ナバロンの要塞(1961年)

アリステア・マクリーンの小説を映画化した戦争冒険アクション大作です

《大船シネマおススメ映画 おススメ度★★》

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、J・リー・トンプソン監督の『ナバロンの要塞』です。イギリスの小説家アリステア・マクリーンが1957年に発表した「ナヴァロンの要塞」は第二次大戦中の1943年にエーゲ海のドデカネス諸島で勃発した戦役を題材としながら、架空の島の架空の大砲を爆破する特殊任務部隊の活躍を描いた冒険小説でした。この小説の映画化を企画したのが脚本家カール・フォアマン。フォアマンは自ら脚本を書いて、当時としては破格の600万ドルという巨費を投じて2時間40分の長編大作に仕上げ、1961年の全米興行収入ランキング第三位の大ヒットを記録したのでした。

【ご覧になる前に】ギリシャの陸海空軍が全面協力し地元住民も出演しました

ギリシャのケロス島に孤立した英国軍将兵2000名を救出するために連合軍は駆逐艦6隻による救出作戦を立てますが、実行にはドイツ軍がナバロン島に設置した2門の要塞砲の破壊が必要で、その特殊任務のため6名の精鋭が集められました。暴風雨の中でナバロン島の南岸に到着した一隊は登山家のマロリー大尉を先頭にして断崖絶壁を登攀しますが、滑落したリーダーのフランクリン少佐は重傷を負い、武器弾薬以外の食糧をすべて失ってしまいます。ギリシャの抵抗組織に所属するマリアとアンナとは合流できたものの、一行はドイツ軍から執拗な追撃を受けながら要塞を目指すのですが…。

スコットランド出身のアリステア・マクリーンは、第二次大戦に水雷隊員として従軍し日本軍の捕虜になった経験をもとにして、海洋冒険小説「女王陛下のユリシーズ号」を1955年に発表します。この作品はマクリーンを一気に有名にしただけでなく、日本でも早川書房の「ミステリマガジン」が主催した「読者が選ぶ冒険・スパイ小説ベスト100」(1992年5月号)で圧倒的第一位に選ばれるほど長い人気を誇っています。その2年後に発表されたマクリーンの第二作が「ナヴァロンの要塞」で、こちらは同じベスト100では17位にランクインされ、現在でも絶版とならずにハヤカワ文庫で読むことができます。

その原作を脚本化して自ら製作したのがカール・フォアマン。フォアマンは過去に共産党員だったことから赤狩りのブラックリストに名前が載って、スタンリー・クレイマーとともに製作した『真昼の決闘』の完成後にハリウッドを追放され、イギリスに移住しました。1957年のデヴィッド・リーン監督作品『戦場にかける橋』では共同脚本に参加したもののクレジットされることはなく、この『ナバロンの要塞』は自ら製作しクレジットを含めて映画に関するすべての決定権をもつことになります。本作の成功によって、1963年には『勝利者』、1969年には『マッケンナの黄金』で再度自らの脚本を製作しますが、そこそこヒットはしたもののやっぱりこの『ナバロンの要塞』に及ぶ作品を残すことはできませんでした。

主人公マロリー大尉は小説ではニュージーランド出身の英国軍人という設定でしたが、主演のグレゴリー・ペックはもちろんアメリカ人なので英国人らしく見えずにミスキャストではないかといわれたそうです。またマロリー大尉はドイツ語もギリシャ語も堪能という設定なのに、グレゴリー・ペックは英語しか話せずドイツ語もギリシャ語も吹き替えに頼ることになりました。そもそもカール・フォアマンはウィリアム・ホールデンにオファーを出したのですがあまりに高額なギャラを要求されて断念、ロック・ハドソンやゲーリー・クーパー、ケーリー・グラントも候補にあがりますが、結果的にグレゴリー・ペックに役が回って来たんだとか。ミラー伍長役のデヴィッド・ニーヴンにいたっては出演したものの自分は適役ではないと思い続けていたそうで、後になってやっと自らのキャリアの中でも重要な役だったと振り返っています。こちらも当初はディーン・マーティンやアレック・ギネスが候補になっていたのを最終的にはデヴィッド・ニーヴンが演ずることになりました。

本作の製作にはギリシャの陸海空軍が全面的に協力し、撮影時には現地住民が多数エキストラ出演しています。よってドイツ軍の兵器はギリシャ軍のものを偽装して使っていまして、ドイツ兵は全員ギリシャ人が演じています。

音楽はディミトリ・ティオムキンで、楽曲を提供してもらうために5万ドルのギャラが必要でした。これはそれまでの長編映画のスコアに対して支払われた最高金額だったそうで、『スミス都へ行く』『素晴らしき哉、人生!』などのアメリカの理想主義を体現した作品や『真昼の決闘』『OK牧場の決斗』『アラモ』などの西部劇、『見知らぬ乗客』『ダイヤルMを廻せ!』などのヒッチコック作品と、ハリウッドを代表するオールジャンルの傑作で音楽を担当してきたキャリアからするとある意味では当たり前の報酬だったのかもしれません。そしてティオムキンがその報酬以上の仕事をやってのけたことは本作の音楽を聴いていただければすぐに納得のいくところでしょう。

【ご覧になった後で】すべてが一体的にプロデュースされた手に汗握る大傑作

いかがでしたか?この映画をはじめて見たのはTVの洋画劇場で、前後編二週にわたって放映されたときのことでした。そのときデヴィッド・ニーヴンが昇降エレベーターに仕掛けた爆弾がいつ爆発するかどうかでハラハラドキドキが最高潮に達した記憶があり、再見するたびにあの少年時代に感じた新鮮なハラハラドキドキが再現せずに少なからずガッカリするのですが、それでも本作はめちゃくちゃに面白い戦争冒険アクション映画の大傑作であり、何度見ても楽しく面白くあっと言い間に2時間40分が過ぎてしまう娯楽巨編であることは間違いありません。

その面白さは何なのだろうかとあらためて考えると、これはカール・フォアマンのプロデュース力に尽きるのではないかと思うわけです。きっと『戦場にかける橋』の脚本を書いても映画にクレジットすらされない自分の境遇をなんとかはね返してやろうという気概があったんでしょう。自分で製作すればクレジットどころかキャスティングも編集も映画の長さも全部自分に決定権があるのですから、すべてをハンドリングできる体制を作り上げて本作の製作に全霊を傾けたのではなかったでしょうか。

まず第一に脚本の出来がすばらしいです。アリステア・マクリーンの原作も非常に面白くむさぼるように読んだ記憶がありますが、映画ではドイツ軍に情報を売るゲリラが男性だったところを色を添える意味も含めてイレーネ・パパスとジア・スカラという二人の女性に変更しています。ジア・スカラがグレゴリー・ペックと抱擁するところはほとんど意味のない蛇足でしたが、イレーネ・パパスをからませることでグレゴリー・ペックに女殺しをさせずに済んでいますし、何よりも要塞に近づくに従って登場人物各人が徐々に彫り込まれていく描き方が秀逸でした。集団劇だとどうしても主人公とその側近くらいしか印象に残らないものですけど、本作では任務部隊6名+女性ゲリラ2名の全員のキャラがしっかりと立っていますし、加えてドイツ軍の将校と親衛隊の二人までもが対照的に描かれていて、ひとりも漏らすことなくすべての人物に陰影が与えられている見事なシナリオだったと思います。

次にJ・リー・トンプソンの演出ですが、戦争映画の基本でもある地図上の位置関係がきちんと映像としてわかりやすく描かれていました。要塞砲に到達することがミッションなのですからその作戦遂行が今どうなっているのかがわからないと観客としてはサスペンスを感じることができません。その点、地図を見せたり、移動場所を林や川やトンネルや町などに変えて表現したりして、マロリー隊の横移動の動きがしっかりと伝わっていました。『成功の甘き香り』などを撮ったアレクサンダー・マッケントリックが監督をやるはずだったのが、撮影開始一週間前になってカール・フォアマンが解雇して、J・リー・トンプソンに代わったんだそうで、カール・フォアマンがプロデューサーだからこそできた監督交代でした。実際にトンプソンは本作でアカデミー賞監督賞のノミネートされ、以後『隊長ブーリバ』や『0の決死圏』などの作品を残すことになります。

そしてナバロンの要塞そのものを映像化した特殊効果も見事でした。7部門にノミネートされてアカデミー賞を獲得したのはこの特殊効果賞だけでして、ビジュアル担当のビル・ウォリントンと音響担当のクリス・グリーンハムの二人が担当しました。とにかく要塞砲の重厚な巨大感がずっしりと表現されていて、クライマックスの爆破シーンでは崖から崩れ落ちる二門の大砲が非常にリアルでしたし、爆破によって岩山自体が赤く燃え上がるのもダイナミックな映像になっていました。加えてナバロン島に辿り着く暴風雨の場面の海と嵐の描き方は、デヴィッド・リーンの『ライアンの娘』と双璧をなすような海難場面だったのではないでしょうか。巨大プールを設えたスタジオセットで撮影されたそうですが、かなりの労力が費やされたと想像されます。後にビル・ウォリントンは『レイダース/失われた聖櫃』で、クリス・グリーンハムは『スーパーマン』でハリウッドの後進指導にあたっています。

俳優たちの演技もそれぞれ個性豊かで良かったのですが、それはどんな映画でもよくあることだとすると、本作の成功要因はギリシャの普通の人々のエキストラ出演にあるのではないでしょうか。緊迫した場面が続く中でマンドラコス村での村人たちはほっと一息つくようなアクセントになっていて、戦争と平和の対照的な光景を一瞬にしてビジュアル化していたと思います。グレゴリー・ペックは本作に出演した理由のひとつに「反戦的映画だから」というのを挙げたようですが、この住民たちの普通の暮らしを挿入したのが反戦的姿勢の表れでしたし、それは地元住民の協力なしでは実現できなかったでしょう。映画の冒頭でわざわざギリシャ軍と住民への謝辞を大きく掲げたのはカール・フォアマン自身が製作工程においてギリシャが鍵を握ることになったのを実感したからかもしれません。

そして極め付きはディミトリ・ティオムキンの音楽。壮大にして繊細で勇壮ながらどこか哀調も帯びているあの旋律は本作に欠かせないものでしたし、耳の奥にはミッチ・ミラー合唱団がレコーディングした歌入りの曲が鳴り響くのですが、本作ではもちろんオーケストラレーションの曲だけが様々なアレンジを施されて繰り返し流されます。プロローグがギリシャの神殿でおごそかに始まるのと対比するようにしてエンディングもはるか向こうに燃えるナバロン島を望みながらグレゴリー・ペックとアンソニー・クインが別れ、デヴィッド・ニーヴンがグレゴリー・ペックに謝罪し賞賛する場面が静かに描かれます。そこに流れるティオムキンのメインモチーフが本作に神秘的なヴェールをかけるようにして幕を閉じるこのエンディングの見事さ。最後の最後まで完璧な構成になっていて、何度見てもいい映画は楽しめるという感慨に浸れるのでありました。(A121022)

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