日本映画

新幹線大爆破(昭和50年)

新幹線を爆破するという犯人を主人公にした本作は、日本国内では不入りに終わったものの、海外のバイヤーたちから注目を集め、本編を3分の1カットした100分の短縮版はフランスをはじめ世界各国でヒットを記録しました。
日本映画

夜の鼓(昭和33年)

近松門左衛門といえば江戸中期(西暦1700年前後)に人形浄瑠璃・歌舞伎の作者として活躍した偉大な戯曲家ですが、近松が書いた「堀川波鼓」(ほりかわなみのつづみ)という三段の世話物を映画化したのが本作です。
外国映画

太陽の下の18才(1963年)

1960年代から70年代にかけて恋愛を求める若者たちグループを描く青春映画というジャンルがさかんになり、アメリカ映画でいえば『アメリカン・グラフィティ』が代表作ともいえますが、本作はそうした青春映画の嚆矢ともいえるような古典的な青春リソート映画です。
外国映画

大いなる勇者(1972年)

原作は「Crow killer」と「Mountain Man」という二つの小説で、町を離れてロッキー山脈の険しい山に入り狩りをして暮らす男を描いた雄大な西部劇です。西部劇とはいってもガンマンはひとりも出てこないので冒険ドラマといったほうが適切かもしれません。
日本映画

白い巨塔(昭和41年)

小説「白い巨塔」は大学病院や医学界の内幕を赤裸々に描いて評判を呼び、昭和40年には新潮社から単行本も刊行されました。翌年その小説を映画化したのが経営危機に瀕していた大映で、山本薩夫監督にとっても代表作となりました。
日本映画

不良少年(昭和36年)

羽仁進が設立に加わった岩波映画製作所は記録映画を専門に作っていましたが、本作は岩波映画製作所にとっても羽仁進にとっても初めての劇映画です。登場するのは非行経験のある少年たちでもちろん演技経験のない素人ばかりです。
日本映画

銀嶺の果て(昭和22年)

学生時代から登山が趣味だった谷口千吉のために黒澤明が冬の北アルプスを銀行強盗三人組が逃走する脚本を書き上げ、谷口千吉にとっての実質的な監督デビュー作となりました。同時に東宝ニューフェイスの一期生として東宝に入社した三船敏郎の初出演作にもなっています。
日本映画

原爆の子(昭和27年)

広島で原爆に遭った少年少女たちによる手記を集めた「原爆の子」を近代映画協会と日教組が映画化に取り組んだのですが、新藤兼人が書いた脚本に文句をつけた日教組が離脱して、近代映画協会が劇団民藝と共同で自主製作することになりました。
昭和二十年以前

乙女ごころ三人姉妹(昭和10年)

成瀬巳喜男が独自のトーキー技術を開発したPCLに移籍して初めて監督したのが本作で、松竹ではサイレント映画しか作れなかった成瀬巳喜男はやっとのことでトーキーを手に入れることができたのでした。
日本映画

肉弾(昭和43年)

日本アート・シアター・ギルド(ATG)独立プロダクションと製作費を折半することで低予算映画を製作するようになりました。本作はその初期の一本で岡本喜八の脚本を映画化しようとみね子夫人が自宅を抵当に入れて捻出したお金が製作費に費やされました。
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