MASTERPIECE

昭和二十年以前

風の中の子供(昭和12年)

映像自体はレストアされていないバージョンで見たので鮮明さには欠けていたものの、本作がもっている映像の端正さというか瑞々しいまでの清廉さは本当に見事というしかなく、こんな傑作が今日的な映画批評の中で埋もれてしまっているのがもったいない気がしてなりません。
外国映画

ブリット(1968年)

刑事物ジャンルではトップクラスに入る出来栄えではないでしょうか。というのも本作のキモはその圧倒的なリアル感。演出もキャメラも演技も、すべてにおいてリアリティが強調されていて、見ていると現場にいるような没入感に浸ることができます。
外国映画

上流社会(1956年)

音楽・歌・演技・演出、それをとってもデラックスですし、映画全編が品格に満ちています。MGMの黄金時代を象徴する作品で、グレース・ケリーの美しさを堪能できる歴史的な映像遺産として、末永く残していきたいものですね。
日本映画

秋日和(昭和35年)

小津作品の中では最も喜劇性が高く、見ていてゲラゲラ笑ってしまいましたね。特に可笑しいのは岡田茉莉子と旧友三人組のやりとり。
日本映画

霧の旗(昭和40年)

山田洋次といえば「男はつらいよ」シリーズとイコールになるわけですが、シリーズ開始前は松竹でハナ肇を主役にした喜劇を専門にしていました。ところがどっこい、倍賞千恵子を主演にして松本清張作品の中でも異色ともいえるピカレスクロマンを映像化していたんですね。
日本映画

喜びも悲しみも幾歳月(昭和32年)

灯台守夫婦を佐田啓二と高峰秀子が清々しく演じていて、公開時には大ヒット。昭和32年は新東宝が放った『明治天皇と日露大戦争』が当時の記録を塗り替える配給収入を打ち立てた年ですが、松竹で製作・公開した本作もそれに次ぐ第二位のヒット作となりました。
1940年代

我等の生涯の最良の年(1946年)

作が製作されたのは太平洋戦争が終わった翌年の1946年。まさに大戦からの帰還兵が本国に戻った後、戦争で傷ついた心身をどう癒すか、あるいはどうやって定職を得るかなどが社会問題化していた時期でした。
外国映画

007ロシアより愛をこめて(1963年)

1962年に公開された第一作『007ドクター・ノオ』が大ヒットして、ショーン・コネリー=ジェームズ・ボンドによる007がシリーズ化されることになりました。監督は同じくテレンス・ヤング。第一作のややB級SFアクション的な作りからは一転して、本作は本格的なスパイ・アクション映画に仕上がっています。
日本映画

流れる(昭和31年)

この『流れる』は、もとは幸田文(幸田露伴の娘)の小説が原作で、幸田文が生計を立てるために芸者置屋の女中として住み込みで働いた自らの経験を書いたもの。映画でも芸者のリアルな生活が描かれていますが、なにしろ出てくる女優陣がものすごい顔ぶれで、こんなビッグネームを軽くさばくような演出ができてしまうのが成瀬巳喜男が尊敬されるゆえんかもしれません。
日本映画

彼岸花(昭和33年)

前年の『東京暮色』までずっとモノクロしか撮っていなかった小津監督による初めてのカラー作品。小津安二郎はトーキーが出てきたときも、サイレントにこだわってなかなか音に手を出しませんでしたが、『彼岸花』は「色」に手を出したことで、小津ワールドがより一層完璧なレベルで表現されています。基本的には、いつもの通り、嫁に行く行かないといった父と娘の物語なのですが、『彼岸花』では母親役の田中絹代がとってもよいアクセントになっています。
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