G・グリーンとC・リードが『第三の男』の前年に作ったサスペンスの傑作です
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こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、キャロル・リード監督の『落ちた偶像』です。原作はグレアム・グリーンの「地下室」という短編小説でグリーン自らが脚本を書いています。グレアム・グリーンとキャロル・リードのコンビは翌1949年にオールタイムベストに必ずランクされる『第三の男』を作りますが、本作はその共同作業の土台を作るきっかけとなると同時に、トップクラスのサスペンス作品となっています。キャロル・リードは本作で1949年アカデミー賞監督賞にノミネートされましたが、オスカーは『三人の妻への手紙』のジョセフ・L・マンキーウィッツが獲得しました。キャロル・リードのオスカー受賞は1968年の『オリバー!』までお預けとなったのでした。
【ご覧になる前に】物語の大半がロンドンにある大使館の中で進んでいきます
階段の上から執事ベインズを見つめているのは大使の息子フィリップ少年。フィルは大使館の使用人たちに手際よく指示出しするベインズを慕っているのでした。大使が具合の悪い妻を迎えに外出すると、フィルはゲストルームのベランダに隠したヘビのマクレガーを取り出します。ベインズは夫人がヘビを嫌っているのを知っていますが、フィルに味方をして夫人が厳しく躾をするのを快く思っていません。大使館の中にベインズ夫妻とフィルだけが残されると、ベインズは裏口からどこかに出かけていきました。フィルが非常階段を使ってベインズの後を追うと、ベインズはカフェでタイピストのジュリーと話し込んでいるのでした…。
キャロル・リードはシェイクスピア劇で活躍した高名な俳優サー・ハーバート・ビアボーム・トゥリーの隠し子として生まれ、父親の影響で同じ俳優業に進みました。そこで劇作家のエドガー・ウォレスと出会い、ウォレスが始めた英国ライオン映画社に入ります。ウォレスの死後、キャロル・リードは映画監督に昇格して、1936年に監督した作品は作家グレアム・グリーンから高い評価を受けます。1940年の『ミュンヘン行き夜行列車』がヒッチコックの『バルカン超特急』の二番煎じと言われるなど戦前はB級監督と見なされていましたが、1945年に共同監督で関わった記録映画「The True Glory」がアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞すると一気にイギリスで最も有能な監督として認められます。ロケ撮影でリアリズムを表現するスタイルを身につけたキャロル・リードは1947年の『邪魔者は殺せ』でイギリス映画界の地位を確固たるものにしたのでした。
戦後破産の危機に瀕していたロンドン・フィルムを復活させたアレクサンダー・コルダはキャロル・リードをロンドン・フィルムに迎え入れ、グレアム・グリーンに引き合わせます。ここにグレアム・グリーンとキャロル・リードのコンビがスタートしたのです。キャロル・リードより二歳年上のグレアム・グリーンはオックスフォード大学を卒業して「ザ・タイムズ」の記者を経て1929年に作家デビューした人。「地下室」(The Basement Room)は1935年に発表された短編小説ですが、グレアム・グリーンはこの物語を膨らませて本作の脚本に再構成しました。レスリー・ストーンとウィリアム・テンプルトンの名前も脚本家としてクレジットされているものの、この二人は撮影現場でキャロル・リードの指示でセリフの書き換えを行ったダイアローグライターでしたから、ほぼグレアム・グリーンのオリジナル脚本といっていいでしょう。
フィリップを演じるボビー・ヘンリー少年は本作が映画初出演で演技などの勉強もしたことがなく、撮影中もキャロル・リードを大いに困らせたようです。階段から執事の働きぶりを尊敬の眼差しで見つめるショットが本作のファーストシーンですが、この場面も実は手品師を呼んで階段の手すり越しに手品を実演させて、それを見つめるヘンリー少年を撮影したんだとか。また撮影が終わっていないのに少年が髪の毛を切ってしまい、髪が伸びるのを待って再撮影することになり撮影費用が膨らんだなど、ヘンリー少年に手を焼かされたという話が伝わっています。
ベインズを演じるラルフ・リチャードソンはイギリスの俳優で戦前は盟友ローレンス・オリヴィエとともに舞台に立っていました。戦前に映画出演経験があったラルフ・リチャードソンもアレクサンダー・コルダに誘われて映画界に復帰したようで、本作の直前にコルダが製作したジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『アンナ・カレニナ』でアンナの夫のカレーニン役を演じていたのがラルフ・リチャードソンでした。その演技が認められたのか本作で主役を演じ、以降イギリス映画界で長く活躍することになります。デヴィッド・リーンの『ドクトル・ジバゴ』なんかにも出ているようですね。
キャメラマンはジョルジュ・ベリナールというフランスの撮影技師で、サイレント時代からフランス映画界で監督やキャメラを担当してきた人です。アレクサンダー・コルダと知り合ってからは活躍の場をイギリスに移し、『バグダッドの泥棒』では1940年のアカデミー賞撮影賞(カラー)を受賞しています。イギリスで仕事をしていたわりにはずっと「英語を話せない」と主張していたらしく、周囲のスタッフに厳しく接するためにわざと言葉が通じないふりをしていたのではないかと言われていたそうです。
【ご覧になった後で】少年を軸にした脚本が巧く映像表現も最高の出来でした
いかがでしたか?グレアム・グリーンとキャロル・リードのコンビは翌年の『第三の男』で映画界の頂点を極めることになるので本作はややスポットが当たりにくい位置づけになってしまっていますけど、久しぶりに再見して本作も間違いなく戦後イギリス映画を代表する傑作の一本であると確信しました。『第三の男』はウィーンの街全体がさまざまな場面で取り上げられていましたが、本作は物語の大半が大使館の建物の中で進行していきます。この大使館の構造が事件のトリックに活かされるのが見どころで、湾曲した大階段や広間、貴賓室、地下室、非常階段などの大使館の機能が場面転換に効果的に使われていきます。もちろんキャロル・リードが得意とするロケーション撮影は動物園とカフェと夜の石畳で活用されていますが、大使館という特殊な建物が本作の雰囲気を内向きなものにしていて、その圧迫感というか圧縮感が本作の魅力を形作っているといえるでしょう。
なんにしてもまずはグレアム・グリーンの脚本の巧さを賞賛しないわけにはいきません。前半はフィル少年が信頼するベインズが夫人と折り合いが悪くタイピストと不倫しているという三角関係+少年の人間関係が描かれますが、夫人が死んだ後でフィル少年が真実と嘘という真逆の壁に挟み込まれていく後半部は素晴らしい緊張度でした。フィル少年が大人と接するときは必ず1対1に設定されているので、ベインズの外地での活躍(実はホラ話)を聞くのも少年だけですし、夫人とは「他には言わないで」と無理矢理二人だけの秘密の約束をさせられます。そしてクールビューティのミシェル・モルガンからは「どんな人との約束でも破ってはダメ」と諭され、それが少年を出口のない真実と嘘の回廊に迷い込ませていきます。
後半でベインズをかばうためについた嘘が逆にベインズの状況を不利にさせていく展開は、少年の味方である観客としてももどかしさが募ります。ベインズをかばおうと証拠である紙飛行機を回収しようとして結局ベインズの証言が嘘であることがバレてしまうのも、少年の行動を止めたい気分にさせられますよね。このようにしてグレアム・グリーンは観客の気持ちを自由自在に操り、少年をかばいたくさせたりベインズの嘘がバレないように願わせたりするわけです。観客の気持ちをここまで支配できてしまう脚本はなかなか書けるものではありません。
かつて見たときはなぜそこまでしてベインズがジュリーの存在を隠したがるのかがちょっとわからなかったのですが、今回再見してみると要するに二人は貴賓室で初めての交合に至ったことを白日の下にさらせなかったわけなんですよね。ミシェル・モルガンがジャック・ホーキンスの刑事から追及を受けて「服を着るのに2~3分」と釈明するのも、考えてみるとややエロさが感じられて子供ではこの映画を味わうのはちょっと無理だったんだなと思い直しました。
このようにベインズがジュリーの存在を隠そうとしてついた嘘が、フィル少年にも嘘をつかせ、少年の嘘がベインズの嘘を暴くことになり、真実を語り始めたベインズは刑事が発見した植木鉢の足跡という証拠で無実が証明されるものの、少年は植木鉢を倒したのは自分だと真実を訴え、その真実は刑事から無視されます。このように嘘と真実を行ったり来たりする後半は、グレアム・グリーンによる本当に見事な構成が光っていました。そしてこのシナリオを視覚化したキャロル・リードの演出もまさに超一流の腕前で、良い素材を最高の料理人が調理すると絶品ができることをしっかりと証明しています。
その手腕が発揮されたのがベインズ夫人が振り子窓から落下する場面。大きな窓が回転することで窓枠にいると階下へ落下する危険があることは、フィル少年がヘビの無事を確かめようとのぞき込む場面があったことで観客たちはよく知っています。その通りに夫人は落下するのですが、落ちた瞬間をベインズも少年も目撃していません。しかも少年は非常階段からベインズと夫人がもみあうのを見て、次には階段下で倒れている夫人を見ます。観客は夫人の落下は事故だと知りながら、少年がベインズを犯人だと思い込むのに納得するのですが、なぜかといえばキャロル・リードの視点展開があまりに見事なためなんですよね。観客に目撃させた客観的視点と少年が認識する主観的視点がしっかり使い分けられているので、観客には少年が勘違いしたことがちゃんと伝わってくるのです。この客観ショットと主観ショットの使い方はヒッチコック監督の得意とするところで、キャロル・リードもヒッチコックに負けないくらい鮮やかな手口を披露してくれていました。
さらにはキャロル・リードは視点だけでなく、観客の感情にまでタクトを振ります。夫人の電報を使った紙飛行機を階段から階下へ飛ばす場面では、観客の誰にもがベインズに味方して電報だとバレないといいなと思ってます。刑事の部下(たぶん007シリーズで「M」をやるバーナード・リーだと思うのですが)が紙飛行機を拾い、くしゃくしゃにしながらベインズと会話を続け、電報だと気づいていないようでありながら、でも結局は「じゃあこの電報は何ですか」とベインズの嘘を暴きます。ここは純粋に映像だけでベインズの嘘が露呈するプロセスを見せていく場面で、このハラハラドキドキ感が一級品のサスペンスを生み出していました。
また終幕直前の地下室の場面。警察に連行されるベインズは帽子をとって引き出しを開けます。そこには前半で紹介されたピストルがあり、観客はもしかしたらベインズは自殺してしまうのではないかと心配し始めるのです。キャメラは無情にも地下室を離れ、広間での刑事とジュリーの会話に移ってしまい、ベインズがピストルをとるのかどうかを見せてくれません。いつ銃声が聞こえてくるのかと緊張しながら音に気持ちを集中させていると階上の窓で夫人の足跡を発見したという報告が入るのですが、観客はベインズの銃声がそこに被らないかばかりが気になります。結果的には地下室から上がってきたベインズは無実が証明されたことを知りジュリーの手を握るので、ピストルは画面に出てこないままで終わります。つまり引き出しの中にピストルがあるというわずかひとつのショットで、キャロル・リードは観客に「ベインズが自殺してしまうぞ!」と思い込ませて、観客は知らないうちにサスペンス状態に放り込まれていたのでした。
もちろんフィル少年がパジャマ姿のまま夜の街を逃げ回る場面や大広間でベインズ・ジュリーと追いかけっこをする場面などの斜め構図や陰影の濃い映像も見どころではありました。その点ではジョルジュ・ベリナールのキャメラも良い仕事をしているといえます。しかし良いキャメラはよく出来た映画の必須条件みたいなものですので、グレアム・グリーンとキャロル・リードの偉業の前では、正直なところやや霞んでしまうのですよね。
そんなわけでキャロル・リードの映像マジックはフィルム映画時代の巨匠たちにしか実現できない映像表現でした。現代的には観客に想像させてサスペンスを感じさせるなんてことをやる映画は存在しません。すべてを過剰に見せて画面に映っているものを大袈裟に強調する映画が主流になってしまっていますから、映像は音やセリフと完全一致していて、純粋な映像だけで観客の気持ちをコントロールするようなテクニックはもう見ることはできなくなりました。それを考えると、グレアム・グリーンの脚本とキャロル・リードの映像演出は映画が観客の鑑賞眼を信じて、映像でトリックを仕掛けることが出来た時代にしか実現し得なかったのかもしれません。現代では潰えてしまった映像を遺産として楽しむことができる一本が、この『落ちた偶像』なのではないでしょうか。(U031424)
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