女(昭和23年)

木下恵介が脚本・監督した登場人物が水戸光子と小沢栄太郎の二人だけのお話

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、木下恵介監督の『女』です。木下恵介は戦後松竹に復帰すると昭和21年の『大曾根家の朝』を皮切りに次々に新作を発表していきます。本作は昭和23年4月公開作品ですが、同年7月に『肖像』、11月に『破戒』を発表し、この三作品によって毎日映画コンクール監督賞を獲得しています。本作は東京のダンスホールから始まって箱根、小田原、真鶴、熱海と場所が西に移動するロードムービー仕立てになっていて、登場するのは水戸光子と小沢栄太郎の二人だけ。それでも木下恵介の実験的な演出とダイナミックなクライマックスが見どころとなっています。

【ご覧になる前に】冒頭のレビューシーンでは松竹歌劇団(SKD)が踊ります

レビューにダンサーとして出演している敏子のもとに旅行鞄を抱えた正がやってきて、明日箱根の駅で待っているから必ず来いと言って去っていきます。レビューを一晩休むことにして電車に乗った敏子は乗り換えの駅で正がつるんでいた男たちを見かけますが、箱根湯本駅で待っていた正は一緒に浜松に行って二人で一旗あげようと敏子を誘います。新聞に三人組の強盗が現金強奪をして警官がピストルを撃ったという記事を目にした敏子は、片足に怪我をして引きずって歩く正のことをその犯人ではないかと思いつつ電車に乗りましたが、思わず真鶴の駅で飛び降りてしまうのでした…。

木下恵介はホンも書ける監督というか、自分の書いた脚本を監督することを基本としていました。戦時中の『陸軍』は火野葦平が書いた原作を池田忠雄が脚色したものでしたし、戦後の『大曾根家の朝』は久板栄二郎の脚本でしたから、その後の木下恵介にとって脚本・監督を両方とも自分で担当したのは『わが恋せし乙女』『不死鳥』に続いて本作で三本目でした。落ちぶれた男女が東京を離れて浜松で何か仕事を始めようという設定も、木下恵介の生まれ故郷で実家があったのが浜松だったからでしょう。でもそれ以上に映画の製作資金も少なくスタジオセットを作る予算もない戦後混乱期の松竹にあって、登場人物を男女二人だけにしてオールロケーションで撮影できるロードムービーにしたところが、木下恵介の企画マンとしての腕の見せどころで、制約条件の中で優れた映画を作ってしまうのも木下恵介の才能でもあったのでした。

キャメラマンの楠田浩之のほか、音楽木下忠司、編集杉原よしなどその後の傑作の数々を支える木下組が本作でも集結しています。それにしても『女』というタイトルには周囲のスタッフや松竹幹部の中で異論を唱える人はいなかったんでしょうか。内容的にも女性だけに焦点を絞ったお話ではありませんし、何よりほかのどんな映画にも使えてしまえる単刀直入な漢字一文字のタイトルなので、公開後に本作がどのように扱われるかを考えなかったのでしょうか。でもまあ現在でも「女 映画」でネット検索をすると本作の情報が出てくるわけですから、あまりにシンプルなタイトルゆえに本作以降ではどこの誰も「女」という一文字タイトルを使用したことはないようです。その意味では木下恵介の作戦勝ちともいえるかもしれません。

主演は水戸光子で相手役を小沢栄太郎が演じています。水戸光子は昭和14年の『暖流』で高峰三枝子の友人役のもうひとりの主役に抜擢されてブレークしたのですが、昭和20年に森川信と結婚して一時は女優を引退したものの、結婚生活がうまく行かず翌年には離婚して映画界に復帰したところでした。木下恵介の初監督作品『花咲く港』にも出演していましたから、本作を作るにあたっては主人公敏子役は水戸光子で行こうという心づもりが木下恵介にあったのかもしれません。一方の小沢栄太郎も『花咲く港』に主演していて、ほとんどの出演作で脇役をつとめていた小沢栄太郎を本作で水戸光子の相手役にもってきたのは、女を絶望させるようなやくざなダメ男を演じさせるのなら小沢栄太郎しかいないということで指名されたのでしょう。

本作は当時の国鉄の駅や列車が映像に残されたという点では、鉄道マニア的には大変貴重なフィルムともいえるのでしょうし、GHQ占領下の当時の風俗が記録されていることも大いに価値があると思われます。たとえば小田原駅の駅名表示は「ODAWARA」と英語で大きく書かれていますし、その下に小さく「おだはら」と表示されています。また箱根湯本駅ではホームの地下をくぐる真っ暗な地下道まで映っていますし、昭和23年当時の東海道線がすでに蒸気機関車ではなく電車になっていたこともわかります。ロケーション撮影された映画というのは映像アーカイヴの面で記録映画的な価値があるので、本作がオールロケで撮られたのは製作費節約のためであったとはいえ、現在的には非常に貴重な映像を残してくれたことになったのでした。

【ご覧になった後で】木下恵介の演出が異様な迫力で熱海の場面は圧巻でした

いかがでしたか?上映時間が1時間7分しかありませんし、クレジットでも俳優の名前は二人しか出てこないので、貧弱な内容の映画なのかなと思わされるのですが、実はさにあらずで全編にわたって木下恵介の映像演出がこれでもかこれでもかと持てる技をあらん限り出し尽くすような異様な迫力を持っていました。『カルメン純情す』で実験的に使われたはずの斜め構図は本作でもうかなり多用されていますし、二人しかいない登場人物の切り取り方も実に多彩で、中でも仰角でとらえた顔のクローズアップは俳優の内部までえぐりとろうとするような重厚さがありました。さらにカッティングが非常に短く、テンポが良いというよりは映画自体がなんだかなにかに追われているような切迫感にあふれていて、息切れしてくるような雰囲気になるんですよね。

お話は普通に幸せを望む純情な女と不幸だから犯罪を犯してもよいと考える自堕落な男が別れるかくっつくかを繰り返すだけなので、ちょっと中だるみするような気配があるものの、そこはロードムービー仕立てなので、駅、電車、駅からの田舎道、小学校を見下ろす高台、トラックの荷台とシーン設定が次々と移り変わるので飽きずに見られてしまいます。加えて木下忠司の音楽がまさに劇伴としてのBGMになっていて、登場人物がセリフをしゃべらなくても感情表現を音楽がやってくれるので、非常にわかりやすく伝わりやすい作りになっていました。木下恵介のクローズアップを多用するモンタージュと木下忠司の過剰な音楽の組み合わせは、楽団音楽付きのサイレント映画を見ているのかと勘違いしそうになってしまうくらいで、確かに小沢栄太郎の「愛しているんだよ」みたいなセリフは字幕で出した方が臭みが減って良かったような気もしますね。

というように見ていたら、なんとクライマックスの熱海の場面が圧倒的迫力で作られていて、本当に製作費を節約できたんだろうかと心配になるほどの熱海の町をあげての大掛かりなモブシーンになっていました。旅館が火事になり、人々が坂を下りて走ってきて、店主がいなくなった宝飾店で小沢栄太郎は盗みを働きます。それを見て水戸光子はもうこの男にはついていけないと逃げ出して、それを小沢栄太郎が執拗に追いかけるという展開ですね。坂の下から煙があがったりはしますが、それはスモークを焚けばいいわけで、たまにインサートされる火事の映像はどこかの記録映像をもってきたんだろうと思って見ていました。要するに火事で騒ぐエキストラを集めれば撮れる絵ではないかと。

しかしこれはとんでもハップンで、火事になった旅館に消防車がホースで放水しているのを映すショットがなんとドリーバックを始めるではありませんか。そして隣の旅館からは二階・三階から布団類を外に投げ飛ばすのが映り、道路には這うような長い放水ホースが横たわっているのが見えます。すなわちなんとこの熱海の火事の場面はすべて本作用にオールロケでリアルに撮影されていたのですよ。これは本当に驚いてしまって、しかも小沢栄太郎は警官や消防隊員に囲まれて放水でびしょ濡れになって捕らえられるという結末を迎えます。

この火事の場面は黒澤明から絶賛されたそうで、黒澤明は本作と同じ昭和23年4月の月末に『酔いどれ天使』を公開していますから、たぶん『酔いどれ天使』を完成させた直後にこの『女』を見たのではないでしょうか。『酔いどれ天使』は三船敏郎が白ペンキに染まりながら殺される場面があまりにも有名ですが、びしょ濡れになって火事の最中に捕まる小沢栄太郎は、ちょっと『酔いどれ天使』の三船敏郎を思い起こさせるものがありました。黒澤と木下恵介は監督デビューが同じ年だったということで互いに盟友のような関係になり、木下恵介の次作『肖像』は黒澤明が脚本を書いています。巨匠同志はやっぱり相通じるものがあるんでしょうね。(U072623)

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