パピヨン(1973年)

無実の罪で終身刑になったアンリ・シャリエールの自伝小説の映画化作品です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、フランクリン・J・シャフナー監督の『パピヨン』です。原作はアンリ・シャリエールが1969年に発表した自伝小説で、二十五歳のときに殺人容疑で終身刑を宣告され仏領ギアナに流刑となった半生を描いた物語でした。映画化にあたってはスティーヴ・マックイーンとダスティン・ホフマンの二大スターの共演が目玉となり、1973年の全世界興行成績では第6位となる大ヒットを記録。ジェリー・ゴールドスミスの音楽はアカデミー賞作曲賞にノミネートされました。

【ご覧になる前に】脚本はハリウッド・テンのひとりダルトン・トランボです

フランスの港町では大勢の群衆が立ち尽くす通りを囚人たちが列を作って歩いています。輸送船に乗せられた囚人のひとりパピヨンは、偽札づくりの名人で度の強い眼鏡をかけているドガに近づき、コンビを組むことを提案します。仏領ギアナに到着した二人を待ち受けていたのは沼地で木材を運搬する強制労働で、パピヨンは札束で蝶の採集家を買収してボートを手配させます。しかし脱獄に失敗したパピヨンには2年間の独房入りの刑罰が下るのでした…。

アンリ・シャリエールが書いた原作は、当時全世界で1000万部を売る大ベストセラーになっていて、日本でも1971年に少年マガジン誌で江波譲二が描いたマンガが連載されたほどでした。マンガにおいても、アルミニウム製の親指大の筒に札束を格納して肛門に隠し持つという手口が詳細に紹介されていました。少年マガジンを読んで真似をした子供たちがお尻から血を流したという事件の記録は残っていませんが、たぶん現在ならSNSで多くの流血事例が報告されたに違いありません。

アンリ・シャリエールが送られた仏領ギアナは南米大陸の北東に位置するフランスの海外県で、北海道ほどの面積しかありません。3つの郡のうちのひとつがサンローラン・デュ・マニ郡で、その沖合いに浮かぶロワイヤル島、サンジョゼフ島、悪魔島が1952年まで囚人たちの流刑地として使用されていたそうです。14年間の服役生活を経て釈放されたシャリエールはベネズエラで市民権を得て、小説を執筆。本作のほかには1971年に映画化された『太陽の200万ドル』の原作・脚本を担当し、クラウディア・カルディナーレを相手役として出演もこなしています。

シャリエールの原作を脚色したのはダルトン・トランボで、第二次大戦後の赤狩りでハリウッドを追放された「ハリウッド・テン」のひとりでした。1950年にケンタッキー州の連邦刑務所で1年弱服役したトランボは、メキシコに渡って偽名で脚本の仕事を続け、1953年にはイアン・マクレラン・ハンター名義で『ローマの休日』の脚本を書き上げています。1954年にアメリカに戻ったもののダルトン・トランボの本名を名乗ることはできず、1956年にロバート・リッチ名義で書いた『黒い牡牛』がアカデミー賞原案賞を受賞した際も受賞会場に「ロバート・リッチ」なる人物が現れることはありませんでした。この事件をきっかけに『スパルタカス』『栄光への脱出』などがダルトン・トランボの脚本であることが公表されるようになり、『パピヨン』では誰にも隠すことなくダルトン・トランボの名前がクレジットされています。

製作者のロベール・ドルフマンは1971年には『レッド・サン』でチャールズ・ブロンソン、アラン・ドロン、三船敏郎の三大スターを、1972年には『リスボン特急』でアラン・ドロンとカトリーヌ・ドヌーヴを共演させた実績の持ち主。この『パピヨン』でも同様にスティーヴ・マックイーンとダスティン・ホフマンの二人を共演させることに成功していますが、出演料は1960年代からトップスターだったマックイーンは200万ドル、ニューシネマとともにビッグスターになったホフマンは125万ドルだったそうです。

監督のフランクリン・J・シャフナーはTVドラマのディレクター出身でオリジナル版『十二人の怒れる男』でエミー賞を獲得した人。ハリウッドに招かれてからは『猿の惑星』『パットン大戦車軍団』などの大作でメガホンを取り、本作以降では『ブラジルから来た少年』が有名です。また音楽のジェリー・ゴールドスミスは「電撃フリントシリーズ」などで売り出して、シャフナー監督作品に楽曲を提供してきました。本作をはじめアカデミー賞に18回もノミネートされ、1976年に『オーメン』で見事アカデミー賞作曲賞を受賞しています。

【ご覧になった後で】脱獄アクションというよりも自由を渇望する男のドラマ

いかがでしたか?1974年に日本でロードショー公開されたときに見て以来の再見で、当時映画館で買ったパンフレットを本棚の奥から引っ張り出してしみじみ眺めてしまいました。当時は『大脱走』がTVで放映されたばかりの頃で、スティーヴ・マックイーンの大ファンだったこともあり、『パピヨン』もまた『大脱走』と同じような脱獄アクションものだと思って期待して見に行った記憶があります。しかしながら本作はアクション映画というにはあまりに暗いトーンに覆われていて、脱獄というよりは奪われてしまった自由を取り返そうと渇望するひとりの男の不屈の人生譚なのでありました。たぶんどんよりした印象で映画館を出た中学生の頃と全く同じ気分の読後感に陥りましたし、マックイーンの出演作の中では演技派としてのマックイーンが最も際立った作品だと思います。

どんよりしてしまう一番の要因は脱獄して自由を掴むという開放感ではなく、捕まって再び牢獄に収監される閉塞感のほうがはるかに支配的だからです。映画の中でパピヨンことマックイーンは二度脱獄を試み、一度目は蝶の採集家の罠にはまり、二度目は先住民との穏やかな暮らしを経た後に修道院の尼僧に密告されて捕獲されてしまいます。特に最初の失敗のあとのサンジョゼフ島での独房生活はしつこいくらいの執拗さで食と光を奪われる過酷な環境が描写され、2年間の長さを感じさせるためなんでしょうけど吸血コウモリに血を吸われたり、ゴキブリやムカデをスープに混ぜて食べたりとむごたらしい日々を延々見せていきます。ここでのマックイーンは鬼気迫るくらいのリアルさで独房で囚われる非人間的な残虐刑を表現していて、次第に目が異常なくらいに見開かれ、口元を皺だらけにして生気が失われていく様には凄まじいくらいのリアリティがありました。こういうマックイーンはヒロイックな他の主演作では見ることはできませんので、マックイーンファンにとっては見逃せないというか目を離してはいけない作品なのかもしれません。

けれどもいくらマックイーンの演技が目を見張るものがあったとしても、この調子で2時間半の長尺を耐えろと言うのもちょっと無理があるように思います。途中で挿入される砂漠の裁判シーンもフランスの街を車で凱旋する幻想シーンも虚しさばかりが強調されてしまい、鬱屈した印象に変わりはないですし、先住民と暮らすほぼ無声のシークエンスも安心感ではなく不安感が先行してしまい、表面的に平穏なだけできっと捕まってしまうんだろうなという展開が見えてしまいます。マックイーンの頭髪が真っ白になり、足を引きずって歩くようになる悪魔島で、家庭菜園を営むドガと行き来するところでやっとホッと一息つくという感じで、もう逃げなくてもこのままでいいじゃんと思うくらい抑圧された時間が続くので、見ているのが正直ツライ映画でありました。

ダスティン・ホフマンは分厚いレンズの眼鏡で表情がわからないこともあり、マックイーンの存在感に比べるとやや見せ場が少なかったように思います。そもそもなぜパピヨンがドガを守らなければならないのか、ドガのことを密告しないのはなぜなのかがあまり観客に伝わってこないので、男性同士の恋愛関係でなければそこまで義理立てしないだろうと感じられてしまいます。固い友情で結ばれるプロセスが抜けているので、ここらへんはダルトン・トランボの脚本の弱さかもしれません。それにしても発音上は明らかに「デガ」と言っているのに日本語字幕が「ドガ」で押し通されるのは原作本の訳し方がそうだからだったんでしょうか。あるいはフランス語の発音は「ドガ」で英語読みすると「デガ」になるんでしょうか。見ていて気になってしまいました。

フランクリン・J・シャフナーは牢獄での光の表現が冴えていて、一筋の光の中でマックイーンの顔が浮かび上がる映像は凄みを感じさせるものがありました。またジャマイカにセットを作ったというサンジョゼフ島の独房の場面で、キャメラが廊下をトラックバックしてクレーンで俯瞰になり、鉄格子の天井越しに独房に入るマックイーンをとらえる移動ショットは本作の中でも非常に優れた映像表現でした。キャメラマンのフレッド・J・コーネカンプは『パットン大戦車軍団』でフランクリン・J・シャフナーと組んでいて、本作の次にマックイーンが主演した『タワーリング・インフェルノ』ではアカデミー賞撮影賞を受賞することになります。セットでのキャメラとともにジャングルを逃げる場面や断崖から川に落ちるスローモーション撮影などが見どころになっていましたね。

ジェリー・ゴールドスミスの作曲したテーマ曲は映画音楽のスタンダードになっていますが、本作では最後の悪魔島まで流されることはなく、パピヨンとドガの再会シーンでメインモチーフをちょっとだけ聞くことができる程度だったのは意外でした。そもそも本作はきわめて音楽の使い方が抑えられていて、映画がはじまってほぼ45分くらいは音楽なしで進みます。廃墟になった刑務所を映し出すエンディングもテーマ曲ではなく、不安感を醸し出すマイナーな曲での終幕となるので、音においてもほとんど救いようのない印象だけが残る感じでした。

そしてココナッツの実をボートに仕立ててやっとのことでパピヨンが大海に浮かんでいくラストシーン。映像的にはこのまま海で死んでしまうように感じられますが、ナレーションでパピヨンが無事に刑期を終えて自由になったことが伝えられます。本作の中で唯一希望を感じさせる重要なラストシーンであるにもかかわらず、マックイーンが横たわるボートの下に海面越しにダイバーがいるのがくっきりと画面に映っていて、要するにマックイーンの安全を確保するためにボードがひっくり返ったりしないよう補佐する潜水要員という裏の仕掛けが丸見えになってしまっているのです。この失敗テイクは結構有名らしく、本作がその後リバイバル上映されたりデジタル化されたりしても、一切修正されずダイバーの姿を隠そうとしない姿勢が逆に評価されているようで、確かにデジタル技術を使えばすぐにでもダイバーの姿を消して海面の映像に変えるのは簡単なことです。現在なら海で撮影しなくてもVFXの技術で海に浮かぶマックイーンなんてデジタルで作ってしまえるでしょうから、アナログ撮影での失敗がいつまでも残されていることのほうが価値があるのかもしれません。それにしても2時間半抑圧され続けてやっと大海原に解き放たれた気分だった観客としては、どっちらけの気分で終幕を迎えることになり残念至極というのが正直なところでした。(T070925)

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