めし(昭和26年)

林芙美子の新聞小説を成瀬巳喜男監督が上原謙・原節子主演で映画化しました

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、成瀬巳喜男監督の『めし』です。原作は林芙美子が朝日新聞に掲載した小説ですが、連載中に林芙美子が急死してしまい97回目の掲載が最後となりました。未完の小説を脚色したのが井手俊郎と田中澄江の二人で、女性を描かせたら並ぶ者はいないといわれた成瀬巳喜男が監督をしています。林芙美子は映画化に向けた打合せでは主人公夫婦は美男美女ではなく庶民の臭いのする人に演じてほしいと要望していたそうですが、原作者が亡くなったことで東宝は上原謙と原節子の共演で製作することになりました。昭和26年キネマ旬報ベストテンでは『麦秋』に続く第二位に選出されています。

【ご覧になる前に】原節子にとっては『白痴』『麦秋』に続く出演作です

長屋の家で朝食の支度をする三千代は、夫の初之輔が新聞を読みながら食事をするのを見て小言をいいつつ、夫に買ったばかりの靴を履かせて見送ります。二人は五年前に結婚して三年前に東京から大阪に転勤してきたのでしたが、三千代が忙しく立ち働きながら東京の暮らしを懐かしんでいると、突然初之輔の姪で二十歳になる里子がやってきました。三千代は里子が家出をしてきたらしいと北浜の証券会社で働く初之輔に伝えますが、初之輔は鷹揚に対応するだけで、家計を切り詰めてやりくりしている三千代は米が足りるかどうかを心配するのでした…。

「来なかったのは軍艦だけ」といわれた東宝争議は昭和22年から23年まで三次にわたって繰り広げられた労働闘争でしたが、実は四次争議が終結したのは昭和25年末のことでした。争議中に設立された新東宝は当初は映画製作だけを行い配給はしない会社でしたが、争議が終結した東宝のほうでも製作を再開することになり、東宝と新東宝は製作と配給で協力体制をとる提携を廃止して、別々の映画会社としてそれぞれの道を歩み始めることになりました。

その東宝で新しく企画本部長に就いたのが文芸春秋社長だった佐佐木茂索で、その下に文芸部長として招聘されたのがNHK脚本課長だった堀江史朗。堀江が文春ビルの一角に設けられた東宝文芸部に初出社すると、そこで林芙美子の急死を知らされたそうです。前任の上林吾郎から引き継ぎでは、朝日新聞に連載された「めし」の映画化権はいち早く東宝文芸部が獲得済みで、97回で未完となってしまった小説になんとか結末をつけて映画にしなければならないことが明らかになりました。

そこで登場するのが藤本真澄で、東宝のプロデューサーだった藤本真澄は争議中に撮影所へ警察隊を導入させた責任をとって東宝を退社し藤本プロダクションを設立していました。井手俊郎を伴って東宝文芸部との打合せに姿を現した藤本真澄はすでに対策を練っていて、脚本には林芙美子と親交があった田中澄江に入ってもらい、林芙美子の師である川端康成に監修してもらうことや、主演は原作者の意向とは違うけれども上原謙・原節子の二人にすること、成瀬巳喜男が監督することなどが決定されました。

主演の原節子は東宝の第二次争議中に「十人の旗の会」に参加して東宝から離れて映画に出演していました。松竹で吉村公三郎監督の『安城家の舞踏會』や東横映画製作で大映が配給した『三本指の男』に出演しているのもフリーの立場にあったからで、昭和26年には本作の前に松竹で黒澤明の『白痴』と小津安二郎の『麦秋』に主演しています。この『めし』のクレジットタイトルでは原節子の横に「東宝専属第一回出演」という文字が掲げられていますので、東宝としては再び原節子を自社作品に出演させられたのが大変喜ばしいことだったんだと思われます。

上原謙も戦前は松竹専属でしたが、家庭劇で女性中心主義の松竹では飽き足らなくなり、戦後映画俳優としては一番早くフリーになり、映画会社の枠にとらわれずに作品を選べるようになりました。本作の三年後に成瀬巳喜男監督が作った『山の音』では再び原節子と夫婦役を演じていますが。そのときの父親役が山村聰です。山村聰は『めし』では上原謙の叔父役、すなわち島崎雪子の父親役で出ていますので、戦争中に新人を育てられなかった反動で、この時期の日本映画は同じ俳優が同じような配役で出演することが多かったんですね。三船敏郎ら戦後ニューフェース1期生が主役を演じるようになるとやっと顔ぶれが変わっていくことになりますけど。

【ご覧になった後で】原節子の演技が成瀬巳喜男の演出で一層光っていました

いかがでしたか?本作の魅力はなんといっても原節子に尽きるわけでして、小津映画での配役とは違った非常にリアリティのある妻役を見事に演じ切っていましたね。特に本作ではセリフのないところでの演技が冴えわたっていて、上原謙に対する視線の使い方や島崎雪子に対するやや冷淡な態度や玄関の引き戸をぴしゃりと閉める所作などに、結婚生活の現実に疲れてしまった三千代のキャラクターが表現されていました。

こうした演技を映像上で引き出しているのが成瀬巳喜男の演出で、あえてセリフのない間を強調するようなカッティングをしていましたし、おなじみのフェイドアウトで三千代のやるせなさが少しずつ積もっていくような倦怠感を出していました。そして成瀬巳喜男の映画に特徴的な歩いている人物を斜めから移動撮影で撮ったショットが非常に効果的でして、東京の実家で夫が訪ねてきたと知った原節子が上原謙とビールを飲み交わすところまでのショット構成は本当に映像的な魅力に溢れていましたね。夫の靴を見た途端に動揺して家から離れる原節子、銭湯帰りの上原謙とばったり出会って小走りに商店街に向い、それを上原謙が追う。原節子も上原謙も大きなアクションはとらずに、ただ歩くだけなんですけど、斜めからの移動ショットを多用することで原節子の揺れる心情や上原謙の戸惑う気持ちがダイレクトに伝わってくるのでした。

靴をクローズアップで切り取るのも成瀬巳喜男の常套句のようなもので、証券会社に出社するときのコンビの靴が成瀬作品らしくないなと思って見ていたら、案の定その新調した靴は盗まれてしまい、原節子の静かな怒りを買うことになります。そして代わりの靴のくたびれ加減がすれ違う夫婦の気持ちの象徴のように見えてくるのです。ここらへんがいかにも成瀬タッチというべきところでした。

脇で出てくる俳優も多彩で楽しめたのですが、里子役の島崎雪子は『七人の侍』の囚われ妻の印象が強いためにおきゃんで自分勝手な若い娘が島崎雪子だとはにわかに信じられない感じでした。一方母親役の杉村春子は本当に与えられた役になりきってしまう女優さんで、小津安二郎に岡田茉莉子が「俳優の中で四番バッターは誰か」と聞いたらすかさず小津が「杉村春子に決まってるさ」と答えた通り、唯一無二の巧い役者だと思います。婿役の小林桂樹も好演していて、大映でくすぶっていたところを本作で東宝に客演したことで、藤本真澄から声がかかり東宝に移籍することになったそうです。

林芙美子の小説は未完でしたので最後に夫婦の縒りが戻るかどうかは映画の脚本ではじめて書かれたわけですが、藤本真澄の基本方針時点ですでに「仲直りの感動的シーンで終わる」ことは決定していたようです。「林芙美子的には別れるべきだった」という評もあったそうですが、東宝としては製作を再開したばかりのときにそこまで暗いトーンの映画にする必要はなかったのでしょう。まあ原節子が笑顔になって終わるので、新聞小説を途中までしか読めなかった観客も一安心したんではないでしょうか。

しかしながらラストショットは再び大阪の長屋の遠景になって、そこに原節子の「仕事をする夫の帰りを家で待つ。女の幸福とはそんなものなのかもしれません」というようなナレーションが流れます。このナレーションだけは蛇足というか、すべてを台無しにするというか、全く余分な付け足しでしたね。なんで女性は家で男性を支えていればいい的な独白を入れる必要があるんでしょうか。映画の展開としては上原謙が原節子の気持ちに寄り添って、二人で共同して生きがいを見つけていくというニュアンスになっていましたから、このラストショットは全く不要です。誰が入れさせたのか知りませんけど、本当に残念なナレーションでした。(U030123)

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