地下室のメロディー(1963年)

ジャン・ギャバンとアラン・ドロンが現金強奪を計画するコンビを演じます

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、アンリ・ヴェルヌイユ監督の『地下室のメロディー』です。第二次大戦の前からギャング映画に主演していたジャン・ギャバンと1960年代にフランス映画界のトップスターのひとりとなったアラン・ドロンの二人が初めて共演した犯罪映画で、カンヌのカジノから10億フランの現金を強奪するお話です。ジャン・ギャバンとアラン・ドロンは三十年以上歳が離れていますが、最後の大仕事をして富豪として老後を過ごそうとするジャン・ギャバンとまともな仕事に就く気のない気ままなアラン・ドロンの対比が見どころになっています。

【ご覧になる前に】派手なジャズオーケストラはミシェル・マーニュ作曲です

パリ郊外に向う列車では乗客たちが休日の過ごし方を賑やかに話し合っていますが、初老の男はその会話を聞いてうんざりしています。新築の高層ビルが立ち並ぶ街の一角に取り残された一軒家に入った男は、5年の刑期を終えて妻の元に帰ってきました。妻は捕まる前に残した金を元手に南仏に小さなホテルを買って商売しようと言いますが、男はデカい仕事で大儲けしてオーストラリアに富豪として移住するつもりだと告げます。昔の仕事仲間で今はサウナを経営しているマリオからカンヌにあるカジノの金庫の設計図を手に入れた男は、一緒に現金強奪する相棒に刑務所で知り合った若造のフランシスを指名するのですが…。

ジャン・ギャバンはミュージックホールで歌や芝居の腕を磨き1930年に映画デビューを果たし、1935年にジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『地の果てを行く』に出演して注目を浴びました。1937年にはデュヴィヴィエ監督の『望郷』、ジャン・ルノワール監督の『大いなる幻影』に主演しますが、第二次大戦が激化するとアメリカに渡って戦争が終わるのを待つことに。戦争終結後フランスに帰国した後は、がっしりした体格をいかした貫禄の演技を見せるようになり、ギャングを演じたジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』(1954年)はジャン・ギャバンの代表作になりました。

かたやアラン・ドロンは1959年の『お嬢さん、お手やわらかに!』がヒットした後にルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』のトム・リプリー役に抜擢され、そのハンサムぶりで世界的映画スターとなりました。同じ1960年にルキノ・ヴィスコンティ監督から指名されて出演した『若者のすべて』以降はミケランジェロ・アントニオーニ監督の『太陽はひとりぼっち』やヴィスコンティ監督の大作『山猫』などイタリアとフランスの合作映画にも意欲的に取り組み、フランスだけにとどまらないキャリアを築いていきます。この『地下室のメロディー』はアラン・ドロンが二十七歳のときに出た映画で、五十八歳のジャン・ギャバンとは三十一歳差だったことになります。大御所ギャングスタ―と若手の注目俳優の組み合わせということが公開当時は大いに売り文句になったことと思われます。

監督のアンリ・ヴェルヌイユは1950年代には多くの作品を監督したものの、日本で公開されたのはフランソワーズ・アルヌール主演の『過去をもつ愛情』とジャン・ギャバン主演の『ヘッドライト』くらいでした。50年代末からフランスではヌーヴェル・ヴァーグ旋風が巻き起こり、一時的に影が薄くなったアンリ・ヴェルヌイユでしたが、犯罪娯楽作である『地下室のメロディー』で復活を果たし、以後は『太陽の下の10万ドル』『ダンケルク』『華麗なる大泥棒』『恐怖に襲われた街』といったジャン・ポール・ベルモンド主演作を長年にわたって監督することになります。

本作の注目はジャズオーケストラによる派手なジャズ音楽で、作曲を担当したのはミシェル・マーニュという人。本作の前年には『ジゴ』という映画でアカデミー賞にノミネートされていたそうで、『セシルの歓び』(1967年)『バーバレラ』(1968年)『夜の訪問者』(1970年)と話題作の音楽を担当します。本作ではテーマ曲のモチーフがさまざまな変奏曲となって繰り返されていて、映画のムードを形成するのに大いに貢献しています。

【ご覧になった後で】金庫侵入シーンは盛り上がりますがその後がお粗末です

いかがでしたか?まず導入部はミシェル・マーニュの音楽とクレジットタイトルのデザインセンスが光っていて大いに期待がもてる出だしになっていました。乗客の能天気な話を聞いたジャン・ギャバンがその感想をモノローグで述べるところもこの男が何者で何を狙っているのかが観客に伝わってきますし、高層ビルに囲まれて残っている一軒家が時代の趨勢に歯向かうようにして現金強奪を計画する男の心境を表象していたように思います。

そしてカジノ「パームビーチ」の金庫にアラン・ドロンが忍び込むシークエンスはほとんどセリフなしで30分弱にも及びますが、なかなか踊り子たちが帰らなかったり、通気口の金網をペンチで切り開くのに時間がかかったりしてサスペンスを盛り上げます。ギリギリでエレベーターが降下してしまうショックも利いていて、白黒の映像も盗みのストイックな作業にフィットしていました。

なので映像的には楽しめるのですが、ちょっと冷静に考えるとこんな計画で10億フランを奪うことができるんだろうかといろいろアラがあるように思えてきて、肝心の現金強奪シーンに集中できなくなってくるのでした。たとえばアラン・ドロンが苦労して金庫に侵入する一方でジャン・ギャバンは金庫室にある鉄の扉を開錠するともうそこに待ち構えています。扉一枚のところまでやすやすと来られてしまうなら、あらかじめその鍵を開ける細工をしたほうが効率的ではないでしょうかね。また現金を奪って逃げる際には扉を蹴飛ばして走って階段を上っていき、すぐに警報ベルを鳴らされてしまうのですけど、カジノのオーナーたちを金庫の中に閉じ込めてしまえばいいのにななんて考えてしまいました。

さらに不可解なのは翌日ジャン・ギャバンがうろたえてしまうところで、新聞の写真にアラン・ドロンが映っていたということだけでなんで当初の計画を変更してすぐ現金を持ち出そうとしたのかがよくわかりませんでした。別にダンスホールの客として映っているだけなら問題ないはずですし、映っていて面が割れてしまったならその時点でアラン・ドロンは外を出歩くことができないはずです。そしてジャン・ギャバンはなぜわざわざ捜査員がわんさかいるプール脇に現金が入った袋を持ってこさせようとしたんでしょうか。アラン・ドロンも別のバッグに移し替えればいいものを現場で使ったものをそのまま運んでしまいますし、そこでカジノのオーナーがバッグを見ればすぐわかるなんて会話しているのを聞いて、プールの中に沈めるというのも本当に愚かなバカとしか思えませんでした。

つまるところアンリ・ヴェルヌイユはプール一面に札束が浮いてくるという映像を結末に持ってきたかっただけなわけで、そうするためにはバッグはプールに沈めなければならず、そのためにはジャン・ギャバンはプールに現金を持ってこさせなければならないのです。そんな逆算的な作り方をしたためにどうにもこうにもアラン・ドロンがバカにしか見えなくなってしまったんではないでしょうか。まあバッグがどうこう会話しながらすぐ目の前にあるパンパンに膨れ上がったバッグに気づかない警察も職務怠慢にしか見えませんけど。

そんなふうに考えているとヴィヴィアーヌ・ロマンス演じるスウェーデンの踊り子とのエピソードもほとんど不要だったような気がしてきますし、まじめな義兄も計画の途中で逃げ出したりするのかと思ったら冷静に最後までやり遂げてしまうし、札束が浮くというエンディングには何ひとつ結びつかないままにエピソードやキャラクターが放り出されてしまったような印象でした。ジャジーな音楽が雰囲気を盛り上げていただけにもったいなかったですね。

ジャン・ギャバンは貫禄十分で、サングラスをかけただけで本当にコワイおじさんに見えてくるのはさすがでした。一方のアラン・ドロンは本作のようなチャラいチンピラが本当によく似合っていて、この人は本来的に超ハンサムだけど中味が薄っぺらいというような軽薄なキャラクターだったんだなということがよくわかりました。あの美貌はそのためのもののような気もしてきますし、タバコを吸う前に必ず鼻で匂いを嗅ぐという演技も、カッコいいというよりは単なるカッコつけに見えてきます。そうして考えると、ジャン・ギャバンとアラン・ドロンの共演は結果的にアラン・ドロンがジャン・ギャバンの引き立て役にされただけだったような気がしてきますね。(V122023)

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