マリオ・プーゾのベストセラーの映画化はパラマウントを救いました
《大船シネマおススメ映画 おススメ度★★》
こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、フランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』です。マリオ・プーゾ(原作本では「プーヅォ」)がマフィアの家族を描いた小説「ゴッドファーザー」が発表されたのは1969年のこと。その小説の映画化権をいち早く獲得したのがパラマウント・ピクチャーズで、経営不振に陥っていたパラマウントは本作の映画化によって莫大な利益を獲得して復活することになりました。1972年度アカデミー賞では作品賞・主演男優賞・脚色賞の三部門でオスカーを獲得しましたし、英国Sight & Sound誌が行った2022年のグレーテスト・フィルム・オブ・オールタイム(監督投票)では第3位に選出され、映画史上の名作として現在でも多くのファンに語り継がれる作品です。
【ご覧になる前に】イタリア系マフィアの「ファミリー」の物語です
薄暗い室内で葬儀屋の男が強姦された娘の復讐を依頼する相手はドン・ヴィトー・コルネオーネ。金ではなく友情として仕事を引き受けたドンの自宅の庭園では娘コニーの結婚式が開かれているところで、お祝いに駆けつけた人気歌手ジョニー・フォンテーンもまたドンに望む映画出演が叶わないと泣きつきます。軍服姿の三男マイケルは長男サニー・次男フレドーらと家族写真に収まりますが、婚約相手のケイに父親の稼業は継がないと話します。式の最後にドンから指示を受けた相談役のトム・ヘイゲンはハリウッドに飛び、プロデューサーのウォルツに会ってジョニーの映画出演を頼むのでしたが…。
TVによって苦境に陥ったハリウッドの中でもパラマウント・ピクチャーズの凋落は著しく、1966年に巨大複合企業のガルフ&ウェスタン・インダストリーズに買収されてしまいます。ガルフ&ウェスタン社長チャールズ・ブルードーンはパラマウントによる映画事業の建て直しのため、プロデューサーのロバート・エヴァンスを製作担当副社長に抜擢。エヴァンスは『ローズマリーの赤ちゃん』や『ある愛の詩』を大ヒットさせるなどでプロデューサーとしての手腕を発揮する一方、クリント・イーストウッド主演のミュージカル映画『ペンチャー・ワゴン』が大失敗に終わり、経営者の立場は盤石ではありませんでした。
ブルードーンから『ある愛の詩』に続く大ヒット作を要求されたエヴァンスは、製作担当副部長ピーター・バートが借金に困っていたマリオ・プーゾからわずか1万2千ドル(映画製作時に8万ドルのプレミア付き)で映画化権を買い取っていた「ゴッドファーザー」に目をつけます。小説は大ベストセラーになっていたものの、ギャング映画は流行遅れになっていて、マフィアと同一視されることを嫌ったイタリア系移民からは映画化反対運動も起こっていました。そこでエヴァンスは、リスクの少ない低予算作品としての製作を考え、アルバート・S・ラディに『ゴッドファーザー』の製作を任せることにしたのです。
アル・ラディは軍事関連の戦略研究からスタートしたランド研究所で働いていましたが、1965年にTV業界に転身を図り、プロデュースしたコメディ番組「0012捕虜収容所」はCBSで最高の人気番組になりました。パラマウントのロバート・エヴァンスと知己を得て、1970年にロバート・レッドフォード主演の『お前と俺』を製作。予算より20万ドル安く仕上げたことでエヴァンスに認められ、ラディの会社アルフラン・プロダクションが『ゴッドファーザー』を製作する契約を結びます。『ペンチャーワゴン』は2,000万ドルで製作されましたが、ラディに与えられた予算はわずか400万ドル。ラディは有能な秘書ベティ・マッカートとともに映画製作をスタートさせ、最終的には予算を600万ドルまで引き上げることに成功しました。
まずラディはマリオ・プーゾにシナリオ化を依頼しました。当時のハリウッドでは原作者にシナリオを書かせるのは、大胆なカットができず冗長になるので御法度とされていました。しかし依頼を受けたマリオ・プーゾはその場で原作本を放り投げ、映画化のイメージは頭の中にあると言い、10万ドルプラス興行収益1%の条件で600ページある小説を150ページのシナリオにする仕事を引き受けます。
次にラディは監督の選定に取り組みますが、マフィアという素材とスケジュール調整の関係から出したオファーはことごとく拒絶されてしまいます。リチャード・ブルックス、フレッド・ジンネマン、アーサー・ペン、コスタ・ガブラス、オットー・プレミンジャー、ピーター・イェーツ、エリア・カザンなどなど。そこで目をつけたのがフランシス・フォード・コッポラ。コッポラは自ら設立したゾエトロープ社で製作したジョージ・ルーカス初監督作品『THX1138』の興行的失敗でワーナーブラザーズに借金があり、その弱みに付け込んだラディは『パットン大戦車軍団』でアカデミー賞脚本賞を受賞していたコッポラに共同脚本と監督を依頼したのでした。
最も難航を極めたのがキャスティングで、絶対的存在感が必要なドン・コルネオーネ役については、マリオ・プーゾからの手紙を受け取ったマーロン・ブランドが興味を示したものの、当時四十七歳という年齢からパラマウント側は難色を示し、アーネスト・ボーグナインの線を押したそうです。しかし靴墨で髪を黒くし、頬に綿を詰めて、皺枯れ声で話すブランドのフィルムをコッポラから見せられると、マーロン・ブランドの配役はすぐに許可されることになりました。
もうひとりの主役である三男マイケルについては、ロバート・レッドフォードやテイタム・オニールらの人気俳優を推すロバート・エヴァンスに対して、コッポラはブロードウェイで活躍するイタリア系の新人アル・パチーノこそが相応しいと引きません。エヴァンスはジェームズ・カーンを長男サニーに当てることを条件にアル・パチーノで行くことを許したものの、なんとアル・パチーノは「The Gang That Couldn’t Shoot Straight」に出演する契約をMGMと交わしてしまっていました。仕方なくロバート・エヴァンスはMGMにロバート・デ・ニーロとの交換といくつかの映画化権を譲渡する交渉をして、アル・パチーノとの契約を解消させたのでした。
ちなみに「The Gang That Couldn’t Shoot Straight」というギャングコメディ映画は日本未公開のままになっていて、ロバート・デ・ニーロに加えてカーマイン・カリディが出演しています。カリディはコッポラがサニー役での起用を計画していて、エヴァンスがジェームズ・カーンをはめたために諦めることになった俳優でした。『ゴッドファーザー』の裏でそんな因縁のあるギャング映画が存在していたんですね。
こうしてなんとか体制を整えたラディでしたが、もうひとつ大きな難問にぶち当たりました。「イタリア系アメリカ人公民権同盟」による映画化反対運動が激しさを増していたのです。この団体を率いていたのがニューヨークの五大ファミリーのうちのひとつコロンボファミリーのボスで、ジョゼフ・コロンボはフランク・シナトラの協力を得て抗議集会を開くなど映画化を妨害し始めます。ジョニー・フォンテーンのモデルだと噂されたシナトラも映画化を阻止しようと、ヴィック・ダモーンにジョニー役を断らせたりしたらしいです。
粘り腰のラディは、コロンボと直談判して、脚本から「マフィア」「コーザ・ノストラ」という言葉を削除することと撮影現場の仕事をイタリア系移民に与えることという条件を引き出します。もともとマリオ・プーゾとコッポラが書いたシナリオには「マフィア」は二か所しか出て来ず、容易に削ることが出来ましたし、撮影する際にはリトル・イタリーでのロケの許可を取ったり、マフィアの風習を教えてくれたりとコロンボファミリーが大いに貢献することになりました。
こうして数々の苦難を乗り越えて完成した『ゴッドファーザー』は1972年3月に公開されると、当時の興行記録を塗り替え、1972年全世界興行収入第1位の大ヒットを飛ばしました。パラマウント・ピクチャーズは2億5千万ドルに及ぶ利益をわずか600万ドルの製作費で得ることになり、続編の製作に取りかかることになりました。しかしアルバート・S・ラディは『ロンゲスト・ヤード』の製作に専念することになっていたので、パラマウントはフランシス・フォード・コッポラに製作に関するすべての権利を与えて、『ゴッドファーザーPARTII』を作ることになるのでした。
【ご覧になった後で】コルネオーネ家の一員を疑似体験できる3時間
いかがでしたか?2時間55分の上映時間の間、観客ひとりひとりがコルネオーネファミリーの一員になったような、まさに映画世界を疑似体験できる没入感を味わえました。小説を読んでいるかのように映画に没頭できてしまうなんて、ちょっと他の映画では考えられないくらいの映画体験。それが『ゴッドファーザー』を見るということなんですね。このような映画の見方ができることを本当に幸福に思いますし、映画史上屈指の傑作という評価は間違いないとあらためて確信しました。
とにかく脚本の完成度がすごくて、まず時間配分が完璧です。コニーの結婚式からドンが撃たれるところまでが1時間、ソロッツォとマクラスキーを殺害したマイケルがシチリア島に潜伏してニューヨークに戻るまでで2時間、そして他のファミリーを粛清してマイケルがドンになるまでで3時間。映画的時間の流れに身を任せるだけで、コルネオーネファミリーの一大叙事詩の当事者になれてしまうのですから、脚本のテーマ・ストーリー・プロット・コンストラクションには全く隙がありません。原作はジョニー・フォンテーンのラスヴェガスでのどうのこうのが結構長く書かれているのですが、ジョニーのパートをほとんどカットできたのはマリオ・プーゾが原作者としてのこだわりを捨てたおかげかもしれません。
そしてすべてのキャラクターのリアリティがすばらしいです。登場人物の誰もがそこにいるかのような実在性があり親近感さえ沸いてきます。作り物のような人物はひとりも見当たらず、あえていえばカルロがいかにも典型的なDVのダメ男っぽく見える程度に過ぎません。マーロン・ブランドの演技がずば抜けていることに間違いはないのですが、マーロン・ブランドならここまでやるかもねという俳優としての絶対的キャリアがあるのであまり驚きはないといって良いでしょう。それとは正反対にこれが映画初主演なのかというくらい衝撃的なのはアル・パチーノです。軍服姿で登場し、ダイアン・キートンと似合いの若夫婦になるだろうという好青年が、ドン襲撃を契機にその才覚を表して、徐々にマフィアの世界で辣腕を奮うようになるという一種の成長物語が、アル・パチーノの演技によって完璧に観客を虜にしてしまいます。特にアル・パチーノのあの目。目だけで何を考えているかが観客に伝わってくるほどでした。
もちろんジェームズ・カーンやジョン・カザール、ロバート・デュバルも良いのですが、ファミリーのリアリティに深度を与えているのは脇の出演者たちでした。太った腹心のクレメンザを演じたリチャード・カステラーノがキッチンでマイケルに銃の扱い方を指南する場面などは、観客も一緒に教わるような気分にさせられます。カステラーノは1970年の『ふたりの休暇』ですでにアカデミー助演男優賞にノミネートされていたというのが驚きです。またテッシオ役のエイブ・ヴィゴダやルカ・ブラージ役のレニー・モンタナ。他の出演作はほとんど知りませんが、本作の出演だけで観客の記憶に刻まれてしまうくらいのハマり具合でした。
フランシス・フォード・コッポラの演出は実に手堅く、作家的な個性を打ち出すよりは脚本をそのまま映像に焼き直すことに専念していたことが観客の特別な没入感につながっていたのだと思います。短いショットと長いショットの使い分けに安定感があり、サスペンスを盛り上げるところとファミリーの情緒を感じさせるところのメリハリの利かせ方が見事でした。真っ暗闇から始まって徐々にマーロン・ブランドに迫っていくファーストショットやソロッツォとマクラスキーを撃つ直前のアル・パチーノに徐々に寄っていくトラックアップショットは、長回しによってキャラクターの内面に触れるような思いにさせられます。一方でマイケルが警備のない病院で襲撃に備えるシーンでは誰もいない廊下や事務室を短いショットを積み上げて不安感が醸成されるとともに、パン屋のエンツォに銃を持っているように見せかけるマイケルの冷静さに思わず息を詰めてしまうほどの緊張度でした。
メリハリという点ではゴードン・ウィリスのキャメラワークの貢献度も高いものがありました。室内では人物の真上から照明をあてて、あえて顔に陰影をつけて表情がわからなくなるように撮っていたのが特徴的でした。また、室内の暗さと陽光の下での明るさの対比が見事で、導入部の結婚式のシークエンスでは幸福な家族の晴れやかな式典の裏で友人の依頼に対応するマフィア稼業のダークサイドが展開される二面性が、映像として的確に表現されています。マイケルが暗殺を成功させる夜のレストランから、昼の陽射しが降り注ぐシチリア島に場面転換するところなども、明と暗の使い分けが観客の気持ちを支配下に置いてしまう効果がありましたね。
そしてこれらの映像を通奏低音的に支えるのはニーロ・ロータの音楽。有名な「ゴッドファーザー 愛のテーマ」が流れるのはマイケルがシチリア島に身を潜めるところ。実は「愛のテーマ」はシチリア島のテーマでもあり、「PARTll」でもシチリア島以外では一切使われないのです。「愛のテーマ」以外はすべて哀調を帯びた劇伴ばかりで、『ゴッドファーザー』の雰囲気づくりのベースとなっているのがニーロ・ロータの音楽なのでした。
というわけで本作は褒めても褒めても褒めたりないくらいのクラシック映画の傑作中の傑作といえるでしょう。家族の物語であり、世代交代の話であり、表と裏のせめぎ合いであり、人生のトランジションを示していて、権力を握るには暴力が必要だという残酷さを知ることになる映画でもあります。そしてこの映画史に残る名作を生み出したのが、アルバート・S・ラディをはじめとする映画産業のニューカマーたちだったことは瞠目に値します。アル・ラディは「こんな連中が何かを成し遂げるなんて思いもしないだろう? ところがぼくらは一体となって魔法のような瞬間が訪れたんだ。そして誰もがキャリアの大きな転換期を迎えた。まさに夢のようだった」と語っています。映画にはマジックがあるんだと感じさせる作品が、犯罪を稼業とするマフィアの家族のお話だったというのは、善と悪が背中合わせに同居しているハリウッドそのものを象徴しているのかもしれません。(T061525)
コメント