黄色いリボン(1949年)

ジョン・フォード監督による「騎兵隊三部作」の二番目となる西部劇です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ジョン・フォード監督の『黄色いリボン』です。ジョン・フォードは1939年に『駅馬車』を大ヒットさせた後、海軍に従事しながら戦記ものを撮っていましたが、1946年に『荒野の決闘』で西部劇づくりを再開し、1948年からは『アパッチ砦』に始まる「騎兵隊三部作」に着手しました。本作はその二番目に当たる作品で、三番目は『リオ・グランデの砦』です。ジョン・フォードは1939年の『モホークの太鼓』をカラーで撮っていましたが、西部劇でのカラー作品は本作がはじめて。モニュメントバレーの景色が色鮮やかなカラーで残されているのも本作の特色になっています。

【ご覧になる前に】41歳のジョン・ウェインが退役間近の大尉を演じます

スターク砦で騎兵隊を指揮するネイサン・ブリトルズ大尉は6日後に退役を迎えることになっていますが、シャイアン族の侵攻を防ぐとともに砦で暮らしていた隊長夫人と姪が東部に避難する旅に出るのを護衛する任務に出発します。姪のオリヴィアを巡ってブリトルズ配下の中尉と少尉は互いに張り合うのですが、ブリトルズはそんな若い二人が自分なきあとで騎兵隊を統率していかれるか気を揉みます。婦人たちを駅馬車に乗せる経由地が近づくと、シャイアン族がほかのインディアンたちと手を組んで大編成で迫ってきました。ブリトルズ大尉はタイラー軍曹に先遣隊を命じて、インディアンの襲撃に備えるのですが…。

主人公のブリトルズ大尉は60歳の老指揮官という設定で、ジョン・フォードも最初は誰を主役にするか決めかねていたそうです。『怒りの葡萄』や『荒野の決闘』でフォードファミリーの常連になっていたヘンリー・フォンダを起用する案もあったそうですが、ハワード・ホークス監督の『赤い河』でジョン・ウェインが若いモンゴメリー・クリフトの養父役をやるのを見て、ブリトルズ大尉役をジョン・ウェインにすることに決めたとか。当時41歳のジョン・ウェインはメイクアップアーティストとヘアスタイリストの力を借りて見事に退役間近の大尉を演じて、自らにとって『静かなる男』『捜索者』と並んでお気に入りの作品となったのでした。

ジョン・フォードがどこに行けば何を撮れるかをすべて把握していたといわれるモニュメントバレーが本作の撮影地でした。そのモニュメントバレーを見事にカラー映像に収めたキャメラマンがウィントン・C・ホック。本作でアカデミー賞撮影賞を獲得していますし、ジョン・フォード作品では『三人の名付親』『静かなる男』『捜索者』でも撮影監督をつとめています。

原題にもなっている「She Wore a Yellow Ribbon」は19世紀前半から歌われていたアメリカ民謡。「遠くに行ってしまった彼を想い、彼女は黄色いリボンを身につける」という歌詞の曲が、本作ではさまざまな場面で曲調を変えながらリピートされます。騎兵隊の制服はソルジャーブルーと呼ばれた青い上下に黄色いリボンでしたから、男女を結ぶリボンであると同時に騎兵隊そのものを表したタイトルだとも言えるでしょう。

【ご覧になった後で】ジョン・フォード特有の語り口の妙が味わえました

いかがでしたか?ブリトルズ大尉の任務は失敗に終わりますが、インディアンとの戦いでは互いに無駄な戦死者を出すことなく戦争そのものを回避することに成功し、ひとりカリフォルニアへと旅立っていきます。そんな展開なのでなかなか晴れやかな終わり方だなあと見ていたら、最後の最後にやっぱ必要なんで中佐に任命するから戻ってこいということになって、アメリカ人ってのは肩書とか名誉とか出世とかがとことん好きなんだなーと変に感心してしまうおまけがついていました。

まあそれはともかくとして、ジョン・フォード監督という人は決してテクニシャンではないのですが、いつのまにか観客を映画の中に引き込んでしまう語り口をもっていて、ストーリーテラーとしての腕前が超一流だったんだなとあらためて認識させられました。この語り口の妙がフォード映画の真骨頂なのかもしれません。

語り口とはストーリーそのものではなく、ストーリーをどのように映像化するかということなわけでして、その点で本作も脚本のうまさというよりはジョン・フォードの演出によるところが大なのでした。それはカッティングの緩急であったりショットの構図の並べ方であったり俳優の演技の切り取り方であったりするので、なかなかこれだと言いにくいのですが、映画全体を眺めると確かに手綱を握って自在に映画をハンドリングしているのはジョン・フォード監督なのです。強いて言えばブリトルズ大尉の部屋。三回くらいこの場面がリピートされますがいつも同じ角度から撮った同じ構図の絵が出てきます。そして部屋から外に出るのも同じ。けれど退役の日には外に出てからブリトルズ大尉の視点が変わって、中庭に毅然と隊列を組む部下たちが見えてきます。繰り返し同じパターンを見せておいて、いざというときに見せたいショットをより印象的に見せるという仕掛けがしてあるわけなんですね。

さらに緩急は、冒頭でいえば荒野を疾走する駅馬車。馭者不在のまま暴走する馬車をものすごいスピードでトラックバックする移動撮影で映す急変ぶりが映画を一気に引き締めます。逆に夕闇迫るモニュメントバレーを岩山のシルエットでとらえながら、そこに騎兵隊のラッパが鳴り響いてテンポを緩やかにダウンさせます。そのようにしてジョン・フォード監督が自在にタクトを振り、俳優やスタッフがそれに合わせて一糸乱れず映画の中にイメージを焼き付けていくような、そんな語り口が実に見事でした。

加えて印象的なのは動物の使い方。バッファローの群れに出会う場面は西部の雄大さを伝えてくれますし、インディアンの馬を一斉に爆走させるショットは疾走感があってダイナミックでした。この場面は月明りの中に土埃りが上がるのを疑似夜景で撮影している効果もあいまってポエティックにも感じられました。西部劇においては馬も俳優と同じくらいに重要な役回りなんですね。

一方で呑兵衛のクインキャノン曹長が営倉送りになる殴り合いのシークエンスは緩急をつける効果もなく、単なる無駄な場面にしか見えずに残念でした。ジョン・フォード作品には必ず男同士の殴り合いを入れないとダメだみたいな思い込みがあったんでしょうか。あそこだけは見ていて全く面白くもなんともありませんでしたね。

蛇足かもしれませんが、ジョン・フォードの映画はインディアンの描き方が旧弊だという意見もあるようです。でも本作の撮影にはかなりの大人数のインディアンが協力しなければ実現できなかったと思われますし、ブリトルズ大尉が自らインディアンの族長に休戦を申し入れに行く場面などは互いに戦い合う相手への敬意と対等の立場が表現されていたように思います。いろんな見方があるとはいうものの、本作は結構フェアな態度だったのではないでしょうか。

ちなみにインディアンの呼び方もいろいろな歴史的経緯を踏まえたうえで、現在ではインディアンで良いではないかという意見が多いようです。ネイティヴアメリカンなんて呼んでもそもそもアメリカという国名自体がイタリアの探検家の名前に由来していたりするので、どのように呼んでも白人臭は消せないらしいですね。ここらへんは勉強不足ですので深入りしないでおこうと思います。(V052522)

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