女は二度生まれる(昭和36年)

川島雄三監督の大映作品で若尾文子が小えんという芸者を演じています

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、川島雄三監督の『女は二度生まれる』です。松竹出身の川島雄三は日活へ移り、さらに東宝系製作会社の東京映画に移籍しました。その東京映画在籍中に大映に出向いて若尾文子主演の映画を三本撮っているのですが、この『女は二度生まれる』はそのうちのひとつ。若尾文子が小えんという芸者を演じていて、芸ではなく身体を売る芸者という設定です。小えんがさまざまな男たちと関係する姿が、花街や夜の街で暮らす女性の生態とともに描かれています。

【ご覧になる前に】靖国神社の太鼓の音が聞こえる花街が舞台になっています

芸者の小えんは宴席の後に別室で客と二人きりになっています。相手は建築家の筒井という中年男でいきなり響いた大音響に驚きますが、それは靖国神社が鳴らす太鼓の音でした。芸者たちは昼間は近くの銭湯で汗を流していて、その帰り道にすれ違った学生のことを小えんは気に入っています。その夜の座敷で常連客が連れてきた男は寿司屋の板前をしている文夫と名乗って、将来自分の店を持つためにコツコツとお金を貯めているという話を聞きます。文夫にも興味をもつ小えんですが、パパさんと呼んでいるなじみ客の矢島の車で温泉宿まで連れていかれたのに、いきなり矢島は別の女と箱根に出かけてしまいました。売春の疑いをかけられた芸者置屋が営業停止処分となり、バーで働くようになった小えんが久しぶりに再会したのは建築家の筒井でした…。

松竹で助監督をしていた川島雄三は戦時中に徴兵で監督の頭数が足りなくなったときに、撮影所で行われた監督昇格試験にトップ合格して『還って来た男』で監督デビューしました。プログラムピクチャーを量産する松竹では飽き足らず、映画製作を再開して競合各社から人材を引き抜いていた日活に移籍して、夜の女を主人公にした『洲崎パラダイス 赤信号』や新感覚の時代劇『幕末太陽傳』などの傑作を発表します。日活での活動を三年間で見限って東京映画に籍を移した川島雄三のもとに、五社協定がありながら他社人材をうまく使う大映から声がかかり、若尾文子主演の映画を製作することになりました。それがこの『女は二度生まれる』で、大映にその演出力が気に入られたのか、川島雄三はこの後にも『雁の寺』『しとやかな獣』と一年半の間に三本の映画を大映で作ることになったのでした。

原作は富田常雄の「小えん日記」で、富田常雄は黒澤明のデビュー作である『姿三四郎』の原作者でもあります。昭和24年に直木賞を獲得すると、次々に作品を発表してそのほとんどがベストセラーになったのだとか。現在的にはほとんど忘れられた作家のひとりですが、娯楽の少ない当時においては簡単に読める大衆小説を時流に合わせてうまく書くことのできる小説作法をもっていたのでしょう。その原作を脚色したのは井手俊郎と川島雄三の二人で、井手俊郎は『洲崎パラダイス 赤信号』で川島雄三作品にシナリオを提供したことがありました。キャメラマンの村井博は『からっ風野郎』や『好色一代男』で増村保造監督と組んだ人。川島雄三とはこの後の『雁の寺』でもキャメラマンとして仕事を一緒にすることになります。

主演の若尾文子は増村保造監督への出演作が20本にのぼり、若尾文子といえば増村保造の映画というイメージが強いのですが、川島雄三が大映に出向いて撮った三作品はすべて若尾文子主演で、数では増村保造に負けるものの川島雄三監督と若尾文子のコンビもまた大きく若尾文子のキャリアに影響したのでした。本作では若尾文子演じる小えんがいろいろな男と交渉を重ねる姿が描かれますが、その男優陣もバラエティに溢れていて、筒井役の山村聰は早くから「現代ぷろだくしょん」という独立プロを設立したり、自ら監督したりと俳優の枠にとどまらずに活躍した人。英語も堪能だったので本作の三年前にはジョン・ヒューストン監督の『黒船』に出演しています。また文夫役のフランキー堺は東宝所属でしたが、本作のためにわざわざ東宝から招いて出演させたのはたぶん川島雄三だったのでしょう。東京映画では『貸間あり』や『赤坂の姉妹 夜の肌』でフランキー堺を起用していたので川島雄三一家の一員のようなものだったのかもしれません。そのほかには常に脇で力を発揮する山茶花究と上田吉二郎が個性的な演技を見せてくれています。

【ご覧になった後で】一所にとどまれない女性を演じる若尾文子が魅力的です

いかがでしたか?小えんという芸者は一所にとどまれない女性の典型で、一夜限りの付き合いをいろんな男性と交わすのですが、まともにつきあったり恋心をもったりするのも同じように一所にとどまることなく、浮き草のようにフラフラと流れていってしまいます。筒井という頼りになる男性に囲われていながら街でひっかけた若い工員を誘って昼間から連れ込み宿に入ったり、筒井に深く感謝しているかと思えば思い出の時計を簡単に手放したりします。普通ならばこのような移り気なキャラクターにはなかなか感情移入しにくいものですが、若尾文子がやるといつのまにかこの小えんという芸者を応援したくなってきてしまうんですよね。男たちの間をぬらりくらりとすり抜けながら、泣いたり笑ったりしつつ、でも最終的には一番たくましく生きている。そんなある意味で強い女性を身近に感じられるように若尾文子が造形していて、ちょっと不思議な感覚に陥るような映画でした。

それにしても川島雄三の演出は全く構えることなく流れるような語り口で、決してテクニックを前面に出すわけではないのですが、どこも破綻することなくスラスラと映画を進めて登場人物たちを動かしていきます。もちろん『しとやかな獣』のような映像作家としての才気があふれる作品も素晴らしいのですが、本作のような監督の存在感を消したような物語をきっちり見せていく演出も見ていて本当に気持ちがよくなるくらいでした。基本的にはほとんどがフィックスショットで組み立てられていまして、そのサイズの選び方が完璧なんでしょうね。置屋の小道をロングで撮って、芸者たちのミディアムショットに行ってから、部屋の中で小えんのバストショットになるとか。サイズの組み合わせでテンポが出てくるというか省略と強調が利いてくるというか、なんだかマンガでいうところのコマ割りがうまいというような感じでしょうかね。これが川島雄三の映画術なのかもしれません。

若尾文子がうまいのは、小えんがそのときそのときの瞬間には本当に真実誠実な女性に見えるところです。人を騙すとか嘘をつくとかそういう下卑たところはひとつもなく、心の底から男に甘えている心根が伝わってきて、例えば入院している山村聰に買ってきたお寿司を食べさせてあげるところなんか、自然に「食べる?」なんて箸でつまんであげたりして本当にうまいですよね。でもそれが別の場所になるとまた別の男に正直な気持ちを向けてしまって、普通に考えれば淫乱女というように捉えられてしまうところですが、一所にとどまらないのがこの小えんという女性の本当の姿なんだなと逆に納得させられてしまいます。ネコのことを悪く言う人がいないのと同じで、本作の小えんは本心の赴くままに生きている自由人のひとつの形なのかもしれません。

男優たちもみんなうまいのですが、中でも感心してしまったのが筒井が棟梁として信頼している櫻田をやった潮万太郎。この人の電話のかけ方とか山村聰への仕え方とか若尾文子への言い寄り方とかが、もう本当にこの櫻田という人物が実在するんではないかと思わされるほどのリアリティがありました。こういう俳優が当たり前に脇を固めていたことにあらためて感心してしまいます。潮万太郎はサイレント映画時代から花房綾夫という名前で俳優をやりはじめて日活で活躍した後、戦後には大映で100本近い作品に出演しています。小津安二郎が大映で撮った『浮草』にも出ていたらしいのですが、旅芸人一座の誰かだったんでしょうか。今後はちょっと注目して見ていきたいと思います。

ついでですが、本作の冒頭に山村聰が太鼓の音にびっくりする場面が出てきます。現在的には靖国神社の拝殿にある大太鼓は靖国神社の開門である午前6時に21回打ち鳴らされることになっていて、その太鼓を合図にして神門が開かれるそうです。なぜ21回なのかというと、周辺地域への響き方や音の余韻などを考慮して時報の意味を含めて設定されたということですが、本作では午前5時という設定でした。まあ朝の5時にドンドンとやられたら周辺住民はたまったもんじゃないですから、1時間ズラしたのかもしれません。ちなみに本作に登場する花街はかつては三番町と呼ばれた九段南にありました。ちょうど靖国神社南門から靖国通りを渡った対面あたりで、昭和30年代にはそこで芸者衆がよく通う銭湯が二軒営業していて、女湯ばかりが繁盛したといわれています。そこから少し東に行けば九段会館がありますので、アルバイトで三番町を抜けて九段会館に通っていた藤巻潤は法政大学の学生という設定だったのでしょうか。花街は昭和の末頃には廃れてしまい、現在の九段南はオフィスビルやマンションが立ち並ぶ普通の都心の一角になっています。(A091522)

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