日本の夜と霧(昭和35年)

60年安保闘争の四ヶ月後に公開されてその四日目に上映中止になった作品です

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、大島渚監督の『日本の夜と霧』です。本作は昭和35年(1960年)に新安保条約成立を巡って起きたいわゆる「60年安保闘争」をテーマにしていて、松竹という日本映画界においてメジャーな映画会社が政治問題を真正面から扱った異例の作品です。しかも新安保条約が成立した昭和35年6月19日から四か月弱しか経っていない10月に公開されたのですから、非常にホットな題材を鮮度の高い時期に全国松竹系映画館で上映したことになります。ところが内容があまりに政治寄りでかつ難解だったため公開四日目に上映中止となってしまいました。大島渚監督は現場の了解なく一方的に上映を中止した会社に反発して翌年松竹を退社し、独立プロダクションを立ち上げることになったのでした。

【ご覧になる前に】学生運動の同志たちが結婚式で過去を暴き合うお話です

宇田川助教授夫妻の媒酌によって結婚式を挙げているのは新聞記者野沢と女子学生原田玲子のふたり。安保条約反対デモで知り合った二人に学生運動の同志たちが祝辞をのべる中、野沢の後輩にあたる大学生太田が乱入し、玲子とともに負傷した北見が病院を抜け出してから行方不明になっていることを訴えます。さらにはかつて野沢が前衛として運動の中心にいたときの同志であった宅見が姿を現し、リーダーとして歌声運動を主導した中山を批判し、今は中山の妻となっている美佐子に思いを寄せていた高尾がスパイ逃亡幇助の疑いから自殺したことの責任を追及します。すると美佐子は新郎の野沢との過去について告白を始めるのでした…。

新安保条約の成立に反対する運動は、昭和35年6月15日に統一行動として大規模な実力行使に及びました。国会構内に全学連を中心としたデモ隊が突入すると、全学連を敵視する右翼団体がデモ隊を襲撃するとともに、国会構内では機動隊が突入を阻止しようとデモ隊と衝突。ついには東大生樺美智子さんが死亡するという事態に至りました。のちに「六・一五事件」と呼ばれることになるこの騒乱事件を経て、アメリカのアイゼンハワー大統領の来日は中止に追い込まれますが、新安保条約は同月19日に自然成立し、岸信介首相が率いる内閣は翌月に総辞職することになりました。

この「60年安保闘争」を主導した全学連(全日本学生自治会総連合)は昭和23年に結成されていまして、昭和27年には破防法導入反対を訴えて全国的なストライキを実施しています。それに引き続きGHQによる日本占領が終結した直後に「血のメーデー事件」が起こり、学生運動がらみではじめての死者を出しています。本作が題材にしている学生運動は、この破防法反対当時に活動していた世代と、60年安保闘争を戦った世代の二世代あたりが対象になっています。

監督の大島渚は松竹に助監督として入社する前の京都大学在学中には、京都府学連委員長を務めるなど学生運動にのめり込んでいたそうです。大島渚の在学は昭和25年から29年ですから、ちょうど破防法反対世代に相当しますし、実際に大島渚の在学中に、昭和天皇が京都大学を訪れたときに学生たちと警護する警官たちとの間で小競り合いになった「京大天皇事件」が起きたりしています。そんな大島渚とともに本作の脚本を書いたのが石堂淑朗。石堂は東京大学を卒業して、大島より一年遅れて松竹に入社していて、同期には吉田喜重がいます。渋谷実のもとで助監督をしていたらしいですが、昭和35年に大島渚が監督した『太陽の墓場』の共同脚本で脚本家としてデビュー。本作は石堂にとっては二作目にあたりますが、結果的にそのあと大島渚とともに松竹をやめて、創造社の設立に加わることになります。

結婚式の新郎・新婦を演じるのは渡辺文雄と桑野みゆきで、この二人はともに小津安二郎監督の『彼岸花』に出演しています。もっとも渡辺文雄は久我美子とのからみの場面しかなく、桑野みゆきも主人公有馬稲子の妹役でしたから、クレジットに名前があっただけで共演したというわけではありません。その渡辺文雄の元恋人役が小山明子で、雑誌のモデルをしていたところを松竹にスカウトされて昭和30年に入社。以来助監督だった大島渚と付き合っていたようですが、大島作品への出演は本作がはじめてでした。そして本作公開直後に大島渚と小山明子は結婚して、翌年には二人一緒に松竹を退社することになります。

【ご覧になった後で】まるで舞台劇を見てるようでしたが面白くありません

俳優の演技を映し続ける長回しといい、長いセリフが続くことといい、暗い中で人物にスポットライトを当てる手法といい、すべてが演劇的でまるで舞台劇を見ているようでしたね。なんでも大島渚は会社からストップをかけられないように短期間で撮影してしまおうと、結婚式場と学生寮のかんたんなスタジオセットで、俳優がセリフをとちったり言い直したりしても、一発テイクでそのまま撮影を続けたんだそうです。結果的にそれが非常に臨場感のある緊張した演劇空間を作っていて、確かにセリフは聞き取りづらいのですが、登場人物たちに妙にリアリティがあります。割と滑舌よくセリフを話すことができる津川雅彦なんかのほうが逆に作り物っぽく見えてしまうような効果が出ていました。即興的な演出や演技という面では、ある種松竹ヌーヴェル・ヴァーグと呼ばれた一連の作品群の中に位置づけてよいのかもしれません。

しかしながら脚本は大島渚と石堂淑朗の思い入れが強過ぎるのか、ストーリーとしての面白さがなく、登場人物の関係性も深堀りできていないので、見ていてなかなかツライものがありました。例えば小山明子演じる美佐子が全員の前で渡辺文雄演じる野沢と肉体関係をもった過去を告白するのですが、回想シーンでは二人の関係は周知の事実になっていて、今さら仰々しく告白するようなことには見えません。またスパイ容疑で拘禁された男や、美佐子の結婚式当日に自殺する高尾(演じている人は本作しか出演作がないようです)などが、シチュエーション優先でキャラクターとして描かれていないため、スパイあるいは自殺する同志という道具立てにしか見えないのです。演出的には見るべきものがある反面、脚本自体に欠陥があったと言わざるを得ません。

それでも本作が公開された当時の日本の状況を調べてみると、現在など比較にならないほど政治に対する意識が高い時代で、誰もが学生運動の動向に注目していて、反米・反戦という態度から世論もある程度政治的な活動をする学生たちにシンパシーを寄せていたようです。無論、そのような共感は昭和46年のあさま山荘事件発生後に連合赤軍による仲間同士の集団殺人が明らかになって、一気に嫌悪されることになっていきます。本作では、学生運動の仲間同士のいがみ合いというか仲違いというか所詮難しいことを言っているくせに組織内抗争をやっていただけのことが暴露されているわけで、その点では大島渚と石堂淑朗のシナリオは、図らずも学生運動の行く末を予見する内容になっていたのかもしれません。

本作は公開四日目に上映中止になったとい点ばかりが取り上げられており、会社が現場を押さえつけたというイメージで語られることが多いようです。けれどもよく考えてみると、製作現場が勝手に映画を作って勝手に公開するなんてことがメジャーの映画会社でできるわけがありません。企画段階で会社の幹部が決裁しているはずですし、脚本の中身を誰も何も見ずにチェックしないなんてことはあり得ない話です。実際に本作の宣伝用ポスターも残っていますし、そこには「若い世代の代表・大島渚監督が戦後青春を激しく衝く問題作!」という惹句も書かれています。さらには映画の冒頭にクレジットされている通り本作は「昭和三十五年芸術祭参加作品」なのです。このような背景を見ると、松竹の上層部もマスコミから松竹ヌーヴェル・ヴァーグなんて祭り上げられていることだし、大島渚の作品ならそれなりの興行が見込めるかもねー、なんて軽い気持ちで毎週切り替わる上映番組のひとつとして公開したのかもしれません。そして、一番すごいなと思うのは、そのような経緯があったとしても松竹が自社製作でこんな映画を作って一旦は公開までしたという事実です。まさに政治の季節だったからこそできたのだと思いますし、本作は「上映中止」の部分だけで語られるのではなく、「製作して公開した」ことに目を向ける作品なんではないでしょうか。

ちなみに現在では松竹のホームページで、自社の作品を紹介する「作品データベース」にちゃっかり本作が掲載されているんですよね。「公開四日後に上映打ち切りになった問題作」と言っちゃってますし、あらすじもかなり詳細に書かれています。こういうところが松竹の懐の深さというか何も考えていないというか、すごいなあと感心してしまう点ですね。(A041622)

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