007死ぬのは奴らだ(1973年)

軽快さが魅力的なイギリス人俳優ロジャー・ムーアのボンド役第一作

こんにちは。大船シネマ館主よのきちです。今日の映画は、ガイ・ハミルトン監督の『007死ぬのは奴らだ』です。ジェームズ・ボンド役のイメージに染まりすぎるのを嫌ったショーン・コネリーは前作『ダイヤモンドは永遠に』でカムバックしましたが、かつての躍動感は失われていて激しいアクションはもう無理でした。そこでハリー・サルツマンとアルバート・R・ブロッコリのプロデューサーコンビは新しいボンド役にイギリス人俳優のロジャー・ムーアを指名しました。ショーン・コネリーとは全く違って軽い快さが持ち味のムーアは、この映画をきっかけにムーアらしいジェームズ・ボンド像をつくっていきます。以後、ティモシー・ダルトン、ピアース・ブロスナン、ダニエル・クレイグとボンド役は受け継がれていきますが、その端緒を開いたのがロジャー・ムーアだったのです。

【ご覧になる前に】1973年当時のトレンドを把握するとさらに楽しめます

ニューオーリンズで英国諜報部の諜報員3人が連続して姿を消しました。真相を探るためジェームズ・ボンドがアメリカに飛びますが、ニューヨークに到着した途端に、黒人グループの一団によって命を狙われます。CIAのフェリックス・ライターの助けを得たボンドは、事件を操っているのが小国サン・モニーク首相のカナンガで、カナンガがソリテアという占い師の予言を信じていることを掴みます…。

007シリーズは、世界征服を狙う犯罪組織の秘密を暴いていくアクションが魅力なのですが、『死ぬのは奴らだ』はそのようなスケール感が乏しく、テーマも作り方もやや小ぶりな印象の作品になっています。VFXによって、現在では、ビルの崩壊や超絶カーアクションなど映像化できないものはありません。そのような目で見ると本作のアクションシーンはなんとも悠長で貧弱に見えるかもしれません。けれども、この映画が公開された1973年の時代背景を知れば、楽しみ方も変わってくるはず。例えば、モーターボートによる追跡シーン。当時のアメリカ映画はカーチェイスをメインにした作品が目白押しだった頃。1968年の『ブリット』をきっかけにして1971年の『フレンチ・コネクション』で車をぶっ飛ばしての追いかけっこはピークを迎えていました。だからモーターボートのチェイスは、猫も杓子もカーチェイス一辺倒だった世の流れへのアンチテーゼだったのです。

一方で映画の冒頭から黒人が主役と勘違いするほどたくさんの黒人、アフリカ系アメリカ人が登場します。カナンガ役のヤフェット・コットーはシリーズで初めて悪役を黒人として演じましたし、鉤手の大男も太った手下もタクシー運転手も全員が黒人でした。この頃のアメリカ映画はブラック・パワーの世相を受けて「ブラックスプロイテーション」真っ盛り。黒人マーケットを狙った黒人俳優によるB級映画が次々に公開されていました。代表作である『黒いジャガー』が1971年の作品で、1973年には黒人の美人女優タマラ・ドブソン主演のスパイアクション『クレオパトラ危機突破』がつくられました。なので、『死ぬのは奴らだ』の製作にあたっては、当時のアメリカ映画のトレンドに乗ろうとした意図とあえて乗らないようにした意図の両方が混在していたように見えます。そんな時代背景を頭の片隅に置いておくと、また少し違った楽しみ方ができるかもしれません。

【ご覧になった後で】シリーズ最高のボンドガールはジェーン・シーモアに決定ですね

いかがでしたか。何はともあれ、『死ぬのは奴らだ』を見ると、シリーズ最高のボンドガールはジェーン・シーモアでもう決定するしかないと思われませんでしたか。あのブルネットの髪、あの人を吸い込んでしまうような瞳、あの先だけがやや上を向いた鼻、あの片方だけの口角がほんの少し上がった唇。もう最高の美女としか言いようがありませんね。ジェーン・シーモアは1951年にイギリスで生まれ、本作の出演時は22歳。ジェーン・シーモアの若さがしっかりと映像に残されたことだけでも、本作には十分な価値があると思います。さらに彼女の魅力が堪能できる映画が1980年の『ある日どこかで』(Somewhere in Time)。ヤノット・シュワルツ監督、クリストファー・リーヴとの共演で、1910年代にタイムトリップしたクリスが、舞台女優ジェーン・シーモアと一瞬目が合っただけで恋に落ちるという極めて濃度の高いラブロマンスでした。本当は『ある日どこかで』のことを存分にお伝えしたいのですが、大船シネマでは1977年の映画までしかご紹介できない制約があり、やむなく『死ぬのは奴らだ』のおまけでコメントさせていただくことにしました。未見の方にはぜひ見ていただきたい、必見の傑作です。

007シリーズの中で一番なのはボンドガールだけではありません。テーマ曲のカッコよさももちろんぶっちぎりのナンバーワン。ポール・マッカートニー&ウィングスの「Live and let die」がかかるオープニングタイトルは、もしかしたら本作でいちばん盛り上がるところかもしれません。ポールのヴォーカルも良いのですが、なんといってもあの躍動する間奏ですよ!もうこれ以上盛り上がる曲は、シリーズにはほかにないと思います。この曲が欲しくてレコード屋でポスターと同じデザインのシングル盤を買って帰ったら、なんとシャーリー・バッシーのヴォーカルバージョンで、心底がっくりきたのが思い出されます。しかしながら、このポール・マッカートニーの究極的テーマソングはオープニングには良いのですが、映画の中ではなかなかうまく使いこなせないんですね。本作の音楽はジョージ・マーティンが担当していますが、ビートルズのプロデューサーであったジョージ・マーティンも映画音楽の専門家ではありませんので、『死ぬのは奴らだ』はBGMがまったくダメレベルで終わっています。モーターボートのアクションシーンが今ひとつ盛り上がらないのは、音楽の入れ方が良くないせいでもありますよね。でも、まあ、ポール・マッカートニーのコンサートでは、クライマックスに突入するあたりでこの「Live and let die」が歌われて、ステージ前に設置された火炎噴射機から炎が豪快に噴き出す演出がお決まりになっています。映画はともかくとして、コンサートで盛り上がってくれればそれでもう十分じゃないスかね。

そしてなんであんなキャラクターをあえて出すのかわからないのがペッパー警部。黒人ばかりの映画に典型的な南部の白人的な人をもってきて、赤い頬っぺたを膨らませながら、ドジな警備を繰り返しても、大した笑いはとれないですし、モーターボートのアクションを分断してしまう結果になっていました。ロジャー・ムーアががんばっているだけに、ガイ・ハミルトン監督ももう少し考えてあげればよかったと感じます。余談ですが、ピンク・レディーのデビュー曲「ペッパー警部」は1976年の発売ですが、この映画のペッパー警部にヒントを得ているという説はありでしょうか。一説によると、ドクターペッパーという飲料水からとったとかいうことらしいですが、歌詞の展開からすると本作のペッパー警部なら若いカップルの邪魔をしそうな感じで、そちらであれば絶妙なキャスティングになるのではないかと思ってしまいます。(A101121)

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました