絶壁の彼方に(1950年)

アメリカ人医師が架空の国ヴォスニアで国家機密に関わってしまうサスペンス

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、シドニー・ギリアット監督の『絶壁の彼方に』です。シドニー・ギリアットはアルフレッド・ヒッチコック監督の『バルカン超特急』の脚本を書いた人で、ギリアットが第二次大戦中に温めていた原案を1950年に自ら映画化したのが本作です。主演を務めたダグラス・フェアバンクス・ジュニアは、サイレント期の大スターだったダグラス・フェアバンクスの息子。本作のために設定された架空の国ヴォスニアで、国家的な機密に関わってしまうアメリカ人医師を演じています。

【ご覧になる前に】本作のために開発されたヴォスニア語が現地で話されます

ヴォスニアの首都ではニヴァ将軍の登場を大群衆が待ち構えるのを各国のメディアが取材しています。その様子がラジオで流れる部屋では、軍服姿の軍人がシャツ姿の男にタバコをすすめ、そのドアから出ると銃撃されるが事故として扱われると告げます。男はアメリカ人医師マーロウで、ロンドンで勤務中にヴォスニア国からその手腕が認められ、表彰と公開手術のためにヴォスニアの首都に招かれることになりました。表彰式やパーティで歓迎された翌朝面会した患者を手術するマーロウでしたが、手術中に本当の患者がニヴァ将軍であることに気づくのでした…。

シドニー・ギリアットはロンドン大学を卒業し、イブニング・スタンダード紙の記者として働いた後に、映画スタジオに入りました。サイレント映画の字幕や俳優の仕事を経て、脚本家になり、1930年代にはイギリス映画を代表する脚本家のひとりとして認められます。アルフレッド・ヒッチコック監督の『バルカン超特急』(1938年)、キャロル・リード監督の『ミュンヘン行き夜行列車』(1940年)は、シドニー・ギリアットが盟友フランク・ロンダーと共同で脚本を書いた代表作でした。

第二次大戦の直前に読んだ新聞記事からシドニー・ギリアットはこの映画のアイディアを温めていて、ヒッチコック作品のような追われる男を主人公にしたスリラーにしようと考えました。大戦が終了して数年経過し、シドニー・ギリアットとフランク・ロンダーは共同製作でその原案を映画化することになり、1949年の8月から11月にかけて撮影が行われました。ギリアットはヴォスニア国のリアリティを出すためにできるだけ多くの場面をロケーション撮影したいと望み、イタリアのトレントとドロミテで8週間のロケ撮影が敢行されたそうです。

ヴォスニア国の人々が話す現地の言葉はヴォスニア語で統一されていて、この言語はわざわざ本作のためにロンドン言語学校の教師だったジョージナ・シールドによって考案されました。ドイツ語やロシア語のような雰囲気を持つヴォスニア語について、ヴォスニア人を演じる俳優たちは特別なレッスンを受けて撮影に入りました。

主人公のアメリカ人医師マーロウを演じるのは、ダグラス・フェアバンクス・ジュニアで、父親のダグラス・フェアバンクスはハリウッドのサイレント映画時代の大スターであり、チャールズ・チャップリンやメアリー・ピックフォードとともにユナイテッド・アーティスツ社を創設した人です。しかしジュニアが九歳のときに両親は離婚し、母親に育てられたジュニアは父親と同じ俳優の道に進みます。1935年にはイギリスにも進出して、映画や舞台で活躍したそうなので、ロンドンフィルム製作の本作に出演したのもそんなキャリアがあったからだったのかもしれません。

キャメラマンのロバート・クラスカーはデヴィッド・リーン監督の『逢びき』をはじめとして、キャロル・リード監督の『邪魔者は殺せ』(1947年)、『第三の男』(1949年)で撮影を担当しました。『第三の男』でアカデミー賞撮影賞(白黒部門)を受賞したのですが、監督賞・編集賞はノミネートだけに終わっていますので、『第三の男』がゲットしたアカデミー賞はロバート・クラスカーの撮影賞だけだったのです。本作以降はアメリカ・ヨーロッパで広くキャメラを回し、『夏の嵐』『空中ぶらんこ』『エル・シド』などカラー作品でも活躍することになります。

【ご覧になった後で】脚本が優れていて大逆転の終幕まで退屈せず楽しめます

いかがでしたか?マーロウ医師がヴォスニア国に招かれて、ニヴァ将軍の手術をすることになる序盤から、将軍の死を知ってしまったために国をあげての追跡のターゲットとなり、歌い手のリサと出会い、密売人テオドール(『ピンク・パンサー』シリーズでクルーゾー警部の上司役をやるハーバート・ロム)の助力で山岳地帯から国境を超えようとするクライマックスまで、退屈せずにストーリーに引きつけられました。

これはまったく脚本が巧いからでして、ヴォスニア国到着後に登場するガルコン大佐(前年に『落ちた偶像』の刑事役で映画デビューしたジャック・ホーキンス)が国家権力の中枢にいて、警察や大使館に手を回すことができる状況が伝わってくるので、マーロウの逃走が八方塞がりの危機状態であることがサスペンスを盛り上げます。床屋での上着の取り違えが後のテオドールにつながり、英語を話せるリサが通訳となる代わりにロープウェイで発見されるきっかけになるなど、伏線の張り方と回収が実にうまくハマっていますね。それがアメリカ的なアクションでグイグイと行くのではなく、イギリス映画っぽいユーモアというかゆとりを交えて進んでいくので、手に汗握るという風ではないのにハラハラもさせる本作独特の雰囲気が醸成されていました。

シドニー・ギリアットの演出は、サスペンス演出を細かく散りばめるところに妙味がありました。空港へと車で逃げるところは線路の踏切を荷馬車が塞ぎ、マーロウ医師が大使館に電話した公衆電話をすぐさま警察が取り囲みます。また劇場で並ぶマーロウを見つけた警察官はマーロウに似た別の男の尋問を始め、テオドールに案内されて乗船した船の検問を船長がやり過ごしてくれます。こうしたディテールの積み重ねが、本作全体のサスペンスの基調になっていて、途中で中だるみすることなく、クライマックスまで観客を引っ張っていきます。

しかしながらマーロウが捕まることは、冒頭のシーンで明らかになってしまっているので、山の絶壁を上るシーンはここらへんで捕らえられるんだろうなと予測ができてしまいます。変に回想形式を取り入れるよりも、ロンドンから話をスタートさせても良かったかもしれません。そのロンドンではキャメラがマーロウ医師の一人称視点になってウロウロしたりするので、余計な小技を利かせている感じがしましたね。シドニー・ギリアットは脚本家としての腕は確かですが、監督としてはショットに切れ味がありませんし、テンポの緩いサスペンスは味が出ているものの、ショック的な演出は皆無で、ロバート・クラスカーも『第三の男』ほどはキャメラマンとしての力量を発揮できなかったようでした。

本作と同年に公開されたリチャード・ブルックス監督、ケーリー・グラント主演のアメリカ映画『Crisis』という作品がありまして、その映画のプロットが本作とほとんど同じらしいです。アメリカ人医師夫妻がラテンアメリカを旅行中、その国の大統領の手術を執刀しなければならなくなるというシチュエーションのようで、どうやらシドニー・ギリアットの原案がなかなか映画化されなかったため、ハリウッドでそのアイディアが流布されて、別のスタジオがたまたま同時期に製作することになったんだとか。

ダグラス・フェアバンクス・ジュニアは剣戟映画を得意としていましたので、金髪に髭が特徴の男優さんでした。シドニー・ギリアットは、ジュニアを主演に起用したことが本作の唯一の失敗だったと思っていたようで、確かにジュニアだとちょっと冷たい感じが勝っていて、リサを演じたグリニス・ジョーンズと恋愛関係が深まるというニュアンスが足りませんでした。でもケーリー・グラントでは、二人が逃走するよりも恋に夢中になってしまいそうですし、失敗とまでは言えないかもしれません。

ちなみにシドニー・ギリアットは、独裁国家だったスペインあるいは共産主義国家になったユーゴスラヴィアをヴォスニア国のモデルにしていたらしいですね。その雰囲気を出すためにはロンドンのスタジオだけでは表現できなかったでしょう。ヴォスニア国の首都の場面が撮影されたトレントはイタリア北部の都市で、北へ行けばすぐオーストリアですから、イタリアとはいってもラテンっぽくない雰囲気がぴったりでした。山岳地帯の絶壁の追跡シーンはドロミテでのロケとスタジオセットをうまくつなげてある感じです。

終幕はニヴァ将軍が大衆の前で暗殺されたことで、死を隠す必要がなくなり、マーロウとリサが解放されるというハッピーエンドでした。マーロウのクローズアップに将軍を称える歓声がかぶさるショットで終わるのかと思っていたので、なんともうれしい大逆転でホッとした気分にさせられます。サスペンス・スリラーのエンディングはやっぱり明るくないと、後味が悪くなります。できれば山を案内してくれたシェルパも、銃で撃たれて落下したけど助かったことにしてもらいたかったですけどね。(A020125)

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