遊泳を敢行して心臓麻痺で死んでしまうおばさんを演じた人で、その20年近く前に水の中で死んでいたというのは皮肉な感じに見えました。でも水中で髪の毛をなびかせて死んでいたのはシェリー・ウィンタース本人ではなくて、人形だったんだそうです。その当時にあんな精巧な人形を作ることができたのは驚きですよね。(U090725)

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